『無知の不知』

「え、うっそぉッ!」
 マコトは叫んだ。通る人が何事かと振り返るので、KKは眉をしかめたがマコトは一向に意に介さない。
「Kさん、あそこでバイトしてんの?」
「ん、まぁな。割と前からの付き合いで」
 あそこ、と表されている場所はとあるカフェである。味でも雰囲気でもそこそこの定評あるカフェだ。
「まぁ、そんな大して入ってる訳でもないから会社も黙認なんだがね」
「へー、そうなんだ。じゃぁあの制服着るんだKさん。見たいなー」
 それはありがちとも言われるが、所謂黒のギャルソンの制服。タイにベストにエプロン、ズボンと黒基調だからこそ白のシャツが映える。細身のKKが着たらどれだけ似合うだろう。
「ね、次はいつ入るのKさん」
 うきうきわくわくと目を輝かせるマコトに、KKは呆れたように煙草を置いて煙を吐いた。
「……見せ物になるようなもんじゃねぇぞ?」
「いや、だって見たいんだもんあのカッコのKさん!別に邪魔しないから!写真撮ったりもしないから!」
 泣きつかんばかりに迫ってくるマコトを前にKKは長いため息をついた。別にどうしても近寄るなと言いたい訳ではないのだから、困る。
「今日なんだがな、もう行かないと」
「ねぇ、一緒行っていい?」
 にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべてマコトがじっとKKを見た。いい、と言ってくれるという期待を満面にあふれさせた明るい笑顔だ。KKはにべもなく言った。
「だめ」
「何でっ?」
 一気にマコトの眉が下がる。待ちかねていた散歩におあずけを食った犬のようだ。
「あー、いやその。どうせなら、仕事上がりに一緒帰るってのはどう……」
 言い終わる前にマコトの表情が再び明るくなった。
「行く。絶対行く。上がるの何時?」
「あ、あぁ……」
 十数分後。
「よぉKK、同伴出勤?」
「野郎と同伴したって嬉しかねぇや」
 同僚の言葉にKKが嫌そうに肩をすくめる。あの後結局自分の「店が近いから」というマコトはここまで一緒についてきたのである。その上戸口の前で「じゃぁねぇ、上がる時間には迎えにくるからー」とこれまた大声でのたまうマコトにいつものように一発蹴りはくれたものの、その程度でへこたれるマコトではない。
 一度位掛け値無しの本気で蹴飛ばしても大丈夫なんじゃないか、とKKが思うのはこういう時だ。
「ま、馬鹿言ってねぇで仕事だ仕事」
 今日も店は盛況、忙しくなりそうだ。上がりは11時、実動8時間。八つ当たり半分に勢いよく扉を閉じたロッカーは妙にいい音がした。

 そろそろ客の数も減ってきた10時近く、いらっしゃいませー、と響く接客の声にKKが入り口を振り返ると見慣れた顔が見えた。小さく手を上げるマコトに、一応目で笑ってKKは水とメニューを手にマコトの席に寄る。
「Kさん」
 KKの顔を見てマコトは顔をほころばせた。
「すごく、かっこいい」
 言葉少なの感想だが、マコトの顔に「来てよかったぁ」と書いてある。KKは苦笑した。
「そんな事言っても何もまけてやんねぇよ?オキャクサマ」
「いやもういっそこのままKさんテイクアウトしたい」
 さすがに店で客を殴る訳にはいかないから、KKは青筋を立てながらにっこりと営業スマイルをキープする。微妙に引きつってはいたが。
「馬鹿言ってねぇで御注文早くお決めになってくれやがりますか」
 はーい、とわざとらしく返事をするとマコトはメニューを広げた。
「カプチーノとBLTサンド、と。この時間だっつーのにアルコールとか飲まない訳?」
 確かにマコトは酒に弱い。だが嫌いではないはずだ。KKが尋ねるとマコトは恥じらうように目を半分伏せ、テーブルにのの字を書いた。
「だってここで酔ったらあらぬ事口走りそうで」
「沸いた事仰るんじゃありません」
 KKの背筋は今鳥肌が立っている。ボールペンを握る手に不必要に力が入っているのもむべなるかな。
「だからノンアルコールなんだってば。怒んないでよ」
「あーはいはい怒ってねぇよ」
 やる気なく答えてKKはカウンターへ向かった。
「何だKK同伴出勤だけじゃなくてアフターまでついてたんか」
 からかうように声をかけるのはさっきの同僚。KKはゆっくりと振り向いた。
「……俺はそういう冗談は大ッ嫌いなんだがな?」
 静かな声で、口元が薄く笑っているだけにとても怖い。勿論目は笑っていない。
「わかったから指をパキパキしねぇでくんないかな……」
「わかればいい」
 うん、と頷くとKKはちらりと客席に目をやった。
「……ただの友達だ」
「でもあんたの友達って俺初めて聞くなぁ。それにあれ、カリスマ美容師のほら、なんつったっけ」
 いい加減その話題から離れてくれ、とKKは小さくため息をつく。
「マコト」
「そう、それ。どういう関係で友達になる訳?」
「知るか」
 同じ日にポップンパーティのステージに立ったのが最初の出合いだったが、そんな事まで話す気になる程KKはこの同僚と親しくない。詮索されるのもごめんだし、「あれ」だの「それ」だのという言い種も気に入らなかった。
「んな事長々言ってる暇ねぇだろ」
 丁度厨房から料理が出たのでそれを運び、KKは真面目に仕事、という体裁でその話題を打ち切った。幸い店は忙しい。料理を運び、注文を取り、灰皿を替え水を注す。そんなKKの姿を嬉しそうに見ていたはずのマコトの様子がおかしいのに気が付いたのは30分ばかり経った頃だろうか。
 振り向けば必ずそこにあって、何がおかしいのかヘラヘラ笑っていたはずの視線がずっと下の方にある。所在なくカップをもてあそぶ手先にも力がない。
「マコト、どうかしたか?」
 それとなくKKが囁くとマコトは顔を上げ、微笑んだ。
「ん?何でもないよ?おいしかったしさ」
 何でもなくも、おいしかったようにも見えない。
「どっか具合でも悪いんじゃねぇだろうな?」
「やぁだ、そんな事ないってばKさん」
 見上げる笑顔は人気の美容師らしい、板についた営業スマイルだ。KKは眉を寄せた。言うべき言葉を探す間に、周囲を見渡す。
「でも……ごめん、ちょっと用事思い出した」
 言うとマコトはひょいと立ち上がり、伝票を手に取った。
「……そう、か」
 ぎこちない仕草といかにもとってつけたような理由が引っ掛かったが、KKはそういったことの対応が不得意だ。それに今は仕事中である。迷う内に、向こうの席から声がかかった。
「ほら、呼んでるよ。あとで、また連絡する」
「おう、……気を付けて帰れよ?」
 小さく、手を振って店を出ていくマコトの後ろ姿はやけに小さく見えた。

