「1st impression」
都下某病院の地下を、青年が独り歩いていく。光度を落とした夜間用照明の中、その姿が朧に白く浮き上がる。
この病院には、部外秘の病室がある。職員の中にさえ知らぬものもいるその病室は、一人の少年の為のものだ。
その少年は日本の霊的な守護の要であり、その道では日本の象徴に次ぐ最大級のVIPである。凶刃に倒れ、この病院で眠り続けてもう3年になる。
物理的にも、霊的にも厳重に警備されているその病室へ歩いていく青年は、さっきから幾重ものチェックを受けている。そして最後に扉の前で指紋を照合する。照合完了を告げる緑のランプが点り、微かな音と共にロックが外れた。
「よォ」
薄暗い部屋の中、返答は返らない。いつもの事だ。
「全く。いーい顔色しやがって」
寝ている少年の頬をうにっとつねって青年は苦笑した。青年、と言ってもよく見ればベッドで眠る少年と同じくらいの年格好だ。
「…ま、容態変わってなくていいんだか悪いんだか…」
少年は意識不明の重態である。だが、彼の場合は更に特殊なケースと言えよう。
3年前の傷は既に完治しており、自発呼吸も脈拍も異常が無い。ずっと寝たきりであるにも関わらず筋肉が衰弱する様子もないし、免疫抵抗力もそのままだ。
意識がないだけで、他は健康体と変りがないのである。
今は点滴用のチューブも外されていて、本当にただ寝ているだけにしか見えない。
「薫も、御門も芙蓉も元気だぜ。忙しいのと、ここが目立つとマズいってんで全然来ねぇけどよ」
少年に近しい人の様子を口にしながら彼は椅子を引き寄せた。よくある形の小さな丸椅子は、長身の青年が座ると微かに軋む。
「…今日、面白そうな奴に会ってきた」
組んだ膝の上に肘を付き、思い出すように目を閉じた。
「『黄龍の器』とか言う話で、薫が会いたいって言うからツラ拝んできたんだけどさ」
言いながら青年の口の端が上がる。
「ちょっと試させてもらおうと思って喧嘩吹っかけてみたら負けちまった。」
見ろよこれ、と腕をまくるとどす黒く変色した痣が見える。腫れ上がって見るだに痛々しい。
「そりゃ本気で来いとは言ったけどさ、ここまでやるか?骨折れるかと思ったぜ」
文句の割には嬉しそうに話し続け、不意に黙ると何かを懐かしむような笑みを浮かべた。
「…どっか、お前に似てたよ」
タイプは全然違うけどな、と付け加えると青年は手を伸ばして少年の髪をひと撫でした。そして「また来るから」と腰を上げた。数歩の距離を歩き、扉の所で立ち止まる。
そして振り返らないまま呟いた。
「なァ、ちらっと起きてみようなんて気は起きねェか?…柾希。」
青年は返事の無い事を確認する為に振り返り、そして寂しげに苦笑した。