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自分も仲間も上位でゴール |
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長谷川恒男CUP 第11回日本山岳耐久レース |
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2002年10月24〜25日 |
奥多摩山岳71.5km |
快晴 |
スタートまで
今年の山耐は例年より2週間遅く開催されるということで、当日の気象を予想すること、それに対して的確な用意を整えることがひとつのポイントになるであろうと推測された。
自分としては、1年をおいての参加であり、加齢もしているということで老化した肉体の強化と、肉体にいかに負担をかけずに走るかということも大きなポイントと思われた。
肉体強化の準備として、7月の富士登山競走に参加した。
同じようなタイムで走っているランナーでも、平地や降りは苦手だが登りに強い人もいれば逆に降りだけ強い人がいるというようにさまざまである。自分は、登りに弱いほうで、いつも登りで抜かれて、降りで追いつくという展開が多かった。山耐のような長くてアップダウンが繰り返されるコースでは、登りで疲れが蓄積されると降りも体が動かなくなる。登りを強化しておくことは必須だ。何か目標がないと練習もおろそかになるタチなので、登る一方の富士登山競走に出場したというわけである。このレースは、功を奏して自己新記録を出すことができた。
8月からは、山での練習を中心においた。車で30分ほどで奥武蔵の尾根の末端に行けるのだが、そのあたりの300Mを少し越える標高の山をめぐって2〜3時間走る。もう10年ほど使っているフィールドだ。10月に入ると4時間近く走ることもあったが、大会は12時間も走るのだから、フルマラソンの練習に10〜15KM程度しか走っていないのと同じ勘定で、少ないといわねばならない。
コースの試走は9月に大会コースのほぼ中間点にあたる三頭山から以降の後半部分を仲間と1度走った。気象も涼しくて、昨年の同様の練習に比べて楽にゴールできたが、これは、レース後に上位入賞者から話を聞くと話にならないくらい少なかったことがわかった。
次に過去の気象を調べてみた。過去15年間で、大雨は1度、小雨が1度。気温は最高で16〜18度くらいのことが多く、例年の10〜12日頃のように25度を越えるなどということはない。
心配される寒さは、最低気温の最低が3.5度。これらの観測記録は麓の小河内でのものだから、標高1000Mを越えれば、もっとも冷え込む明け方でなくても0度くらいになるおそれはある。
北風でも流れ込んだら辛いだろう。防寒具、ウインドブレーカーは一考を要する。結局、やや保温性のあるTシャツにロングタイツを基本とし、防寒用にはアームカバーと毛の手袋、防寒と雨具腱用でスキー用のポンチョをいったん準備したが、沖合いを台風が通過するとのことで、夜間から雨の恐れありと予報が出たため、ポンチョをやめてゴアテックス素材のレインスーツの上だけ持っていくことにした。また、ポンチョより保温効果の高いレインジャケットを持ったために、保温力のあるTシャツである必要がなくなり、大会会場に出店していたショップで安売りしていたエンヂュランス用メッシュのTシャツとした。
ついでにここでこの他の装備を説明すると…。すぐに日が落ちるし暑くもないということで帽子はなし(ただし汗止めにはちまき)。
シューズはトレイル用ではなくジョギングシューズ(シューズが濡れて水を含んだときスポンジの使用が多いがっちりした靴は重くなるので、水はけの良い靴を選ぶようにしている。ただし靴底が薄いので角礫が多いコースでは足底を痛めるおそれがある。実は、今回は痛めてしまった)。
ストックは、視力が衰えた自分には、降りのギャップを越えるときの目の代わりにもなるもので、夜間のレースでは必需品になっていた。ところが今回は、空気が乾燥していてメガネがほとんど曇らなっかったのと、強力なライトを準備していたのでよく見えてストックはなくても良かった。ただし、これは終わってみての話であって、夜間小雨の予報がでていたのだから後悔するようなことではない。
