「秋刀魚」
忙しい1日だった。台風一過の爽やかな秋晴れの中、壬生と村雨は如月の蔵を掃除と収蔵品の点検に付き合い、時刻は夕飯の頃合である。未だに品物台帳や出納帳と格闘している如月に変わって壬生は夕飯の支度をしていた。
今日の主菜は今が旬の秋刀魚である。店も住居も骨董の部類に入る如月の家に、無論魚焼き器などと言う文明の利器はない。
「強火の遠火…と」
器用に火加減を調節して、壬生は網のうえに秋刀魚を並べた。魚を焼くのは存外時間がかかるし、ひっくり返すのは一度きりの勝負である。
昔の人曰く、「魚を焼くには殿様がいい」。気長に、のんびりとした心構えで焼くべし、との教えであるが…煙がもうもうと立ち上がり、魚の焼ける匂いもしてくれば、焦がす方が心配になるのも道理。
「まだだろ」
壬生が白煙の中の秋刀魚に菜箸を伸ばした瞬間、唐突に後ろから声がした。振り返ればいつの間にか村雨が壬生の肩越しに秋刀魚を覗き込んでいる。
「…村雨さん。」
どうせなら手伝って下さい。壬生がそう言い終わる前に村雨は片手で顔を扇ぎながら行ってしまった。ちなみにもう片方の手にはビールの缶を持っている。
壬生がため息をついて秋刀魚に戻ると、奥の方から如月の怒鳴り声が聞こえた。程なくして再び台所の前を村雨が歩いていく。
「おーい壬生」
村雨は戸口から秋刀魚を凝視する壬生に声をかけた。
「何ですか」
「そろそろひっくり返さねぇと、中まで焦げるぜ」
言うだけ言って村雨はまたスタスタといなくなってしまう。玄関の戸の音に続いて表で自転車の音がした所を見ると、ビールの追加でも買いに行ったらしい。
3尾の秋刀魚をひっくり返しながら壬生は昔図書館で読んだ本を思い出した。
『忙しくしている家にいつの間にか入ってきて、茶の間で一人でくつろいでいる』
…いたなぁそんな村雨さんみたいなのが。
その本の名は「妖怪大辞典」。村雨似と評された妖怪の名は「ぬらりひょん」である。
お粗末。(00/9/20)
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