『かぜ見舞い』

 風邪を引いた。
 レオは元来体は丈夫な方だ。むしろそれ故に油断してこっぴどく引いてしまったのかもしれない。熱が出た最初の日は医者へ行く体力すらなく、2日目の今日になってやっと這うようにして医者へ行った。注射を打ってもらい、今日1日は大事を取って安静、と仕事の関係者へ伝えてひたすら寝込んでいた、その午後。
 申し訳のようにチャイムを鳴らしてから誰かがドアを開けて入ってくる気配がした。外の合鍵を使ったらしい。
「レオー?元気ー?」
 ひどくのんきな声に、レオは一瞬耳を疑った。レオの危惧とは裏腹に、鼻歌まじりで廊下を歩いてきたスギが部屋の戸からひょっこり顔を覗かせる。
「来るな、すぐ帰れ」
「やっぱまだ声がらがらだね。勿体無い」
 気にする事無く寄って来るスギにレオは目を閉じ、深く深く溜息をついた。
「……スギに移ったら、誰が歌うのさ……」
「病欠の人のプリントは学級委員が届けに来るもんなの」
 スギはがさがさと鞄から書類を取り出してレオの枕元に置く。本人はベッドの枕元へ椅子を引きずってきてそこへ収まる。
「まぁ今日する仕事済んだし、今スタッフの中で一番暇なの僕だし」
 言いながらスギは掌をレオの額に当てた。
「まだ熱あるんだ。珍しい」
「珍しがるなよ」
 スギの掌がひんやりと冷たい。スギが冷え性と聞いた事もないから、確かにまだ熱があるのだろう。
「あっ、そうだそうだ。レオー、チョコ食べる?」
「………いらない」
 レオはげんなりと答えた。昨日に比べたら大分よくなったとは言え、食欲は余りない。
「あっそう。じゃぁ口開けて?」
 人の話を聞け、とつっこむ体力も今は無い。レオは微かに口を開ける。その口へ、電光石火の素早さで何かが突っ込まれた。
「……?」
 判別する間も無く突っ込まれたものをくわえて、レオは口の中をもごつかせる。プラスチック製の小さな匙の上のものは冷たく甘く、そして確かにチョコレートの匂いがする。
「……アイス?」
 レオの言葉にスギは答えず、ただ笑った。
「薬だけ飲んでんじゃぁ体に悪いでしょ?」
 スギはひどく上機嫌にレオの口から匙を引っぱりだして次の一口を手の中の容器からしゃくう。
「自分で食べるからいい」
「いいからいいから」
 よくない、とレオはベッドから上体を起こす。スギはレオの口元へ匙を出した。
「スギ」微妙に張ったこめかみに手を当て、げんなりとレオが言う。
「何?」
「面白がってないか?」
 スギは笑って、それでも大人しく匙をレオに渡してくれた。
「やだなぁ、病人で遊ぶ程悪人に見える?僕」
 レオは返事をせず、ただアイスクリームを口に運ぶ。
「心配だから様子見に来たのになー、冷たいなー」
「だから遊んでないで早く帰れってば。本当に移るぞ」
 スギは足を組み換えて不満げに首筋を掻いた。
「大丈夫だよ、多分」
「何が」
「僕もう今年の風邪は免疫できてるし」
 レオはきょとんと目を見開いた。スギが風邪を引いたなんて話は聞いていない。
「………いつ、引いた」
「治ったばかりなんだよねぇ、これが」
 スギはしれっと、それでも微妙にバツの悪さを滲ませる。
「いや、早めに医者へ行ったからよかったようなものだけどさぁ」
 アイスクリームのカップを握るレオの手に力が入る。
「出てけ」
「言うと思った。アイスに当んじゃないよ」
 スギはレオの手からさっさとアイスクリームを取り上げて蓋をし、台所へ消えた。
「寝てなよ」
 レオの上体を押すスギの声がいつになく優しい。 多分、移した負い目か只の酔狂だとは思うのだけれど。
「スギ……いつ、風邪引いてた?」
 レオの知る限り、スギはずっと元気に見えた。気がつかなかった事が、少し悔しい。
「気がつかなかった?」
 スギは悪戯に成功した子供のように得意げだ。先週の中頃から今週の頭まで、と言う。
「カップ間違えて僕のコーヒー飲んじゃったりするから移るんだよ、こっちは気ィ使ってたのに」
 言われてみれば、そんな事でスギがぶつくさ言った事があった気がする。まさかにそれだけが原因だとは思わないが。レオは何度目かの溜め息をついた。
「不覚、だったな」
「そーだね。でも割といつも詰めが甘いと思うよレオは」
 スギはただくすくすと笑い、レオは目を閉じた。
「あ、そう言えば、リエちゃんとさなえちゃんが手ぇ空いたら見舞いに来るってさ」
「忙しいんだろうに、あの2人も」
「うん、だから移すなよ?」
 移す相手が選べたら苦労はない。レオはまた溜息をついた。
「お前もな」
「うん?」
「さっさと帰って寝てなって。治りかけはぶり返すよ?」
「……わかる?」スギは肩を竦めた。
「何となく」レオは体を起こして目を細めた。「テンションの加減がね」
 やたらと元気過ぎるのだ。
「折角たまには優しくしたげようかなーと思ったのになー」
「具体的に、どんな」
「掃除とか洗濯とか」
「……スギの部屋じゃ無いんだからさ」
 レオは雑多なものがうずたかく積まれたスギの部屋を思い出した。こざっぱり、とは言い兼ねる現状でもあの部屋よりは遥かにまし、と断言できる。
「それに」言い差して、レオは口にするのを止めた。
「それに?」
「……いい、何でもない」
 レオは再び布団の中に身を伏せる。こればっかりはスギがごねようがしつこかろうが言う訳にはいかない。言ってしまえば後々まで向こうは覚えているに違い無いから。
 たまには、とか言わなくたってスギは十分優しいじゃないか、なんて。
 口にするのもされるのも恥ずかしい事、面と向かって言えるものか。
「何だよ、言えよー」
 スギがゆさゆさと布団を揺すった。
「うるさい、子供かお前、さっさと帰って風邪治してこい」
 文句をつけてレオは布団越しにスギを蹴飛ばした。

 明日にはきっと、元通りだろう。


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 コピー誌「桜とカラス」掲載から自分に優しいリサイクル。ちょっとしか作らなくて売り切れ御礼だったし、再版予定もないからよいかと言い訳。本当に微々たる所を書き換えたり。(04/07/7up)

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