Dream of Love  

−−−−−  人は何のために生きるのか、                         
      それは、ただ愛のため。
              そう言い切るにふさわしい一瞬の永遠を生きた、短い愛の物語  −−−−−

掌編幻想小説
  '98年 朗読会オフ「デスの会」にてラジオドラマとして上演作品の原作。


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「ルビーの月とルビーの星」


 ある午後、私はオリーブの葉を柔らかに波打つ髪に飾り、若草色

の薄いドレープの寄ったキトンを一枚着込んだだけの姿で運河沿い

の河畔に寝そべっていた。胸元に結んだ長いリボンが風にゆれる。

 私のそんなしどけない姿には慣れっこの通行人たちは、黄金色の

夏蜜柑を一つ二つ投げてよこしただけ。



 けだるい五月の昼下がり。ときどき気紛に水面に爪先だけ浸して

飛沫をあげてみるけど、あわてたように白鷺が飛びたって、場所を

移すくらいのもの。青い水の中に陽光の織り成す濃淡のゆらめきは、

次第に眠りを誘う。時折銀色の魚だけが川面に跳ねる。



 「どうです、僕の舟に乗りませんか?」

 まったく突然に、その男は川岸にゴンドラを接け声を掛けてきた。

 鳶色の瞳、肩までサラリと届く真直ぐな褐色の髪。



 「あなた名前は?」

 「リブロ」

 「私の名はリベラよ。偶然ね」



 私は近くにいた顔なじみの老水夫から、赤ワインのボトルを一本

譲り受けると、するりとそのゴンドラに滑り込んだ。彼の瞳の奥の

光を一目見たときから、恋に落ちたのだ。

 積み荷にもたくさんの酒瓶があった。赤いのはワイン。青い液体

は何だろう。薄荷酒か。それともヴァイオレット・フィズか。

 舟は運河を離れ、港を離れ、外海へと漕ぎ出す。



 私たちは一本目のワインをすぐに飲み干し、積んでいたシャンパ

ンを互いにかけ合いびしょ濡れになりながら笑い崩れた。そして、

船底に崩れ落ちながら幾度も口づけを交わし、また笑い転げた。



 ひとしきり笑い尽くしたあとは、彼の胸に頬を寄せて海風を感じな

がら過去から未来までの、様々なエピソードや思いを語り合った。



 空は青い。雲は時折流れていくけれど。波は静かだ。舟の舳先を、

時々、気紛のように、トビウオがはばたきながら飛び越していったり、

ザブン、とボラが跳ねたりした。そして、そのたんびにまた二人は顔

を見合わせ、クスクスと瞳の中で笑った。



 でも、夕日が傾くとリブロは少し憂い顔になっていった。理由はわ

かっていた。



 「出会う前からあなたのことも知っていたし、あの娘のことも知って

 いたわ。

  でも、あの娘なら自分で瞳の中に蒔いた金色の種が、明日の午後

 には華麗な花を咲かせて、向こうの世界に言ってしまう人なの。

  ‥‥‥あなたも、そのことは知っていたでしょう?

  私たちはこうなる運命だったのよ。

  私も昨日、長い間一緒に暮らしてきた男と別れてきたところ。

  二人とも、もう戻るところはないのよ」



 夕日が沈み切ってしまうと、港を取り巻く都市の気取った喧噪や

ネオンの華々しい色彩がが陳腐に空を染め、文明の堕落と腐敗の匂

いを浮かび上がらせ始めた。

 左舷と右舷のランプのほかは、大きなカンテラ一つだけの私たち

のゴンドラはまるではかなげに漆黒の波間を漂う木片のよう。



 「まるで『難破船』ね」

 と、私が言うと、リブロは片頬だけでひどく淋しく笑った。



 私は、あわてて何か自分の深いものを見抜かれたような気がして

薄もののキトンの胸元に隠しているものを見られまいと、急いで前合

わせをかき合わせた。しかしもう、遅かったようだ。



 取り乱したのが返っていけなかったのだ。リンリンとその光は明滅

し始めてしまった。しかも悪いことに、さっきからしたたかに飲んだ

ワインの酔いがドクドクと一層胸の鼓動を早くしている。そのせいで

ますますその光源は、強く赤いルビー色の冷たい光線を放ち始めた。



 誰にも知られたくなかった私の疾患。胸に点る赤いランプの明かり。

左の白い乳房のちょうど乳首の上あたりの、三日月型の小さな赤い傷

に、またいつものようにルビー色の輝きがまばゆく点滅し始めたのだ。

 その輝きは、今や暗闇に赤い蛍のように浮き上がっている。



 三日月の傷跡から放たれた光の粒子は、次々周囲の闇を走る。積み

荷のガラスの酒瓶や酒樽の上をめまぐるしクルクルと照らす。ドク・

ドク・ドク‥‥。心臓の音は早鐘を打ち、それがそのまま、点滅する

月形の発光体をますます深紅の光に染め上げていく。



 私の貌はきっと蒼白になっていたことだろう。白い乳房を切り裂いて

光る夜光虫のような傷。こんなに恥ずかしい秘密を知られてしまっては、

もうこれ以上彼には愛してはもらえないだろう。

 うつむいたままの頬につんと一筋涙が伝う。



 「なぁに、気にすることはない僕だって同じさ‥‥」

 彼は白いシャツの胸をはだけた。



 褐色の右の胸の乳首の上には小さな星形の赤い傷がルビーの輝き

を放っている。過去から現在までの幾層もの傷が複雑に重なり合っ

て星の光彩を形づくっている。

 発光された赤い輝きも、点滅も、私と同じ陶酔感すら感じるほど

の嫌悪と悔恨と追憶と孤独の光彩だ。



 彼の傷口にそっと口づけるとかすかな赤い血が吹き出た。

 「あの娘と別れたばかりですものね‥‥」



 そう言葉にだしただけで私の傷口からもつつと赤い血が吹き出て

左の乳房を濡らし始めた。赤い鮮やかな光を放つ液体は、指を伝っ

て船底までつつつつっと滴り落ちていく。



 私たちは無言で見つめ合い互いの胸の傷口と傷口を重ね合わせた。

お互いの血が混じり合う激しい傷みと陶酔のままに口づけを交わす。

突然、炎の傷みが全身を走り抜けて去った。



 私たちの胸から幾千筋もの赤い流れ星が空へと打ち上げられ、ジュ

ジュッと凄まじい音をたてて波間を焦がしながら沈んでは消えた。



 私たちのゴンドラの行方は舟を導く女神に伝わったようだ。

 舵先は静かに南へと進路を変え、銀色の波紋を縫ってゆるやかに

月夜の海へと漕ぎ出していく。






             −了ー



 
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