『残日』
ぱちん。
将棋盤が小気味よい音で鳴った。
「王手。」
少年がにやりと笑う。対する側の少年はじっと盤を睨み付けているが…勝敗は明らかだった。
「…くそ。投了だ投了ッ!」
不貞腐れたように上体をそらした少年の名は村雨祇孔。それを心地よさ気に眺めてもう一人の少年…秋月柾希は将棋盤を片付け始めた。
「あ、何だよ柾希。もう一勝負やろうぜ?」
「祇孔。勝負は引き際が肝心なんだよ」
穏やかに笑みを浮かべ、柾希は村雨の手の届く範囲から盤と駒を遠ざける。
「なら花札で一勝負行こうじゃねぇか」
村雨は上着のポケットから花札を探り出し、挑むように手の中で厚ぼったい束を弄ぶ。
「往生際が悪いね。勝ち逃げする立場の僕が、何で君の一番得意な花札で勝負をしなければいけないんだい?」柾希が片付けの手を止める様子は無い。
「さっきまでお前が一番得意な将棋で勝負してたんだぜ?一番くらい付き合えよ」
「祇孔。」
柾希は穏やかな笑みをいっそう深めた。穏やかすぎて、却って不穏なものを感じさせる程の笑みを。
「最初に将棋盤を持ち出したのは、誰だったかな?」
不承不承、村雨は追撃を諦めた。
「失礼いたします」
すっと襖が開いて、二人よりやや年上に見える少女が茶菓を運んできた。手にした盆の上には湯飲みが二つ、練り切りの載った皿が一つ…その皿は柾希の前に運ばれる。
「…芙蓉。俺の分は?」
「お前などに出す菓子はありません」
芙蓉と呼ばれた少女の声は、窓の外の冬の風と等しい温度を感じさせる。
「かっわいくねー…」
「結構。お前に可愛く思ってもらう謂れがどこにあるのです。」
一触即発の緊張感が漂う中、柾希が静かに少女の名を呼んだ。
「祇孔に出すお菓子がないなら、僕もいらないよ」
「柾希様…かような下賤のものに気を使う必要は」
芙蓉の反論を微笑みで抑えて柾希は言った。
「祇孔は僕のお客だよ、芙蓉。」
「…かしこまりました」
部屋を去る芙蓉の背中にあかんべぇをしてみせた村雨を、振り返った芙蓉が睨みつける。
「祇孔も。あんまり芙蓉をからかうんじゃないよ」
「からかってんじゃねぇよ、向こうが喧嘩売ってくるから買ってるだけだ」
むくれる村雨の頬が微かに赤い。柾希もそれ以上言わず、話題を変えた。
「こないだの試験はどうだった?」
村雨は柾希の通う名門校、皇神学院の高等部入試を終えた所である。
「ま、何とかなるんじゃねぇのかな」
口の片端を釣り上げて笑うところを見ると、それなりの手応えはあったらしい。
「そうか」
「うまくいきゃぁ、春から一緒だな」
上機嫌に笑った村雨が、ふとその笑みを陰らせた。
「…柾希?どうかしたか?」
友人の目が、どこか遠いものに感じられたからだ。
「あぁ、いや…何でもない。そうだな、春が楽しみだ」
柾希の表情は優しいが、村雨は真面目な表情を崩さない。
「…何か、『見た』のか?」
柾希の家系には、代々星の動きから物事を予見する『星見』という力が伝わっている。そして、見えるものは良い知らせとは限らない。
柾希はかぶりを振った。何も言わず、静かに笑っているだけだった。
「柾希。」ぽつりと村雨が口を開く。
「何か困る事があるんなら、言えよ?」
平素口には出さないが、村雨はこの友の為に助力は惜しまないつもりでいる。
「俺は、お前の味方だからな?」
柾希は笑んだまま頷いた。
「ありがとう…でも、本当に何でもないから」
表情は一際静かなまま変わらない。そういう時は本当は何でもなくなんかない事も、それでも何を言っても口を割らない事も、村雨は知っていた。
肝心の時にだけ頑固なんだからよ、こいつは。
思っただけで口に出さず、村雨は黙ったまま茶をすする。静かな時間を重たく感じるようになった頃、不意に柾希が声を発した。
