イプセン ヤーマス伝


イプセン ヤーマスは、第10部隊の歴史に残るどの兵士よりも死亡を宣言された回数が多いという点で際立った人物である。
965年、ヤーマスはフロストスパイア峠でゴブリンの侵略部隊についに敗れたと思われたが、3日後には巻き返し、ゴブリン軍を血まみれで敗走させている。
また、987年にはかわいがっていたラバのカプラインを助けようとして、吹雪の中で生きたえたと伝えられたが、その1週間後、ヤーマスは腹を空かせ、ブーツの穴に苛立ちながら姿を現したのである。

ヤーマスの死の噂は、彼の盟友にとってはおなじみの気晴らしの種であり、敵にとっては夢物語である。
ヤーマスは、自分に死が訪れるのは生きることに疲れ果てたときだけで、そんなときでも死神は援軍を連れてこなければならないだろう、と語っている。

944年、アガラン山頂で生まれたヤーマスはかつて第10部隊付きの料理人をしていた母に育てられ、16歳のときにアズナイト宗教会議の使いとしてエッブ王国を目指して西へ向かった。
961年、ヤーマスはエッブ上を訪れ、母親のかつての持ち場を希望して採用を願い出たが、料理人としてよりも軍人としての能力をはるかに高く評価され、その後まもなく小隊の司令官に、そしてすぐに中隊の司令官に任命されたのだった。

偽ゴブリン事件の際には、ヤーマスはフェドウィルの道の治安維持部隊として任務についた。
グレイシャーンの塔がゴブリン軍に包囲されたとき、ヤーマスは部下のほとんどを鉱山防衛の援軍に送り込んでいたが、手元に残したわずかな兵力でこれを撃退した。
そしてその数日後、グレイシャーンを通って王国の東側へ侵略しようとしていたゴブリンの2個小隊を完全に打ち破ってゴブリンの脅威をきわどいところで食い止め、ついには退却へと追い込んだのである。

994年に軍を正式に辞した後、ヤーマスはグレイシャーンの防衛と警備を監督する王国西部司令官に就任し、同時に王国の全採掘場の責任者として任命された。
退役したとはいえ、ヤーマスは伝統ある第10部隊において最も尊敬を集めた戦略家の1人であり、グレイシャーン界隈のあらゆる物事に影響力をもつ名司令官として、今でも頻繁に各方面からその指導力を求められている。


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