創作「ファイナル・テスト」(完全版)

 

「ディア様、少しよろしいでしょうか?」
 夜も大分ふけた頃、飛空都市にある女王補佐官ディアの部屋を訪ねてくる者がいた。
「まあ、どうしたのですか?アンジェリーク。こんな夜遅くに?」
「いえ、用と言うことでは…少し寝つけなかったものですので…あの、ご迷惑なら帰ります。すみませんでした。」
 慌てて帰ろうとするアンジェリークをディアは引き留めて言った。
「いいんですよ、今丁度ハーブティを入れようと思っていたのですから、さ、どうぞ」
 部屋に入り、席につくアンジェリークの様子が普段と違うことに気づいたディアはハーブティーを入れる準備をしながら彼女に話しかけた。
「大陸の育成は順調なようですね。」
「はい…」
 力無くアンジェリークは呟いた。やはり今夜のアンジェリークはどこかおかしい。彼女の大陸はロザリアの大陸よりだいぶ育成が進んでおり、後少しで中の島に民が住むようになるところまで来ていた。女王になれるというのに、何かが彼女を苦しませているようであった。
 アンジェリークにブルーマロウティーを勧めながらディアは尋ねた。
「何があったのですか?」
 その一言にアンジェリークはビクッとした。
「何か悩んでいることがあって、そのために私の所に来たのですね。しかもこんな夜更けに…一体何があったのですか?」
 ブルーマロウティーがその色を変えていくのをじっと見つめていたアンジェリークは、やがてゆっくりとその顔を上げてディアに言った。
「…ディア様、一つお聞きしたい事があるのですのですが。」
「何でしょう?」
「女王陛下には好きな男性の方はいらっしゃらなかったのでしょうか?」
 あまりに突然な質問だったのでディアは初めアンジェリークが何を言っているのか判らなかった。
「それは…一体どういう意味かしら?」
「女王陛下―いえ、女王となった者には男性を好きになることは許されないのでしょうか?女王になるのをあきらめなければ好きな人と一緒にいることは出来ないのですか?どうして女王となった者は唯一人で生きていかなければならない―」
 堰を切ったように話し出したアンジェリークの様子にディアは彼女が何を言いたかったのかがようやくわかった。そして、優しく言った。
「ちょっと待って下さる?―もう少し落ち着いて話してみて。アンジェリーク、あな
た、今好きな方がいるのね?」
ディアが優しく尋ねた。
「―はい、おります。」
 やや小さめの声で、しかしきっぱりとアンジェリークは言った。
「それは守護聖の方ですか?相手の方もあなたのその気持ちをご存じなのですか?」
「…ええ、そうです。あの方も私のことを好きだとおっしゃって下さいました。そして女王となることをロザリアに譲ればこのまま二人共聖地で暮らすことが出来ることも聞きました…でも、私には今まで育成してきた大陸の民達を、私が女王となる為に今まで力をかして下さった方々を、そして女王となるために頑張ってきた自分自身を裏切ることは出来ません。」
「アンジェリーク…」
 ディアが問いかけるとアンジェリークは大粒の涙をこぼして続けた。
「裏切ることは出来ない―でも、私はあの方を愛している、愛しているんです!」
 泣きながら、叫ぶように言うアンジェリークにディアはなだめるように言った。
「わかりました。まさかあなたにこの事を話す時が来るとは思ってもおりませんでしたよ。でも、アンジェリーク、あなたならもしかしたら…良いでしょう、教えてさしあげます。なぜ、女王陛下がお一人でいるのか、女王が1人の男性を愛してはいけない―いえ、愛することが出来ないのか…それは、今から何代もの昔に行われた女王試験の時に起こったことです。その時も二人の少女が女王候補として惑星育成試験を受けておりました。しかしその内の1人の少女が自分の大陸を意図的に死と絶望とが渦巻く地獄の縮図とも言うような土地に育てたのです。しかも、その少女はそれだけでは飽きたらず時の女王に恐ろしい呪いまでかけたのです。」
「呪い…?」
 涙を拭きながら恐ろしげに聞くアンジェリークにディアは答えていった。
「ええ、その時のことが文献にはこう記されております。」
 ディアは静かに話し始めた―

