創作「スノウ・ダンス」

 

 オフィスビルの扉を開けると冷たい風が吹き込んできた。
「―寒っ!」
 アンジェリークは思わず自分で自分を抱きしめ、しばらくの間立ちすくんでいたが、
「まだ初冬だっていうのに雪でも降ってきそうね。あれからもう8年も経つっていう のにまだ天候が不安定なんだから…一体聖地では何をしているのかしら。」
と、一人呟き、やがてゆっくりと顔を上げて今にも泣き出しそうな空を仰ぎ見た。

 そう、あの運命の女王試験からはや8年、25歳になったアンジェリークは主星で OLをしていた。
 試験は結局ロザリアの勝利で終わった。アンジェリークも頑張ってはいたが今一つの所でロザリアにはかなわなかったのだ。女王補佐官にと…との誘いもあったのだがそれは受けることはできなかった。彼女にとってこのまま聖地に残るにはあまりにも辛いある理由があったからだ。誰にも言ってはいない、彼女の胸の中にだけ閉まってある理由が…それゆえ、アンジェリークは逃げるように飛空都市を去り、懐かしい主星に戻ってただの女子高生として平凡に生きることを選んだのだ。
 だが、飛空都市から戻ってきたアンジェリークを出迎えたものは決して温かいもの ばかりではなかった。
「一般市民の子が女王候補になるなんてそもそもおこがましい事だったのだ。」
「あんなどんくさい子が女王になんてなれるわけなかったのよ。」
「ろくに育成もしないで遊んでいたらしいじゃないの。」
 数々のあることないことの誹謗中傷が私生活でも学園でもアンジェリークを襲った。
 学園を卒業して就職の為に住み慣れた土地を離れても「かつての女王候補」という 過去はついて回ってきた。
「なんだい、元女王候補だと思ってお高くとまって!」
これはつい最近別れた男性が最後に彼女に投げつけた言葉である。
 (どうして―)
低く垂れ込めた空を見ながらアンジェリークは思った。
(どうして誰も『私』を見てはくれないのだろう?ただの1人の女性としての私を― あの人のように)
―あの人!もう二度と会うことは出来ないあの人の面影、あの人の声を不意にアン ジェリークは思い出した。
「アンジェリーク?」
と、静かに、穏やかに微笑みながらあの人は私の名前を呼んでくれた。あの人だけは ありのままの私の事を―女王候補ではなく「アンジェリーク」としての私を見ていて くれた―見ていてくれたと思っていた。でも―
(あの人は私よりロザリアを選んだ…)
苦い想いがアンジェリークを包み込んだ。眼を閉じ、深呼吸を一つしてから目を開けてその想いを振り切るように歩き出す。
「アンジェリーク?」
おぼろげにまたあの声が聞こえてきた。一瞬足を止めたが、
(いつまでも何を考えているの?もう過ぎてしまったことなのよ。しっかりなさい!)
そう思い再び歩き出した。しかし再び、先程よりも更にはっきりと声が聞こえた。
「あの〜、アンジェリーク?」
―まさか!アンジェリークの足が地面に吸い付けられたように止まる。そして、声の した方を恐る恐る振り返り、その場に立っていた人を見てアンジェリークは凍り付いたようにその場に立ち尽くした。
「ルヴァ様!!なぜここに!それにその格好は?!」
そこには8年前飛空都市で最後に見た時と同じ面影の地の守護聖が立っていた。しかし服装はおよそ以前からは考えられない物であった―彼は何と黒のタキシードを着て、紅い薔薇の花束を両手一杯に抱えていたのだ!しかも頭にはあのいつものターバンを巻いて!!
「あ〜、えーっとですね、この服はですね…あ、いや、こんなことを言っている場合ではないですね。え〜とですね、アンジェリーク。女王陛下のご命令であなたを聖地に迎えに来たんですよ。」
「ロザー女王陛下の命令で?」
「ええ、あなたに是非とも女王補佐官になってもらいたいので聖地に来て欲しい、と、こうおっしゃいましてね〜」
(この人は―この人はそこまでロザリアのことを―ロザリアのためにここまで来て…)
アンジェリークの中に深い絶望感が押し寄せた。 「その件でしたら飛空都市を去る時に既にお断りしているはずですので…他に御用がないのでしたらこれで失礼させていただきますわ。それじゃあ―」
「待って下さい、アンジェリーク!」
冷たい言葉を残しその場を立ち去ろうとしたアンジェリークをルヴァが呼び止めた。
「…何でしょうか?お返事はいたしましたでしょ?もう私に用はないんでしょう?!」
「あ〜、そうです。女王陛下の御意志を伝えに来たという用件は終わりました。でも、私個人としての用件はまだ終わってはいないんですよ。」
「ルヴァ様個人の?」
怪訝な顔をして聞き返すアンジェリークにルヴァは持っていた薔薇の花束を差し出して言った。
「えーっと、どうも私はこの様な時に気の利いた台詞が言えないのですが…あの〜ですね、アンジェリーク、その、私と一緒に聖地に来てくれませんか?!いや、あの、その、わ、私と結婚して下さい!」
唐突に差し出した薔薇の花より真っ赤な顔をして言うルヴァの顔をアンジェリークは 信じられない思いで見つめていた。嘘だ、そんな―
「そんな…そんな!だってルヴァ様はロザリアの事が好きだったんでしょ?!私知ってましたもの!ルヴァ様があの試験の時に頼まれもしないのにロザリアの大陸にサクリアを送っていたことを。それでロザリアが女王になれたことを!だから私、あのまま聖地に残っていても辛いだけだから女王補佐官を辞退して主星に帰ってきたんですよ!」
「私がロザリアの事を?!あ〜、いや、確かにサクリアは送っていました。でもそれはロザリアを特別どうとか思っていたからじゃないんですよ。アンジェリーク、あなたを女王にはしたくなかった、あなたには女王補佐官として、そして私の唯一人の人として聖地に残っていてほしかったからなんですよ。でもそれを言おうと思った時にはあなたは既に主星に帰ってしまっていた…私はまさかあなたが女王補佐官の役を断るとは思ってもいませんでしたからねぇ、いつもの調子でゆっくりと構えていた私がいけなかったんですね〜。ゼフェルにもそれで怒られましたよ。」
 そう話すルヴァの顔を見てアンジェリークは気が付いた。ルヴァの左目の下の頬が うっすらと青くなっていることに。
「ルヴァ様、その顔―その頬の痕は…」
「え?あ〜、これはですね、その〜ゼフェルに怒られたときの名残ですよ。いやあ、実にいいパンチをしてましたよ。」
「パンチって…ルヴァ様、まさかゼフェル様に殴られたんですか?!」
驚いて聞き返すアンジェリークにルヴァはのほほんと答えた。
「えぇ、まあそーゆーことになりますかねぇ。でもそのゼフェルのおかげで私は今こうしてあなたに会うことができたんですよ。」
ルヴァがアンジェリークに、彼女が去ってからの飛空都市―聖地で何があったのかを 話し始めた…