そのヘッドランプだが、秋葉原で見つけたLED8灯で単4乾電池3本がたというものである。山道具屋では、LED4灯型までしかなかったから、その明るさは他を圧している。それでいて、電池寿命が36時間。予備電池なしでも2晩OKというスグレものである。
食物は、ややこぶりのアンパン2個、やはりこぶりの豆大福3個、芋ヨウカン1個、ゼリーのカロリーメイト1個、食事のつなぎに飴7個。飲み物は、水1L、アミノ飲料0.7Lくらい(計量時にはきっちり1Lいれておいたのだが、計量後の待ち時間中にタンクの吸水口から漏水して減ってしまった。規定では、水2Lを持つことになっている)。これに月夜見峠の給水で、エネルゲン400CC程と水をコップ半分くらいもらった。
漢方薬は、六君子湯、生脈散、葛根湯各1包(いずれもエキス顆粒剤)、健康食品の心沙棘1回分とされている5粒。
救急用に、バンドエイド8枚、ホットパック(サロンパスのようなものだが、冷やすのではなく、温める。ただし、濡れるとかぶれるのではないかと思うくらいひりひりする。ひりひりしてもいいくらいの非常時のために)。
これだけ、持っていってどれだけ食べたり使用したかというと…。
飲食物は、アンパン1個、豆大福1個、飴4個、ゼリーのカロリーメイト、水300cc程、アミノ飲料600cc。重さにしても、相当の量が残った。シャリバテ時に腹に入れるものがないという惨めな状況を想像すると、つい余計に持ってしまうのだが、どうしてもその意識は直らない。手袋とアームカバーは、雨が降らずそれほど寒くはなかったので、まったく使用しなかった。使わなかった分、飲食しなかった分を合わせると、優に1kgを超えていたのではないかと思う。ヘッドランプが明るくてストックも不要だった。もちろん、雨模様の天候なら事情は違ってくる。体力がない身としては、もっと研究しておくべきだった。以上は反省点。
スタート
スタート前にもう反省しているのでは、これで終わってしまいそうだ。ここからは、レース実況といこう。
いつもより早く会場に到着するつもりで家を出たのだが、途中乗り換え駅の西国分寺で中央線の電車にメガネをはじき飛ばされ、あまり早く到着できなかった。メガネが線路とホームの隙間に落ちたときには、割れていたら走る前から今日は棄権かなぁ、と悲しくなったが、幸いにレンズは無事だった。プラスチックレンズではなくガラス玉のメガネだと友人に言ったら珍しがられた。プラスティックレンズは軽いのはいいが、傷が付きやすいので貧乏人の私としてはガラス玉を選んでしまう。
会場には、他の仲間も先着していた。中学校体育館は大混雑だったそうだが、小生は50歳を越えているので女子と共用(中はカーテンで仕切られている)の小学校体育館を利用でき、こちらは空いていた。
一通り準備を整えたが、メイン会場でくだんのエンデュランスTシャツを手に入れてしまい、防寒具も変更することになり、パっキングをし直しているうちにスタート時間が間近になってしまった。いつも結局あわただしくなる。
FRUNのやまちゃんと旧交を温めているうちにうちのメンバーとははぐれたりし、きょろきょろしているうちにズっこけ気味に号砲が鳴った。
はじめはゆっくりを言い聞かせてややスローペースに入るが、下り坂になればどうしても速くなるし、抜かれるというのは気持ちのいいものではないので、ついつい抑えきれなくなる。
それでも、秋川を渡って前方のランナーの数をざっと数えると300人はいる。予定では、浅間峠で60位だから、250人近くを抜かなければならない。
すぐ山道に入るのにそんなに抜けるかな、と思ったのだが、このあたりの順位だ広徳寺前の坂でも歩くような人も多いのでどんどん抜けた。今熊山を過ぎ、市道山あたりになると、女子の有力ランナー間瀬ちがやさんとしばらく一緒に走る。この人の下りは見事だ。急な下り坂をまっすぐすたすたとまるで平地を走るように下っていく。上下動が少ないのは驚くばかりだ。
しばらくすると、桜井選手に追いつかれた。しばらく前で粘ったが、ついに登りで振り切られる。この人は、パワフルで、登りがすごい。登りでも結構大きなストライドで登っていく。桜井さんに続いて間瀬さんにも抜かれて離される。しばらくいくと、今度は芹沢雄二選手だ。この世界で彼の名を知らぬものはない。富士登山競走で長年チャンピオンの座を維持していた登りのスペシャリストだ。しかし、その彼が、こんな位置にいるとは?