「これは一体何としたことだ!!」
 滅多に取り乱すことのない筆頭守護聖である光の守護聖が大声を上げて叫んだ。
「わ、わかりません!突如大陸が崩壊しはじめて―もはや手の施しようはありません!住民の生命は絶望的です!!」
 王立研究所の研究員が悲鳴を上げた。
「なぜこのような事に…原因は何なのだ?!」
 闇の守護聖が問いただした。
「それは…」
「何だというのだ?!はっきりと申せ!」
 口ごもる研究員達に光の守護聖が一喝すると、意を決したように主任研究員が述べた。
「では申し上げます。今回の育成中の大陸の崩壊はあらかじめこうなるように仕組まれたとしか思えません。つまり、女王候補自らがこうなるように大陸を育成したのです!」
 暫しの間、誰も一言も発する事が出来なかった。
「…ばかな…」
 光の守護聖が呟いた。
「そんな馬鹿な事が?なぜ女王候補がそのようなことを?一体何のために?!」
「しかし事実です!すべてのデータがそう示しているのです!」
 主任研究員の言葉を受けて光と闇の守護聖がお互いの顔を見合わせた。
「…事の次第を女王候補自らに問いただせねばならないな。」
 闇の守護聖の言葉をうけ、光の守護聖もようやく落ち着きを取り戻した。
「ああ、そうだな。女王陛下にも立ち会って頂いた方が良かろう。早速守護聖全員と女王候補を謁見の間に来るように手配しよう。私は陛下の所へ行くぞ。」
「それがよかろう。」
 ―やがて、女王と女王補佐官、守護聖全員と衛兵に付き添われた女王候補が女王謁見室にやってきた。
「今回の大陸崩壊の件だが、一体どうしてこんな事になったのか説明してもらおう。」
 光の守護聖が黙ったまま肩を震わせて俯いている女王候補の少女に問いかけた。
「泣いていてもわからんのだ、こうなった原因を…!!」
 筆頭守護聖はそう言うと絶句してしまった。少女が肩を震わせて下を向いているのは自分がしでかしたこと―即ち育成していた大陸を崩壊させてしまった事への罪悪感と脅えで泣いている為だと思っていたのだ。しかし、本当はそうではなかった。少女は、女王候補は泣いてなどいなかった。彼女は笑っていたのだ!肩を震わせ、楽しそうに、低い、まるで地を這うような笑い声で笑っていたのだった!!
「そう、あの大陸がやっと…」
 笑いながらそう言い、面を上げた少女の顔には「狂気」と、信じられない事だが「狂喜」の色が浮かんでいた。
 女王候補の様子に底知れぬ恐怖を感じて思わず後ずさった光の守護聖に代わり、女王が直々に少女に聞いた。
「女王候補よ、そなたに尋ねる。なぜこのような事をした?」
 女王の言葉を聞くと少女はゆっくりとそちらの方を向いて言った。
「…なぜ?なぜと聞かれるのですか?女王陛下…では私も聞かせて頂きましょう。」
 次の瞬間、少女は顔に凄まじいまでの憎悪を浮かべて女王に向かって叫んだ。
「なぜ私を女王候補に選んだ!!おまえが私を女王候補に選びさえしなければあの人は死なずにすんだのに、すべておまえが―おまえが!!」
「―な、何を言っているのですか?!あなたは一体?!」
 問いかける女王補佐官を無視し、少女はなおも女王に言った。
「もう間に合わない。女王よ、すべておまえのせいだ!おまえの罪だ!呪われるがいい!女王よ、私と同じようにおまえにも愛する者など存在させるものか!覚えておけ、女王となる者に愛する男性が現れた時には私の作り上げたあの人の名を持つ惑星がこの宇宙を滅ぼしてくれる!呪われるがいい―未来永劫、女王は唯一人で生きるがいい!」
 そう言うと少女は服のどこかに隠し持っていた短剣を取り出した。
「―誰か!その娘をとらえよ!」
 それに気づいた光の守護聖が周りの衛兵に命じた。が、それより一足早く少女の短剣は少女の喉を突いた!その顔に「狂気」と「狂喜」の表情を浮かべながらゆっくりと崩れ落ちる少女をその場にいた者は為す術もなく見ているしかなかった―