 ロザリアが新しい女王として即位してから聖地では一月が過ぎており(主星ではその一月で8年が経っていたわけである。)新女王と守護聖達が新しい宇宙を治めるべく日夜努力していたが何故か星々の気象は未だ不安定であり、皆の悩みの種となっていた。
 最初にその原因に気が付いたのはゼフェルであった。彼はアンジェリークがこの地を去ってからルヴァが普段にもましてぼんやりすることが多くなっていたことを知っていた。そして、その「地の守護聖」の心の乱れが結果として星々の運行を妨げていることを突き止めたのだ。
「よー、ルヴァ、知ってるか?主星ではもうあの女王試験から8年経ってるんだぜ。」
ある日、ゼフェルがルヴァの執務室に来て言った。
「はあ…もう8年ですか。」
窓から外を見てぼんやりと答えるルヴァにゼフェルはイライラしながら言った。 「あれから8年っていやぁ、あのアンジェリークももう25歳だよなぁ。もしかしたらもう恋人とかいたりしてなぁ。」
「…そうですね。そうかもしれませんね。彼女なら…」
心ここにあらずといった様子で相づちを打つルヴァを見て遂にゼフェルがキレた。
「おいっ、ルヴァ!ちょっとこっち向けよ!!」
「…え?何でしょ―!」
 ― バキッ! ―
振り返ったルヴァの左頬にゼフェルの右ストレートは見事にきまり、ルヴァは後ろに 倒れた。
「ゼ・ゼフェル、一体何を―」
「やかましい!!」
よろよろと立ち上がるルヴァに向かってゼフェルは怒鳴った。
「いつまでこうしているつもりだ!ああっ?!いつも俺にえらそーなこと言ってながらテメーの事はちっともわかっちゃいねーんだな?!そんなにアンジェリークのことを思ってるんなら何で今からでも迎えに行かねーんだよ!」
「…もう遅いですよ、ゼフェル。今あなただって言ったではないですか、彼女には既に好きな人がいるかもしれません。それに、私達守護聖はみだりに下界におりてはいけないんですから…」
「ほーっ、じゃあその二つがクリアされてれば迎えに行くんだな?」
「…はぁ?」
「アンジェリークにまだ好きな奴がいなくて、主星に行く大義名分があればアンタは アンジェリークを迎えに行くんだな?!」
「いや、あの、それは…そうですね…まだ間に合うものならば…」
辛そうに話すルヴァに向かってゼフェルがニヤッと笑って答えた。
「ホントーだなっ?!へへっ!いやさー、実は俺この間主星にパーツの買い出しに行ってよー、ちょっとアンジェリークの事を調べてきたんだよなー。そうしたらアイツ特にこれといった恋人も無しで、まだ独身でOLなんかしてるらしいんだー。あ、これアンジェリークの今住んでいる所と勤め先の住所な。」
きょとんとしているルヴァにそう言ってメモを渡すとゼフェルはさらに続けた。
「それとよー、さっきここに来る前に女王の所に行ってよ、アンタのせいで星の運行がうまく行かないって事を報告したら女王はこう言ったぜ。『地の守護聖ルヴァにかつての女王候補アンジェリークを女王補佐官としてこの聖地に連れて来ることを命ずる』ってな。」
「ゼフェル、あなたは…」
メモを受け取るとルヴァは下を向いたまま黙ってしまった。
「おいっ!これでアンタがまだウダウダ言うよーなら俺はもーアンタの言うことなんて金輪際きかねーぞ!どうなんだよ?!迎えに行くのか?行かねーのか?!」
「…ありがとう、ゼフェル。喜んで主星に行かせていただきましょう。」
 顔を上げてきっぱりとルヴァは言った。
「おっしゃあ!!おーい!入って来ていいぜ!!」
「ルヴァ様!!やっとアンジェに告白するんですね!」
「は〜い!ルヴァ!とうとう覚悟を決めたのねェ!」
「!!!」
 ゼフェルがドアを開けて叫ぶとオリヴィエとマルセルがワイワイ言いながら入って 来た。
「ゼ、ゼフェル、これは何事ですか〜?!」
「いや、なーに。アンジェ会いに行くのにその格好じゃ何だと思ってなー、この二人にも手伝ってもらおーと思ってね。」
「ルヴァ様!これ今朝切ってきたばかりの僕の庭で一番綺麗な薔薇の花です!これも 持っていって下さいね!」
「そーよ、ルヴァ。アンタ、何でこんな大事な時の服装についてアタシに相談しないのよ!ほらほら、この服に着替えて!」
「オ、オリヴィエ、この服は…」
「ええい!おだまり!さ、みんな、ルヴァを押さえて!」
「いいぜ!」
「はいっ!」
「わああぁぁっっっ!!」
 ルヴァの悲鳴が執務室に響きわたった―。

