「新生」

 髪の毛を切ってもらった。鋏と剃刀を使う軽い音、肩下まであった栗色の髪が束になってケープに落ちる音。他には何も音が無く、心地よい緊張感がある。儀式のようだ、と薫は思った。

 兄、柾希が極秘裏にICUに入って数日。柾希が倒れた直後、薫も現場から引き剥がされたから闘いの様子は解らないが、秋月屋敷の庭に残る痕跡からその激しさは容易に想像できる。
 星の読み間違いだと、外れてくれればいいと、心から願った予見…兄の死。倒れた兄の血の気のない顔に不吉な予見の的中を悟り、同時に秋月家に伝わる禁呪を思い出した。星の動きを曲げて未来を変える禁呪の事を。
 命を賭けても成功するか解らない術式だと聞いた。如何なる理由があろうと星の流れは変えてはいけない、その事は幼い頃から「星見」秋月の家に生まれたものとして叩き込まれている。
 それが、どうした。
そう思った事をはっきりと覚えている。

 櫛で髪が引っ張られ、落ちてゆく。ケープの下で薫はそっと足を撫でた。何の感覚も無くなってしまった足が、その禁呪の代償である。柾希の意識は戻らないかもしれないけれど、小康状態を保っているという。覚悟の割には中途半端な結果だなと薫は微かに苦笑した。命は落とさなかったけれど、完全には救えなかった。
 つい数日前までいつも柾希の後に付いて歩いていた。どの道を歩めばいいか、柾希が教えてくれた。これからは自分が秋月の家を導かなくてはならない。責任の重みと、感傷と。しかし同時に、恐らくは今までと違う人生を歩む高揚感がある。

「できましたよ。」
 手渡された鏡の中、今まで見た事のない人がいた。少年とも少女ともつかない顔。兄でもない、自分でも無い顔。笑顔を作ってみると鏡の中も笑う。これがこの先付き合っていく若当主の顔だ。
「うん、上出来。」
「恐れ入ります…」名前をどう続けていいか戸惑う家人に彼女は微笑んだ。自分は兄と同一人物にはなれない。でも兄の後ろで隠れている妹には戻らない。だから、どちらも名乗らないと決めた。
「マサキ。これからはそう呼んで」
 生まれて初めて自分で決めた名前は、思っていた以上に軽やかな響きで空に吸い込まれていった。

終(00/8/2)
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