 シ…ンとした空気がその場に流れた。
「今となっては少女がなぜそのような行為に及んだのか知る術はありませんが、その時からです。女王となった女性が1人の男性を愛そうとすると今は異次元に封印されているはずのその少女が作り上げた惑星から悪しき『黒いサクリア』がこの宇宙の存在をも脅かすほど侵入するようになったのは―守護聖達と女王陛下がどの様にサクリアを注いでもそれを防ぐことは出来ず、そのため女王陛下は愛する方を持てなかったのです。この宇宙を守るため、唯お一人で生きていかねばならなかった…」
「そんな…そんなことがあったなんて…でも、ディア様、本当にどうすることも出来ないんですか?何かその呪いを解く方法はないのですか?」
 すがりつくような思いで訊くアンジェリークにディアは答えた。
「一つだけ、方法が無いわけではありません。」
 パッ…と希望に輝く顔をしたアンジェリークにディアは重い思いで続けた。
「但し、これはあなたの命に関わることなのですよ、アンジェリーク。その方法とは、あなたがあの少女が作り上げた惑星に赴き、あなたの持つ『女王のサクリア』を使いかの地を浄化することなのです。そこには守護聖を連れていくことは出来ませんし、その力すら届きません。又、あの惑星への通路は開くこと自体が危険な為、女王陛下と守護聖全員のサクリアを持ってしても一回しか、つまり行く時にしか開けないのです。戻るときにはあなた自身の力で戻ってこなければなリません。アンジェリーク、あなたはそれでも行きますか?」
 アンジェリークはしばらく黙って考えていたがやがてゆっくりと顔を上げて言った。
「はい、ディア様。私、行きます。自分の中の力がどれくらいあるのかわかりませんけれど、やってみます。あの方のためにも、私自身のためにも。」
 その顔に浮かんだ決意の様子を見てディアも心を決めて言った。
「わかりました。では私は明日、主星に赴いて女王陛下にこの事をお伝え致しましょう。ああ、もうこんな時間になってしまいましたね。さ、今日はもう部屋に帰ってお休みなさい。」
「はい、ディア様―あ、一つ教えていただけませんか?」
 部屋を出ようとドアの所まで行ってから思い出したようにアンジェリークは尋ねた。
「その、異次元に封印されている惑星の名前は何というのですか?」
「名前ですか?そう言えばまだ教えておりませんでしたね」
 ディアはドアの所まで来てアンジェリークに告げた。
「その忌まわしい大陸の名前は無限地獄『ナドラーガ』と言います。」

 翌日、主星の聖地から戻ってきたディアは、明日にもアンジェリークとロザリア、そして守護聖全員を聖地の次元回廊に集め、ナドラーガへの道を開くことを女王陛下が決定なさった事、同時にあらぬ騒ぎを防ぐためにもこのことは当日まで内密にするようにとの陛下の命令をアンジェリークに伝えた。明日と聞いてアンジェリークはあまりに急なので驚いたが、女王陛下の力が日々弱くなってきている事、それにこのままだとアンジェリークの育成が進んでしまい後数日もすれば女王になってしまうかもしれない…等の理由を考えると急がなければならないのも仕方ない所であった。
「…わかりました。明日、聖地に参ります。その前にディア様に一つお願いがあるのですが。」
「何でしょうか?アンジェリーク?」
 アンジェリークは自分の頭に巻いていたリボンをスッ、と取るとディアに差し出していった。
「これをあの方に渡していただきたいのです。私がナドラーガに行った後に…」
「あなた自身の手で今夜にでもお渡しになったら良いのではありませんか?」
 不思議そうな顔をして尋ねるディアにアンジェリークは静かに顔を横に振って答えた。
「今夜はあの方に会いませんー多分会ってしまったら泣き出してしまうから。ですからディア様、どうかお願いします。」
「では、これは私がお渡し致しましょう。その時に何か伝言とかありますか?」
「では一言だけ、『今度二人っきりでお会いするときに返して下さい。』と…」
 ディアは一つ頷くと確かにその頼みを引き受けたと告げ、リボンを渡す相手の名前を聞いてからアンジェリークの部屋を後にした。
 ディアがアンジェリークの部屋を去り、夜半になってから彼女の部屋のチャイムを鳴らす1人の守護聖の姿があったが、アンジェリークは居留守を使いその音には遂に答えなかった。残念そうに部屋を去っていく最愛の男性の後ろ姿を、アンジェリークは明かりを消した真っ暗な部屋から窓越しに見送っていた。涙で見えなくなるまで、唯ひたすらに…