「祇孔、僕に何かあったら…」
縁起でもない、と言おうとした村雨を目で制し、柾希は続けた。いつもの笑顔が消えている。
「何かあったら、薫を…守ってくれるか?僕と、同じように」
柾希の2つ下になる妹は、薫と言う。
「…あぁ」村雨は頷いた。
「必ず、守るよ。お前も、薫も両方な。」
失うなんて、考えられなかった。否、考えたくなかった。
「約束する。」
村雨が誓うと、ふ、と柾希が笑った。そして村雨に頭を下げた。
今思えば柾希が穏やかな瞳の奥で見たものは、きっと高校生になれない自分の姿だったのだ。
あれから一月も経たない内に柾希は重傷を負い、3年近く経った今でも意識不明のまま眠り続けている。一緒に通うはずだった春が来ないまま、高校生活は空しく最後の秋が過ぎようとしている。
「約束…半分だけになっちまったなぁ」
村雨は自嘲気味に呟いた。
柾希の妹、薫は髪と薫の名前を切り捨てて、柾希の影武者としてその年月を過ごしてきた。相変わらず「彼」の友人と護衛を兼ねた立場にいる村雨は、確かに「柾希と同じように」薫を守っている事になる。
「へッ」
村雨は再び苦い笑みを浮かべた。柾希を守り切る事も、薫を薫のままで居させてやる事もできなかった。そんな事で、約束が守れていると言えるのか。
思い出せば胸の底がいつも痛い。癒えきらない古傷のようだ。
喧嘩も術も腕が上がった。
村雨は柾希に劣らない程薫の事が好きだったし、それだけに同じ事をくり返すのは御免だったから力が付くのはありがたい。が、それと同時にあの時の事を思い出してしまう。自分の力不足が悔しくて、陰で泣いたあの日の事を。
今更力がついても柾希を助ける事はできないのにな。
そう思ってしまうと今ついた力の全てが空しく色褪せて見えた。そんな事を考えても仕方のないのはわかっているから、口に出した事は一度も無い。それでも力が付けば付く程、どこかで鬱屈したものが積み重なってくる。
腕半ば、運半ばの勝負事はそうした力とは無関係に楽しむ事ができたのだが、今年に入ってから勝ち続けでちっとも面白くなくなってしまった。蚩尤旗の出現がどうとか、龍脈の活性化で本来持つ力が増幅されていると言われてもピンと来ない。運だけが俺の取り柄かと思えばそれもどこか面白くない。
弱音を吐く気はないのだけれど、この頃ずっと肩が凝っている気がする。
マサキ…つまり薫、のいる棟から出ると、村雨は空を見上げてため息をついた。
浜離宮に重ねて作られた、この異空間の中は常に春だ。柔らかな風に桜が舞う。穏やかで頑固な腹黒の、あの友人が何故だか無性に懐かしい。村雨は苦笑した。
「らしくねェこった…と」
一歩踏み出せば空間の歪みの中に入る。これからの行き先は新宿・歌舞伎町。『黄龍の器』に話しておかなくてはならない事があるから、とマサキに頼まれたのだ。彼女の描いてみせた『黄龍の器』と仲間達の絵の中に、歌舞伎町で見かけた顔があった。あの男を突破口にしてみるとするか。
「くれぐれも、穏便にね?祇孔」
マサキの、柾希よりいささか高いトーンの声を思い出して村雨は微笑んだ。彼女にはすまないが、好きにやらせてもらう事にしよう。段取りをまとめている内に空間の狭間から表の浜離宮に到着した。
「腕試しの運試し、ってな」
企みありげな薄笑いを浮かべて歩き出す足取りが久し振りに軽い。
…試させてもらおうじゃねぇか、『黄龍の器』。
落ちる寸前の太陽が村雨の背中を照らしていた。
終わり。(01/01/28)
BACKミ
*黒猫大和の宅急便嬢の誕生日にさしあげたブツなのですが
こちらにも載せさせて頂く事にしました。ここ、他短編ばっかだし(笑)
うっかり思い付いてしまった別タイトルを見たい方はソースにてお探しを。