芹沢選手にも抜かれて、やっと落ち着いた。待望の笹尾根に到達し、さあ、三頭山めがけてゴー、と気合をいれようとしたら、そこに仲間のMがのんびりと馬が道草を食うようにパンか何かを食べているではないか。今回は招待で出場しているくらいだから、まだ、第2グループ、第3グループといった位置にいなければいけないはずだ。「こんなとこでなにやってんだ〜」と一声かけて先を急いだが、早々に棄権を決めたな、とは思った。実際その通りで、今年はレベルが高く、とても入賞は見こめないと見きりをつけたのだろう。そのバックには、3週間後の東京国際女子マラソン記念大会を見据えて無駄に疲労しすぎることは避けたいという理由があった。
浅間峠で歓待されたが足を止めることもなく快調に前進。ただ、あとで思えば、給水量が少なかった。例年より涼しくてからっとしていたのと、つい有名選手に張り合っていて給水がおろそかになっていたと思う。
心配された天気も悪化の様子はなく、西から北にかけて見事に夕焼けしているが木立に阻まれて、山は見えない。いよいよ暮れなずみ、ヘッドランプを出す。ストックは浅間峠から使用が認められているが、三頭山への登りにかかるまでザックに縛りつけたままだった。LED8灯の威力は絶大で前回に比べると本当に安心して走れた。
笹尾根の道はただでさえ足元が笹に覆われて見えにくいところが多い。夜になれば次に出す足の踏み場がどのような状態なのかわからなくて、走っていても実は一歩一歩がビクビクものなのだ。つま先を木の根ぶつけて爪が死ぬくらいはいいが、転倒、捻挫は避けたい。しかし、ヘッドランプのおかげで、あやしいところと安全なところの区別がついた。怪しいところは恐る恐る足を運ぶにしても、足元に不安なく走れる個所がはっきりとわかるだけでもありがたい。
中盤戦
この大会の中間点あたりに三頭山がある。コース中最高峰で、基部の西原峠からの標高差が大きく、山頂に立つと最初にほっとできるところだ。2番目にほっとできるのは、その後に大きな登りがなくなる大岳だろうか。
最初に出場した第2回大会では、三頭山を登っている途中で頭がぼーっとし、進めなくなったことがあった。働きの悪くなった頭でなんとかその原因を探ると、シャリバテらしい。中医学で言うと気虚ということになろうか。カロリーメイトを食べたらすぐに動けるようになった。単なるガス欠のようなものだけども、すぐに回復してしまうというのが若さだったと思う。
今ではそうはいかない。消化吸収能力が落ちているので、食べてもすぐには体力の回復にまで至らないようだ。しかし、そろそろなにか腹に入れておくべき頃合なので、頂上もすぐそこという三頭山避難小屋の濡れ縁でちょっと腰を降ろし大福を半分ほど流し込む。以前浅間峠から下痢で悩まされたことがあったので、今回は消化機能変調予防のためにここで一緒に胃腸薬を服用した。この濡れ縁で夕暮れ時からずーっと富士山を眺めていた避難小屋に宿泊する登山者がいた。富士の夕焼けは言葉にならない光景だったようだ。まだなんとか富士山の輪郭だけがかすかにほの白く、墨の版画のようなシルエットで端麗な姿を見せている。そうしている間にも、目の前を数人の選手が駆けて行く。どんなに抜かれてもこんな景色を見られるなら惜しくない。
三頭山山頂からはもう富士山は見えなくて、山頂をノンストップで通過。これからしばらくは下りが続く。下りは得意だった、というしかないのが悲しいが、得意でなければタイム短縮はおぼつかない。俺は得意なんだと言い聞かせてどんどん下る。幸いにメガネが曇ることもなく前回よりよほど軽快に下ることができた。
登りでは発汗したが下りでは汗を感じない。ところが、下りきった途端にどっと汗が出てくる。そのうち、長いジグザグの下り坂をくだったところで体が左右へふらつきだした。平衡感覚が狂っているらしい。前後にふらつくならまだいいが、左右にふらつくのは奥多摩あたりの山といえども危険極まりない。スピードを落としてなぜだろうかと考える。からだがふらつくくらいだから、脳味噌もふらついていてパッとは原因が思いつかなかったが、エネルギー切れ、酸素切れ、筋肉疲労、ミネラル切れなどと順番に検討していくうち、脱水症状らしいことに気が付いた。