 ― そして、一夜あけて聖地の次元回廊の扉の前 ―

「アンジェリークがナドラーガに?!」
 ロザリアと守護聖全員が一斉に声を挙げた。アンジェリークと並んで立っているディアがここで初めて今までの経緯を話したのである。
「無茶だよ!アンジェリーク!ナドラーガに1人で行くなんて!」
 かつてナドラーガに行ったことがあるマルセルが泣きそうな声で言った。
「冗談じゃねぇ、ジャーダンじゃねぇぞ!何でそんなアブねェ事コイツがしなくちゃなんねーんだ?!」
 やはり以前にナドラーガに行ったことがあるゼフェルが叫ぶとランディも大声で言った。
「そうだよ!何か他に方法があるはずだ!」
「おだまり!辛いのはアンタ達だけじゃあないんだよ!」」
 オリヴィエが騒ぎ立てる3人を悲痛な面もちで怒鳴りつけた。
「他に方法はないんですよ、ランディ。女王候補が女王となり、なおかつ愛する者と一緒になるにはこうするしか…」
 リュミエールが悲しげに答えた。
「私の持っている知識が役に立たないと言うことがこんなに歯痒く思われる事はありませんね、まったく…」
 ルヴァも辛そうに言った。
「お嬢ちゃん…お嬢ちゃんは強いな、俺なんかよりも…な。」
 オスカーが伏せ目がちにアンジェリークを見つめていった。
「アンジェリーク!」
 突然、ロザリアがアンジェリークの前に来て言った。
「良いこと、必ず帰ってくるのよ!今は確かに少しアンタの大陸より育成が遅れているけれど最終的には私が女王になるのだから、その瞬間をアンタも必ずここで見るのよ!アンタのいない間は私も育成を休んで待っているからね!…不戦勝で女王になるなんて私のプライドが許さないだけよ!」
 言葉とは裏腹に哀願するような調子でそう言うとくるっと後ろを向いて涙声で呟いた。
「なによ…バカな子だとは思っていたけれどここまでバカだったなんて…あともう少し、もう少しで宇宙を統べる女王になれるって言うのにそんなところに行くなんて…」
「それだけ相手の事も愛しているのだろうな。女王の座と等しいほどに…」
 ロザリアの言葉を聞いてクラヴィスが誰にと言うわけでもなく言った。
「今の女王にはそれだけの想いがなかったと言うことか…」
「今、何と申した?クラヴィス。」
 その一言を聞きつけたジュリアスがクラヴィスに問い質した。
「―いや、ただの戯れ言だ。気にするな。」
 なおも何か言いたそうな顔をしたが、気を取り直してジュリアスはアンジェリークに向かい厳かに言った。
「では、アンジェリーク、もう一度そなたに聞く。本当にナドラーガに行くのだな?」
「はい、ジュリアス様」
 アンジェリークは答えた。
「たとえ―たとえ何が起ころうとも良いのか?」
「はい。皆様のお気持ちは嬉しいのですが、でも、もう決めたんです…大丈夫です、必ず帰ってきますから。」
 ジュリアスの引き留めるような言い方にアンジェリークはにっこりと笑って答えた。
「そうか…ならばもう言うことはない。今から女王陛下のサクリアと我ら守護聖全員のサクリアの力を集めそなたの為にナドラーガへの道を開くことにする。さあ、その扉を開けて行くがいい!」
 ジュリアスがそう言うと守護聖達は各々のサクリアを扉に向かい注ぎだした。アンジェリークはコクンと頷くとナドラーガへ続く次元回廊の扉を開け、その中へ唯一人歩き出していった…

