『Never say, ever again.』

「ふう」
 ごろりと宿舎の部屋に転がって、嶋本はため息をついた。
 重油の気化ガスを吸って昏倒した隊長には、一応大事を取って入院してもらうことにした。それにまつわる事務処理を片付けた嶋本が再度病室に顔を出すと、当の真田は体を起こして荷物をまとめていた。
「うろうろせんと大人しう寝とって下さいっ!」
 と怒鳴り付けてとりあえず布団の中に放り込んできたが、どっと疲れが押し寄せるのは何故だろう。
 不承不承の態で横になりながら、真田は「腹が減った」とはっきり言った。安心もするが腹も立つ。自分が死にかけたことを本当にわかっているんだろうか、あの人は。
 あの様子なら明日中には間違いなく羽田に帰ることができる。寝られる時には寝ておくべきだ。
 電気を落として目を閉じると、今日の現場が目に浮かぶ。あの時、嶋本は救出不可能、出動しないと決めた。その判断に誤りはなかっただろうか?
 日本3大急潮のひとつ、西海橋。
 最大深度50mの海底へ繋がる渦潮と、8ノットの潮流に乗った遊覧船。自分が該船へ泳ぎ付いて意識のない真田を捜索・救助し、脱出するまでに必要な時間と、渦に船が到達する時間を比較する。
 無理だ。船から抜ける前に、船は渦に呑まれる。
 では渦に呑まれて海底へ沈むリスクに賭けるべきか?いや、それでは二重遭難の恐れが高過ぎる。
 何度考えてもあれは奇跡だ。そう結論づけた。
 ならば、と嶋本は自分に問う。
 同じことがあったとして、自分は奇跡の再発を信じるか?
 ──否。
 しかし、再びの奇跡を期待しないと、保証できるか?
 ──応、とは言い切れなかった。奇跡を想定に入れれば、判断の誤りを招く。隊長に万一のことがあった際、現場の指揮を取るのは嶋本だ。自分の判断ミスは、チーム全体の生死につながる。
 もう1度があったら、どう動くか。
 寝つけなくなった。

 翌朝。寝不足の目を擦り、今日の自分達の予定を組み立てながら食堂へ下りてきた嶋本は、頭痛を感じてこめかみを押えた。
「……入院してたんじゃなかったんすか、隊長」
「あぁ、もう何ともないから出てきた」
 真田はけろりとした顔で朝食を食べている。いつもと変わったところは全く見当たらない。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
「全く問題ない」
 これが昨日ガス中毒による酸欠で昏倒した人間の言うことだろうか。嶋本はため息をぐっとこらえて、言った。
「ほいたら午前中に帰りますか。ちゃんぽんが食べたいとか言わんで下さいよ」
「…………。」
 何故そこで黙るか。
「食いたいんですか……?」
 こくり、と真田が頷くのを見て、嶋本は本気で頭が痛くなるのを感じた。

 ファルコンの中、嶋本は昨日の現場の夢を見る。
 限界深度40mギリギリのきつい水圧も、真田のボンベからちゃんと酸素が出ていると知った時の安堵も、ぐったりした真田が返事をしない不安も、夢の中で繰り返す。
 目が覚めたのは、高嶺と真田が話をしているのが聞こえたからだ。
「何度も見てる風景なのに、今日はやけにまぶしいな」
「助けられた命なんですから新鮮に見えるでしょ」
 嶋本は目を開ける。笑い事ではない。自分達、トッキューの潜水士が要救助者になって命を助けられるようなことは、決して笑い事では済まされない。
「隊長!!」
 嶋本は席を立ち、きっと真田の顔を見据えた。
「今回の件、自分の判断は間違ってたとは思いません」
 真田は穏やかな目で自分を見上げる。
「もう1度同じことが起こっても‥‥、やはり自分は、救助に行かないと思います!!」
 視線を外して逃げ出したい衝動を、嶋本はじっと耐える。
「……嶋本」
「はい」
 真田はカップを置いて、微笑んだ。
「それでいい」
 聞いた瞬間、嶋本は涙が溢れそうになるのをぐっと堪えた。一礼し、物も言わずギャレーへ飛び込む。
 真田の言葉は許容でもあり、通告でもある。
「それでいい」
 それは嶋本の判断にも、そして真田の判断にも間違いはなかったということだ。
 ミスであれば自分達は繰り返さない。しかしそこに誤りがないならば、同じことはまた起こりうる。
 何度でも、見殺しにしろと。
「それでいい」とはそういう意味だ。
 嶋本は口元を押え、嗚咽を抑えた。自分か、真田か、どちらかの判断に誤りがあったと言って欲しかった。2度目はないと、あんな思いをもうしなくてよいと、言って欲しかった。
 何を子供みたいな、と自分で思いながらも、涙が止められない。
 どれだけ泣いたか、ふと後ろに人の気配を感じて嶋本はちらと振り返った。そっと、無言で差し出される濡れタオルの先に、高嶺がいる。
「……辛くて泣いとった訳やないで」
 どこかきまり悪くて嶋本はそんな憎まれ口を言った。高嶺はただ笑って頷き、嶋本の肩を叩く。
「よかったよ、ね」
 高嶺のそのひと言が胸にしみる。嶋本は頷いた。
「そや、な。誰も死なんかったもんな」
 ん、と再び頷き、嶋本は腰を伸ばす。
「あー、今日も富士山が綺麗に見えるっ」
「どこから?」
 嶋本の目の前に窓はない。
「そこら辺は心眼や。細かいこと気にする奴ぁモテへんでー」
 からからと、やっと笑うことができた。
 帰ったら、もし万一、の確率を下げる為にも訓練をしよう。どんな場合でもついていけるように。
 嶋本は頬を叩いて気合いを入れ、客室へ歩く途中、窓から見えた富士山に頭を下げた。


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 な、なんか書いてみると異様に乙女だなぁ嶋本副隊長……。原作の西海橋、嶋本さんどっから切っても乙女なんだもんよ……しょうがねぇじゃんかよ……(言い訳)。
 心配のし甲斐が無い隊長の頑丈加減が腹立たしくも愛しい。あんなとんぼ返りの仕事の中でいつの間に佐世保駅のちゃんぽんなんて味を覚えてきたんだ隊長。
 タイトルは007の文字りですが。「Never say never again」の意味を「二度とないなんて言わないで」と訳してたとこが、どっかであったとですよ。意味反転。もーこれっきり勘弁して下さい、の意図です。英語に自信がありません。
 トッキュを勧めてくれたグンさんに。(06/02/23up)

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