 連絡する、と言ったくせにマコトからは何も音沙汰が無かった。律儀でマメな性分のマコトが、連絡して来ないのが珍しいだけに、気にかかる。KKはマコトの愛想笑いを思い出す。
「なんだったんだろうな、あれ」
 ぼそりと呟いた。そう、確かに途中までは機嫌良くしていたはずなのだ。
「手を動かせKK」
 一緒に掃除をしているGが、やはりぼそりと返す。
「んー」
 微妙に上の空なKKに、Gは訝しげな顔を上げた。
「どうした」
 んぁー、と上の空の相槌を打ってからKKはぽつぽつと事情を話す。ひと渡り語り終えたところで、Gはため息をついた。
「何よ」
 いかにも「お前もあほだな」という様子のGに、KKはむっとして手を止めた。Gは再びため息をつき、やれやれと首を竦める。
「……できれば身内にホモは欲しくないんだが」
「あいつはともかく俺はホモじゃねーよ」即答してからKKはGに向き直った。「で、何かわかる訳?爺さん」
 Gは再びやれやれと首を振った。
「まぁ、正確かどうだか知らんが昔話をひとつしてやろう」
「うんうん」
「昔、お前よりまだ若い頃、付き合っていた女がな」
 えらく古い話だな、とKKは思ったが大人しく黙っていた。
「長続きはせなんだが、女給さんでな。」
「……じょきゅう。」
「ホステスさんと言えばわかるか」
 あぁ、とKKは頷く。それ以上何か言ったら話が打ち切りになりそうなので頷くだけで留めた。
「仕事を辞めてくれと言ったら悋気だの甲斐性無しのくせにの色々言われたっけなぁ」
 おそらくは相当もめて泣いたりした記憶なのだろう。Gの目は過ぎた時間と同じだけ遠かった。KKは腑に落ちないまま首筋を掻いた。
「話が読めねぇ」
「そんなだから癇癪を起こすんだろうよ、あの坊やは」
 Gの台詞に、KKは首を傾げる。
「んなこと言われても、今の話とあいつと」
 言いかけてKKは気が付いた。あの日の同僚は、時間柄殆ど男。客も男と女とどっちが多いかと言われたら、多分男。ただしマコトは同性の自分に恋着している訳だから。
「えーと、何?あいつが妬いたりしてるんだろうってか?」
「他に何かあるかね」
 KKはたっぷり5秒は考えた。
「無い、と思う……。」
 ほらみろ、とばかりに鼻で笑い、Gは再び仕事を始める。きりきりと働く背を横目に見て、KKは小さくひとりごちた。
「めんどくせぇ……」
 KKは執着心の薄い方である。嫉妬という言葉の意味は実感できないし、むしろ鬱陶しいとさえ思う。
(けどなぁ……)
 KKはため息をついた。マコトは、KKがそういう粘着質の感情を嫌うのを知っている。だからこそ何も言わずに帰り、屈託なく笑えるようになるまで連絡をしてこないつもりなのだろう。マコトはそういう男だ。
(しょうがねぇなぁ)
 休憩の時にでもかけてやろうと、KKがポケットの中の携帯電話を探った。何がしょうがないといって、機嫌のひとつも取ってやろうと思う自分が一番しょうがない。自分が何か悪い事をした訳でもないのだから、機嫌良くなってもらうには ラーメンの1杯位で十分だろう。
 めんどくせぇとしょうがねぇを繰り返しながら、KKはモップをひと振りする。
「ま、いっか」
 こきりと首を鳴らし、KKは仕事に戻る。
 天気は上々、夕方はきっとラーメンというよりビール日和だ。


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 マコKです。(一応念押し)。
 マコト視点で見るときっとカフェは狼の巣です。無自覚な赤頭巾に涙しながらダッシュで帰ったと思われます。痛。そして弱。それでこそマコトなつもりなのですが、そうなんだろう。(04/07/28up)

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