 ―アンジェリークがナドラーガに向かってから1週間後の聖地・次元回廊の扉前にて―

「やはりここでしたか。」
 扉の前で佇んでいる所を突然後ろから声をかけられてその守護聖は慌てて振り返った。するとそこには手に何か持った女王補佐官ディアがいた。
「最近執務室にいないから多分ここだと思っていたのですよ。」
 微笑みながらディアはアンジェリークの最愛の男性のもとに近づいていった。そして、手に持っていたアンジェリークのリボンを彼に手渡した。
「これは…?」
 問いかける守護聖にディアはアンジェリークがそのリボンをディアに託した時の事と、頼まれていた伝言を伝えた。
「今度二人っきりで会うときに返して欲しい…」
 そう呟くと彼はそのリボンをギュッ…と握りしめた。アンジェリークがどんな気持ちでそのリボンをディアに預けたのか、最悪の場合そのリボンを形見にでも…と思ったのであろう。それを思うとたまらなかった。
「信じましょう、アンジェリークを、彼女の中の力を、そして、そのリボンをアンジェリークに返す事が出来る日が来ることを…」
 小さく頷き、ディアとその守護聖が扉の前から去ろうとしたその時―!
 ドォォォン!!
 凄まじい音と爆風が次元回廊の扉の向こうから響き、扉が吹き飛ばされた。
「きゃあっ!」
「!!」
 ディアと守護聖がその爆風によって吹き飛ばされたが、幸いなことに二人とも大した怪我はなく、すぐ起きあがると扉の方を見た。
「い、一体何があったのでしょう?扉が吹き飛ばされるなんて―あ!あれは?!」
 今はもう見る影もない扉の残骸の向こうに倒れている人の人影が見えた。
「―あれは、まさか、アンジェリーク?!」
 ディアが言うより早く守護聖が回廊の中に飛び込んでいった。そして、そこで彼が見たものは全身ボロボロになり、気を失って倒れているアンジェリークであった―!
「アンジェリーク!!」
 必死になって最愛の女性の名前を呼びかけるとアンジェリークはうっすらと目を開けて答えた。
「…ここは…どこ?」
 守護聖は何も言わずただアンジェリークをその腕の中に抱きしめていた。
「アンジェリーク、ここは聖地ですよ、あなたはナドラーガから帰ってきたのですよ!ああ、ナドラーガの『黒いサクリア』がすっかり消えている…遂にナドラーガを浄化したのですね!それにしても何というひどい怪我…今すぐお医者様を呼んできますから待っていて下さいね。むやみに動かしてはいけませんよ…誰か?誰かいますか?!」
 そう言うとディアは慌てて人を呼びに行った。
「かえっ…て…きたのですか?わたしは…あなた…の元へ…」
 ただただ頷いている最愛の守護聖の腕の中でアンジェリークはそう呟くと又気を失った。遠くから大勢の人がやってくる気配を感じながら…