そういえば、スタート以来まだ1リットルの水分も消化していない。涼しくて乾燥しているときに脱水の意識がなくてよくやらかす失敗ではないか。あわてて水を含む。といって一度に取り過ぎると消化機能が変調をきたすので少量ずつ小刻みにとる。ついでに気合を入れるために心沙棘という健康食品を飲む。これは、高所障害の予防効果が知られているチベットなどでとれる木の実で、その効果は富士登山競走のときに実感している。心肺機能や循環機能の働きに活を入れてくれるらしい。まあ、飲んですぐ効くもんでもなかろうが、先は長いし気休めにもなろうというものである。そのおかげかどうか、第2チェックポイントの月夜見峠の手前にいつも足をつる階段があるのだが今回はそんなこともなく通過できた。
峠では、水がまだ800ccくらい余っていたのだが、念のために、エネルゲンを300ccほど補給してもらう。大福の残りを食べて腰も降ろさず苦手のツルツルの下り坂に突入だ。幸いに枯れ葉がかなり落ちて湿った地面を覆っており滑ることもなく通過できた。
惣岳山の登りは毎度辛いが、二人に抜かれるぐらいで登りつく。惣岳山から御前山は近い。いつもどっしり腰を降ろしてしまう御前山だがそんなこともなく通過。しかし、御前山から下る途中で体が冷え、腰の回りの筋肉が痛くなってきた。冷えと湿によるものだ。腹筋の鍛え方がたりないようだ。御前山の辺りは、夜もふけてきているのと、標高があるせいで気温が下がる。汗で濡れているし、薄着だし、そこへもってきて下りでウエストのあたりに振動を与え続けていると体を直立させているのが辛くなるくらいにジクジクと痛む。
座り込んでレインジャケットの上着を取り出して身に付け葛根湯を一服する。効果はすぐに現れて、汗ばみだすと共にジャケットを脱いだ。カッコントウは体を温め筋肉痛も和らげる働きがあるから丁度いい。ただし、登りの前に飲んだら体がかっかして仕方がないだろうけど。
この先は、ガス欠が響いてしまったせいかスピードはつかなかったが、たんたんとゴールまでの夜道を走った。最後の金比羅山からの下りでいきのいい若いランナーにぬかれたが、とても張りあえる状態ではなかった。足裏に痛みがあって。
ゴール
ゴールすると、早々にリタイアしたMが待ち構えていて、恒例となった小生のしぼんでしまった姿を撮ってくれた。
しばらくゴール近くにゴロゴロしていると、FUJIさん、富澤さん、が帰ってき、続いて岩堀さんと河端さんが手を取るようにゴールに飛びこんできた。手を取っていたどころではなく競走していたのだそうだ。
かくして、山岳耐久レースは終わった。私は50代6位入賞。昨年より年代別順位もタイムもよくなったが、総合順位は下がった。若手で強い人が増えたらしい。なじみの若佐さんは50歳代2位と健闘。FUJIさんは8位、岩堀さん10位。河端さんが女子40歳代で、青木さんが男子60歳代でそれぞれ優勝。富澤さんも40歳代で上位に入った。一緒に練習したり顔なじみになっている方はみな上位でゴールした。すごい方々とお近づきになったものである(独りだけ招待選手ながら棄権したのもいたが)。
今回は、天候に恵まれた。2週間遅れの開催で気温が心配されたが、それほどのことはなく、手袋もアームカバーも一度も使うことがなかった。風もそれほどではなく、日の出山の山頂に出たときに、一度ブルっとしたぐらいだ。漢方薬をあれこれと用意して臨んだのははじめてだったが、その効果も無視できなかった。今後も研究してみたい。
帰りはいつものお決まりコースで、肉屋でコロッケを仕入れ、ビールと焼酎で車中の反省会をしながら帰途に付いた。
2003/10/24〜25 記・えんのおづぬ
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