『晴天』

「彼の内なる火が、外の世界に空しく冷えたまま眠っている火薬に、一々点火して行くのである。」

中島敦『悟浄歎異』より



 昼休み、武道場から賑やかに気合いと木刀のぶつかる音が響く。竹刀ではなく木刀で、防具も付けずに打ち合っているのだから随分と荒っぽい。
 ひらりと身を翻し、休む暇なく真里野に打ち掛かる葉佩の動きは「剣道」と言うよりはちゃんばらごっこに近いものであろう。道着ではなく学生服の上着を脱いだだけの服装も、その印象を強くさせる。
 葉佩が木刀片手に剣道場へ顔を出すようになったのはつい最近、2週間位のことだ。それまで剣道のキャリアは全く無いのだから、型や構えなどあって無いようなものである。それでも不様に見えないのは葉佩の運動能力と、外見に見合わぬ豊富な戦闘経験の為せる技だろう。
「まるで孫悟空ですね」
 開け放たれている戸口からその様子を覗いていた七瀬がぽつりと呟く。座り込んでアロマパイプを吹かしていた皆守は中の様子を一瞥して、けだるく言った。
「ま、猿には違いないな。」
 欠伸をして首を回し、続ける。
「いい加減にしてくれないと、こっちまで昼飯食いはぐれそうだ……」
 七瀬はふふ、と笑い、手にした本を開いてまた笑う。
 何か面白いことが書いてあったらしい、とは思ったが皆守は何も言わずに目を閉じた。普段は大人しく、どちらかと言うと無口な七瀬だが、本のことになると人が変わったように熱っぽくよくしゃべる。あの勢いに付き合う位なら突つかない方が無難だと、皆守は思っている。

「皆守さんは、西遊記の話はわかりますか」
 七瀬の方から話を振られてしまったので、皆守は仕方無しに答える。
「猿豚河童の3人と坊さんの珍道中だって話しか知らないな」
「まぁそれが普通でしょうね。」
 予想していたことだが、そこからが長かった。
 西遊記の成立した年代から時代背景から、早口かつ熱心に七瀬は語る。喋りながら論点をまとめていく傾向があるらしく、結論に至るまでは話半分に聞いていても支障は無い。葉佩と彼女が仲良くなり、傍で話を聞いている内に身に付けた知識だ。
「このように斉天大聖として広く親しまれており──」
 七瀬の声を遮り、だぁん、と一際大きい音が響いた。2人とも、再び道場の中を見る。
「いぃッてェ〜〜、」
 壁まで弾き飛ばされた葉佩が肩の後ろをさすっている。
「すまぬ、ついその、本気で」
「いやいや、やっぱり剣じゃまだ真里野に勝てないなー」
 よいしょ、と立ち上がり葉佩は剣を収める礼を取った。
「何の、この分だと拙者がお主を師匠と呼ばねばならぬ日も近いかもしれん」
「まぁた、真里野先生は口も上手だ」
 軽口を利きながらシャツの襟を正し、真里野にありがとうございましたと丁寧に頭を下げる。そして戸口で待つ2人を見て手を振った。
「やれやれ、やっと終わったか。」座り疲れた腰を伸ばし、皆守はやって来た葉佩に笑う。
「よぉ、お猿。」
「誰が猿よ。何、急に」
 七瀬が慌てて口を挟んだ。
「あ、さっき孫悟空の話をしていたんです。」
「孫悟空?」
 葉佩は首を傾げて七瀬の持つ本を見た。
「あぁ、中島敦。『悟浄歎異』?」
「そうです。九龍さんと何か似ている気がして」
 七瀬の言葉に葉佩が相好を崩す。
「うわー、すげぇ褒め言葉。ありがとー。」
 くすりと笑い、七瀬は続けた。
「でも、本当なら九龍さんは玄奘三蔵かもしれませんね」
「この、猿が?」
 思わず横から皆守が言った。
 三蔵法師と言えば、慈悲深いが虚弱というイメージがある。優等生とは言えない成績、かつ体力勝負の仕事をしている葉佩と到底結びつかない。
「えぇ」七瀬は力強く頷いた。「説話でこそ文弱な僧侶ですが、玄奘三蔵は──」
「月魅ちゃん」
 再び語り始めようとした七瀬を葉佩が止める。
「ここに居るってことは真里野に用じゃないの?」
「あっ、そうでしたッ!」
 七瀬は飛び上がり、白い頬を染めた。
「じゃ、俺らは邪魔しない内に。飯食ってきまーす」
 快活に笑い、葉佩は皆守を促して武道場を後にする。

「……七瀬の言うことも何だかなぁ」
 マミーズへの道を歩きながら、ぽつりと皆守が言った。
「ん?あぁ、さっきの孫悟空と玄奘三蔵?」
「まぁ、な」
 葉佩は木刀で肩を叩き、少し間を置いて答える。
「多分僕のお仕事をほめてくれてんだと思うけどね。三蔵法師ってことは」
「図書室語で喋るんじゃない」
「違ぇよ」葉佩は胸を張った。「歴史用語と言ってくれ」
「同じだ」
 どのみち皆守には理解不能の範囲である。
「ははぁ、お前三蔵法師知らねーだろ?」
「知ってる奴の方がどうかしてると思うがな」
「知らなくたって考えりゃわかるだろ」
「……何が」
 葉佩は得意げに笑った。
「交通手段が歩きか動物かしか無かった時代にだよ、中国からインドまで行った挙げ句に留学して帰ってきた人がひ弱な訳ないじゃん」
 むしろ奇跡に近く、人外の領域だ、と葉佩は言う。求められる能力は、情熱と体力と語学力、そして天運。
「経典も宝のひとつだし、そういう見方で言えば伝説のトレジャーハンターと言っていいかもね」
「ほーぉ」
 皆守は薄く笑みを浮かべた。
「じゃぁまたえらく買われたもんだな?」
 まぁね、と葉佩は首を竦める。
「月魅ちゃんは他の同業者を知らないしね?」
 業界で言えば、葉佩はまだ任務2回目のルーキーだ。
「期待通りに任務完了できるか、それともただの買い被りになっちゃうか──」
 軽く振った葉佩の木刀が、音を立てて風を切った。
「ま、付き合えよ?」
 不遜とも言える程の、肚の内に炎を宿した瞳で葉佩はにやりと笑う。
「でもとりあえずはマミーズだよな。真里野ちゃんにしごかれて腹が減った」
「俺もだ」
 皆守はアロマパイプに火を付け直した。



「彼は火種、世界は彼のために用意された薪。世界は彼によって燃されるために在る。」

中島敦『悟浄歎異』より




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 2004年11月10日から約1ヶ月日記付属でアップしてたものの再掲載です。
 主人公を書いてみようと思い立ってみました。というか主人公を書かないことには話の立てようがないと、やっと気付きました。
 あまりキラキラしくするつもりはなかったはず、なんですが。引用に使ってる『悟浄歎異』の孫悟空は、言わばかっこいいものの象徴です。明らかに持ち上げ過ぎでした。痛。
 まぁダイレクトに悟空じゃなくても(それはそれで困ったちゃんなので)、少しはそんな感じが混じってたらいいなぁ、とは思います。
 月魅とは図書室メイトで真里野とは剣友、皆守とは屋上つながり。(05/02/13)

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