「…と言うわけで今私はこの服を着てあなたに会うことが出来たんですよ〜。やっぱり私にはこーゆー服は似合いませんかねぇ。えーっと、あの〜、それで如何でしょう? 返事は? やっぱりダメ…ですか?」
 アンジェリークは何も言うことができなかった。もしあの時、自分が勝手に思い込みさえしなければ―それを考えるとやるせない気持ちで一杯であった。しかし何よりも8年と言う月日がアンジェリークに重くのしかかっていた。
「わたし―」
 寂しく微笑みながらアンジェリークが言った。
「わたし、随分変わったわ。ここにいるのはルヴァ様が知っている女王候補だった頃のわたしではないんです。」
「あ〜、そうですよねぇ。8年も経てば誰だってそうですよ。でも、アンジェリーク、どれ程時が流れようとも私にとって『あなた』は『あなた』です。」
 その言葉を聞いたときアンジェリークはかつて抱いた自分の考えが決して間違ってはいなかったことを確信した。やはりこの人だけはアンジェリークとしての「私」を見ていてくれたのだと!
「え〜とですね、それにかえって私と歳が近くなった訳ですし、えと、25歳になったあなたも又とても魅力的だな〜なんて思ってるんですよ…アンジェリーク?あの、どうかしましたか?」
 アンジェリークが黙ったまま俯いてしまったのでルヴァは不安になり、聞いた。
「あの〜ですね、私のことを何とも思っていないんでしたらどうかそう言って下さい。あの時、あなたに打ち明けることが出来なかった私が悪いのですから…ぅわぁ・あ!」
 いきなりアンジェリークが泣きながらルヴァに抱きついて来た!
「ア、アンジェリーク?!」
「ルヴァ様、あなたが好きでした。ずっと、ずっと!」
 突然の事におたおたとしていたルヴァであったが、やがてアンジェリークの背中に そっとその手をまわして言った。
「ああ、アンジェリーク。あなたはちっとも変わってはいませんねぇ。その泣き虫な 所と言い…」
「―泣くなんて主星に帰ってきてから初めてです。」
そう言ってアンジェリークはルヴァの胸の中にその顔を埋めた。

―ややあってから―

「あっ…」
「おやぁ?寒いと思ったら…」
 二人は空から白い妖精達が周りに静かに舞い降りてきていた事に気が付いた。
恋人達は黙ったままお互いの体をその腕の中に抱きしめて、優雅で緩やかな妖精達の 踊りを見つめていた。

これが最後になるであろう季節はずれのスノウ・ダンスを…

Fin.

斉藤 由貴の「予感」を聴きながら打ったポコポコでした。