「休憩時間」

 本庁へ着いた頃から何かしら嫌な予感はしていたのだ。
 あー。
 青島は内心ため息をついた。何で、この狭いようで広い本庁の中で予定外に出くわすか。
「……ども」
 へらりと笑って、青島は片手を上げた。
「また何かやったのか」
 憮然と答える室井の、ただでさえ深い眉間の皺は、一層深くなっている。
「や、今日はタダの、お使いですから」
「そうか」
 室井の言葉は常に短い。
 内心に何か煮えくり返るものがある時は、特に短い。ため息も出ようと言うものだ。
「ま、それはもう済んだから後は帰るだけなんですけど──」
 青島は言葉を切り、室井の顔を伺う。
「これから休憩ですか、室井さん」
 室井は眉を一層寄せて黙り、面倒そうに目を逸らした。
「そうだ」
「じゃ、お茶位なら付き合いますよ。ね。」
 青島は営業で培った「腰は低いが押しの強い笑顔」で笑いかける。室井は眉間に困惑と思案の両方を浮かべて黙っていたが、やがて言った。
「紙コップの自動販売機だ。それでもいいか」
「はーい」
 愛想のいい、というには些か人の悪い笑みを浮かべ、青島は室井の後を追った。

「ところでさっきから気になってたンですけどね。どうしたんですか、その手」
 青島が指差した室井の左手には、きっしりと折り目正しく包帯が巻かれている。
「君に話すような理由は無い」
 取りつく島も無い答えに、青島は肩を竦めた。
「こりゃ失敬」
「コーヒーをこぼした。それだけだ」
「あー」
 そんなことだろうと思ってました。という続きは飲み込んで、青島は曖昧に笑う。
 おそらく紙コップからこぼしたのではなく、中身ごと握りつぶしたのだろう。同僚の嫌味か、上司と衝突したか、理由までは知らないが。
「気ぃつけて下さいね。なんつーか、俺最近わかってきたんですけど」
 青島は一瞬言い淀んだ。
 しかし言い始めた以上は言い切らねばなるまい。気を取り直して青島は続けた。
「室井さんおっそろしく短気だから」
 言われた室井は目を丸くする。次に口を開くまで、たっぷり3秒程の間が開いたろう。
「君にそう言われるのは大変心外だ」
「あ、ひで。俺は短気じゃないですよ、別に。」
 室井はうさんくさげに青島を見遣り、言った。
「嘘をつくな」
「嘘なんか言ってませんよ。出先で話してて、いちいち腹立ててちゃ営業勤まりませんでしたからね」
 青島はコーヒーをひと口すすった。
「今だってそうです、犯人相手にいちいちキレてたんじゃそれこそ身体がもちません」
「………。」
 現場に求められるのは、判断の速さと気の長さである。犯人を逃がさない素早さと、諦めない気の長さ。
「俺は気が短いんじゃなくて、無鉄砲なんだって和久さんが言ってました」
「そうか。」
 短い答えだが微かに笑ったのが感じ取れる。青島は口元に笑みを浮かべてから、次の話の振り方を探る。
 約束がある。この官僚らしからぬ律儀な警察官僚は、できるだけ早くにそれを実現したがっている。
 室井が紙コップを握りつぶし、眉間の皺を一層深くする原因にはその約束も関わっている。ならば青島にとっても無関係な事ではない。

 青島は再び口を開いた。
「あのね、室井さん。現場ってのは、案外気長なんですよ。」
 犯罪捜査における現場の地位の向上、それが2人で誓った夢だ。室井は偉くなる事で、青島は現場の成果を上げる事で、いつか達成しようと約束した。
「俺達は、地面這ってても耐えられるんです。取り合えず目の前の犯人捕まえんのが先ですから。そりゃ、まぁ時々やってらんないと思う事だってありますけどね」
 青島はそこで一度言葉を切り、息をついた。
「だから、焦んないでください」
 室井の官僚らしからぬ一本気と直情とを青島は好ましく思っている。だが、それ故に不安を感じる事もある。
 室井は頭のいい男だが、要領は悪いのだ。だからこそ、適当に流してしまえば良い事にまで正面から当ってしまう。そして余計なストレスを抱え込む。狡さが無い分、人より多かろうそのストレスが、室井を蝕む事を青島は恐れている。
 青島と室井が抱えているのは、うんとずっと、気長に構えなければ適わぬ夢だ。
「焦っているつもりはない」
 ぽつりと、小さく返事が返ってきた。青島は口をつぐんで、次の言葉を待つ。
「ただ、時間はあると思っているとなくなるんだ」
「急がば回れ。損して得取れ。なんて言いますよ」
「そんなことは」
 室井は気色ばんで青島を睨み、それからぐっと口元を引き結ぶ。
「……そんなことは、わかっている」
 抑えた口調で言い直すと、室井は目を閉じ、膝の上に組んだ指を眉間に当てた。頭に浮かぶ色々な思案を整理し、まとめあげ、削り落として簡潔にするまで室井は口を開かない。この時間は、また「待ち」だ。
 小さく息を吐く気配に、青島は紙コップから視線を戻し、室井を見た。
「私は君とは違う。……忘れてしまうのが、怖い」
 不器用な愚痴に青島は軽く頷いてみせ、そして笑う。
「したら、その度に思い出させてみせますよ」
 青島はコーヒーを飲み干し、腰を上げた。
「俺、気も長いけどしつこいですから。だから室井さんはね、安っ心して偉くなって下さい。」
 空の紙コップをゴミ箱に放り投げ、青島は胸を張る。
「じゃ、青島巡査長部署に戻ります!コーヒーごちそうさまでした!」
 冗談めかして敬礼し、青島は踵を返した。
「待ってますよぉ、室井警視正!」
「要らん軽口を叩くな。早く帰れ」
「はー、い。」
 休憩時間は終わり、これからは互いの戦場で仕事の時間だ。


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 デッドストック踊る大捜査線。ファイルの作成日付から見ると、書き始めたのは去年の4月の様です。多分、映画版1作目のDVDを見た時。どーなのかな、2もスピンオフ諸作品も見てないから、後からギャー言う羽目になる気もするんですが。
 あの映画、現場と青島のパートは面白いんだけど、室井さんと上層部の話になると通り一遍ですごーくつまんなかったので、そこが不満でした。もう少しかっこよくてもいいと思うんだ室井さん!締めるとこ締めてくんなきゃ!
 基本的に小技の効いた面白い映画ではありますし、主役は青島だから青島がかっこよきゃぁいいんですけどね……。でも上層部んとこがもう少しテンポがよければ、青島もっとかっこよかったと思うのです。
 まぁ、そんなこと考えながら書いてました。(06/03/12)

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