 女王候補アンジェリーク、ナドラーガを浄化し聖地に戻る!
 この報せは瞬く間に聖地と飛行都市に伝えられ、当然の事ながら現女王にもディアが報告していた。
「…そう、アンジェリークがナドラーガを…」
「はい、陛下。医師の話によるとナドラーガで負った怪我が酷かったので今の所はごく限られた者しか面会は出来ないそうですが、まだ若いのでそれもすぐに良くなるだろうとの事でした。」
「そう…」
 ディアの報告を聞き、暫しの沈黙の後に女王は言った。
「あの日―クラヴィスに返事をする為に森の湖で待ち合わせの約束をした日に私は前の女王陛下からナドラーガにまつわる話を聞いたわ。そして、私はその時にナドラーガへは行かずに、女王としてのみ生きていくことを決め、あの湖には遂に行かなかった…」
「ええ、そうでしたわね、陛下。『次期女王に指名して下さった女王陛下の御期待を裏切ることは出来ない!』そう言って陛下は一晩中私の部屋でお泣きになっておられましたわ。」
 ディアが昔を思い出すように話した。
「そう、女王陛下のご期待に背いてはいけない―そう思っていた…でも本当は、私は女王になるという大義名分の中に逃げていただけだったのかもしれない…」
「陛下…」
 ヴェールを目深に被った女王の表情はよく伺うことは出来なかったが、ディアは女王が泣いているような気がした。
「ディア、アンジェリークに伝えてもらえる?『ありがとう』と…歴代女王を代表して礼を言わせてもらう、と…」
「承知いたしました、女王陛下。」
 そう言って部屋から引き下がろうとしたディアは扉の前で女王の方を振り返り言った。
「陛下、アンジェリークの身体が良くなり次第、彼女の女王就任式が執り行われます。それが終わり、聖地を去ったら私と一緒に旅行でもしませんか?スモルニィ女学園の頃のようにお互いをまた名前で呼び合いながら。ただの女性として…」
「ただの女性として…」
 ややあってから、女王も微笑みながら答えた。
「そうね、それも良いかもしれないわね。そして、今度は逃げないわ。私自身から…」

 同じ頃、アンジェリークの部屋に見舞いにやってきた者の姿があった。彼女に面会が許されているごく少数のうちの1人―彼女のリボンを持っている守護聖であった。今日はそのリボンを返しに来たのであった。
「約束通り二人っきりの時に返して下さるのですね。」
 アンジェリークは微笑みながらベッドの上に起きあがり、彼が優しくそのリボンを頭に巻いていくのを目を閉じて感じながらアンジェリークは言った。
「…わたし、会ったんです。」
 彼が「?」と言う顔をしているのを知ってか知らずかアンジェリークは続けていった。
「会ったんです。ナドラーガであの地を作り上げた昔の女王候補だった少女に…」

「ここは…なんて…なんて酷い所なの?!」
 ナドラーガに降り立ったアンジェリークは思わず叫んだ。そこは一面の荒野であり、そして、生きとし生ける者を呪う思念が渦巻いている、まさに地獄のような世界であった。
 多くの亡霊達がアンジェリークの周りにいたがその殆どは彼女の持つ「女王のサクリア」に怯えて近づいては来なかったし、また、襲ってきても彼女のサクリアによって浄化されていった。しかしどんなに亡霊達を浄化させても一向にこの地に渦巻く憎しみの念は消えることがなく、さすがのアンジェリークも疲れがピークに達していた時であった。一際強い憎悪の念が前方から感じられたのだ。ふと顔を上げるとそこにはアンジェリークとほぼ同い年と見られる少女が無数の亡霊達を従えて立っていた。
(―そこに在る女王のサクリアを持つ者よ―)
 その少女は言葉にならない言葉でアンジェリークに話しかけてきた。
「誰?あなたは誰なの?!こんな所で何をしているの?!」
(―私はこのナドラーガを創りし者―)
 アンジェリークの問いかけに少女はそう答えた。
 ―この少女が!アンジェリークは思わず少女に向かって言った。
「あなた、あなたはどうしてこんな事をしたの?自分の育てていた大陸をこんなにするなんて、女王に呪いをかけるなんて、どうして?!」
(―すべてはあの人のため―)
「…えっ?」
 アンジェリークは奇妙な感覚に襲われた。目の前にいる少女から発せられる凄まじい憎悪の中に、ほんの一瞬だが底知れぬ哀しみを感じたのだ。だが次の瞬間にはその想いは消えており、さらに強い憎しみの感情だけが押し寄せてきた。そして再び
(―女王よ、呪われるがいい!女王となることを呪うがいい!―)
 少女がそう言うのと同時に無数の亡霊がアンジェリークめがけて襲ってきた。
「キャアッ!」
 ―ダメかもしれない。と、アンジェリークは思った。しかし、ほんの一瞬あの少女から感じとれた僅かな想いが彼女に最後の決断をさせた。
 アンジェリークは最後の力を振り絞って亡霊どもを浄化しながら少女の前まで行き、少女に面と向かって言った。
「なぜ?!何が原因だったの?私に教えて、あなたのその憎しみと、そして―哀しみの理由を!!」
 そして、アンジェリークが少女の体に触れたその瞬間!少女の体とアンジェリークの体が一つに重なって彼女の心の中にその悲しみが何だったのか、少女がなぜナドラーガを作り上げたのか、その理由が流れ込んできた。
 ―それは悲劇であった。少女は女王候補に選ばれたが為に、周りの者たちの思惑によって婚約者と無理矢理別れさせられたのだった。しかも、不幸な偶然が重なりその婚約者が殺されてしまい、彼女はその復讐をするために与えられた大陸に亡き恋人の名を付けて、呪われた地を作り上げたのだった。自分を女王候補に選んだ女王に復讐するために…

