『若気の過ち』

 裁判所の食堂は、昼時を過ぎて空いている。成歩堂が春美とコーヒーを飲んでいると、見慣れた赤スーツが入って来るのが見えた。
「おーい御剣」
 成歩堂が声を掛けると、御剣は軽く手を挙げて応える。昼定食のトレーを持ってやってきた御剣と、今日の法廷はどうだとか、ごく普通の世間話の流れで成歩堂は御剣に聞いてみた。
「そういや狩魔検事はどうしてる?」
「どっちの」
 問い返す御剣の目は真面目で、冗談の色は見られない。
「僕がおやじさんの事聞いてどうすんだよ。娘さんの方」
 ツッコミを入れる成歩堂の肩が落ちる。大体狩魔豪氏は既に検事ではない。
「あぁ、メイなら元気だ。鞭も持って帰ったからまた法廷に戻っているだろう」
「そっか、よかった。知らない内に帰ってたから失踪でもしたのかと」
「貴様も大概しつこいな、成歩堂」
 御剣は嫌そうに眉を寄せた。
「まぁね。だって彼女、君の妹弟子だろ?」
「違う、一応向こうが姉弟子だ」
 几帳面な御剣の訂正にツッコミを入れるのは止めにして成歩堂は顎を撫でる。コーヒーの紙コップは既に空だ。イキのいい、乱暴ではあるが生真面目でひたむきな少女は居なくなってみると奇妙に懐かしい。
(まぁ鞭でひっぱたかれるのは勘弁だけどさ)
 狩魔冥のトレードマークを思い出して、成歩堂はある疑問に思い当たった。
「……ん?」
「どうかしたのですか、なるほどくん」
 ちょこんと見上げてくる春美の頭を撫でてやりながら、成歩堂はその疑問を口にする。
「そういや御剣。狩魔検事、君のことは叩かないな」
「気の所為だろう」
 その瞬間、成歩堂は頭の奥で鈍い金属音が鳴るのを聞いた。
「あ。」
 もうすっかり馴染んだ、鎖が視界一杯に広がる音。成歩堂は上着の内ポケットから真宵の勾玉を取り出した。
「……そういえば持ってたんだっけ、これ」
「サイコ・ロックですか?なるほどくん」
 春美の目がいきいきと輝きを帯びて来る。何しろ冥はエキセントリックだが人目を引く美少女だ。目の前の御剣も決して見た目が悪い方では無い。
 御剣と冥の間に秘密……恋愛ドラマが大好きな春美の期待は言わずとも知れている。
「何の話だ」
 薄気味悪そうに問う御剣に成歩堂はサイコ・ロックの仕組みを解説した。
 倉院流霊媒術による便利グッズサイコ・ロック。真宵の勾玉に込められた春美の霊力は人の秘密を鍵の形で成歩堂に見せる。秘密が存在することと、それを隠す意志の強さを教えてくれるだけだが、それが何度も成歩堂の苦境を救ってきた。
「それは卑怯とは言わないのか成歩堂」
「僕はしがない個人なんだからこの位勘弁してもらえないかな」
 大体秘密を聞き出すには相手を説得するデータも推論の組み立ても必要なのだ。法廷と変わりはない。
 鍵はひとつ、大した秘密ではないはずだ。冥の鞭に叩かれない手段があるならこの際、聞いてみたい。
「と言う訳で聞かせてもらおうか……くらえ!」
 成歩堂は勾玉を突き出した。