(―私はただあの人と、ナドラーガと一緒にいたかっただけだった―)

 泣き濡れた少女の心の奥底がアンジェリークに伝わってきた。そう、少女にはわかっていたのだ―自分のしたことが決して許されることではないことも、こんな事をしても亡き恋人が喜ぶはずもないことも―しかし、そうせずにはいられなかったのだ。失ったものが余りにも大きすぎて…
「…可哀想にね。」
 アンジェリークが泣きながら少女に語りかけた。
(―あなたはわかってくれるの?私を責めるのではなく―)
「ええ。だからもう泣かないで帰りましょう。あなたの、そしてここにいるみんなの一番帰りたい所へ。」
(―帰れるの?あの日々へ、あの人のいる所に―?)
 少女の問いかけにアンジェリークは小さく微笑んで頷いて言った。
「帰りたい幸せだった時をあなたが思い出せば、きっと―」
(―あの日々、幸せだったあの時、あの場所―)
 少女は何かを思いだしているようであった。すると、やがて周りを取り囲んでいた亡者が一人、又一人とその姿を小さな花に変えていくではないか!アンジェリークは驚きながらそれをじっと見ていたが、やがて亡者の最後の一人がその姿を花に変えるとそこはすでに荒涼とした荒れ地ではなく一面の花畑になっていた。
「…ここがあなたの帰りたかった場所ね。」
(―そう、あの人とよく過ごした場所。そしていつも向こうからあの人が―まさか!)
 少女が見た花畑の向こうにぼんやりと一人の青年の姿が現れた。
(―ナドラーガ!!)
 そう叫ぶと少女の体はアンジェリークの体を離れ青年の方へ向かって走っていった。そして、少女が青年の胸の中に飛び込んだ瞬間、少女と青年の体、そして花畑一面に凄まじい閃光と爆風が走った。その爆風によって次元回廊へと吹き飛ばされていく中でアンジェリークは最後に少女が
(―ありがとう―)
 と言ったのを聞いた気がした…

 アンジェリークは彼女の話に黙って耳を傾けていた彼の方を見て真剣な顔で言った。
「彼女を見て思ったんです。私だってもしあなたが突然いなくなったりしたら彼女のように一つの世界を、いえ、この宇宙をも滅ぼすかもしれない…って。」
 ドキッとしている守護聖の顔を見て、クスッと笑ってアンジェリークは言った。
「だから、あなたはずっと私のそばにいて下さいね。いつまでも、どこででも…」

Fin.

※ Dedicated to 「サラディナーサ」 by 河惣 益巳 from 白泉社
「スターダスト★ストーリー」 by 柿崎 普美 from 集英社