「そこまで言うなら聞こうではないか。彼女が鞭を向けないのが私だけであると言う保証はどこにある?」
 御剣は法廷同様の薄笑いを浮かべる。
「君の見ない所で私が叩かれていない証拠を見せてもらおうか」
「まぁ、僕は法廷や捜査現場での彼女しか知らないからね」
 だから、物証で攻めるのは無理だ。
 が、成歩堂の頭にはひとつの推論がある。
「その代り、君が殴られている証拠も無いはずだ、御剣検事。」
「……ム」
 御剣は一瞬黙ったが、肩を竦めて言った。
「叩く意味が無いからだろうな。彼女にとって弁護士は敵だが私は検事だ」
 成歩堂は不敵に笑う。
「御剣……隠すのが面倒になったな?今の一言はあまりに迂闊だ」
「何?」
 ぱん、とさすがに法廷同様とはいかないが成歩堂はテーブルを叩いた。
「狩魔検事に一番叩かれているのが誰か、君も知っているはずだ」
 ファイルから人物、裁判長の提示。
「そう、一番叩かれているのは裁判長……検事の敵と言うには少々無理がある」
「だが丸きり味方とも言えまい。証拠というには不足だな」
 ここで食い下がられるのは成歩堂の計算の内だ。
「だが敢えて敵に回す行動を取るべき相手でもないはずだ。」
 1枚では弱いカードだから1枚で崩せるとは思わない。だから成歩堂は重ねてもう1枚手札を返す。
「それに2番目に叩かれてるのはイトノコさんだ」
「致命的な証言ミスをした時点で彼女の敵だろう」
 切り返す御剣の言葉に、しかし成歩堂はまたしても不敵に笑う。
「そう。つまり彼女の敵味方の区別は役職によるものではない」
「……!」
「君は何度も彼女の行動をさまたげているし、彼女は君が『狩魔の人間』であることも再三否定している」
 同門のよしみ、という逃げ道を塞いでおいて成歩堂は再びテーブルを叩く。
「にも拘らず彼女は君を叩かない。そこには何か理由があるはずだ!」
「…………。」
 御剣はうつむき加減にため息をついた。成歩堂の耳に鍵が砕け散る音が聞こえる。解除成功。

「何で休憩時間にこんな疲れる会話をしなければならんのだ」
 ぶつぶつと文句を言いながら御剣は昼定食の残りを食べる。
「仕掛けておいて何だけど、僕もそう思う」
 成歩堂は新しく買い直してきたコーヒーをすすった。
「言うのは構わんが」
 言葉を切って御剣は目を輝かせる春美に苦笑を浮かべる。
「多分お嬢ちゃんの期待には添えまいな」
「まぁまぁ、いいからそろそろ聞かせてよ」
 御剣は箸を置いた。
「……私とメイが検事になる前だから、5年以上前の話になるか」
 冥の父で彼女と御剣の師匠、狩魔豪の元で模擬法廷を行った時のことを御剣は語った。
「模擬法廷?でも狩魔検事の専門はアメリカの法律じゃないの?」
「模擬法廷とは言ってもあれは法廷テクニックのテストだったからな」
「あぁ、なるほど。で、君が勝ったと」
「まぁ、そんなところだ」
 それで冥が悔しさの余り御剣に鞭を向けた、その光景は想像にかたくない。
「当時はまだメイも小さかったし鞭も今程上手でなくってな。コツさえつかめば避けるのは容易だった」
「いくつだった?彼女」
「13……いや12だったかもしれないな」
 この位、と御剣が手で示す高さは春美よりは大きいが、年齢相応の小ささだ。
「何か、想像つかないな」
 成歩堂は狩魔検事を思い出して、呟いた。
「今だって大した変わりはないと思うが」
「……そうですか」
 いやだなぁ、あんな13才という言葉を成歩堂は飲み込む。
「それで、それでどうなったんですか?」
 待切れず続きを急かす春美の隣で、成歩堂の頭にはひとつの推理が形を結びつつあった。
「うむ、それでまぁその、打ってきた鞭をかわした訳だが」
 歯切れが悪くなる御剣に、成歩堂は自分の推理が当っていることを確信する。
「彼女は一度避けられた位で諦める子じゃなかった、と?」
 成歩堂の方から聞くと、御剣は頷いた。
「鞭が当るか彼女の体力が続かなくなるまで追ってきた」
「あー……」
 成歩堂は小学校時代の御剣を思い出して、続けた。
「で、君の事だから……大人しく叩かれてやった訳でも逃げ続けた訳でもないんだね?」
 御剣は普段こそ大人しく成績も良かったが、決して模範的優等生だった訳では無い。負けず嫌いで向こうっ気が強い御剣が、売られた喧嘩から逃げたことは成歩堂の知る限り皆無である。
 諦めたら試合終了喧嘩は勝つまで続けた方の勝ち、ということを成歩堂に教えたのは他ならぬ御剣怜侍その人だ。
「うむ………」
 頷いた御剣は言いにくそうにぼそりと言った。
「手加減はしたつもりなのだが」
「殴っちゃったんだ……?」
「…………つい」
「えぇぇぇ!」
 春美がびっくりして飛び上がる。
「だって、かるま検事さんはみつるぎ検事さんにとって……」
「うん、師匠の娘で7才年下の女の子だね」
 成歩堂が続けると春美はきりっと眉を上げて御剣を睨み付けた。
「そんなことをなさってはいけません!」
「うむ、反省している」
 言ってるうちに色々思い出したらしい御剣はため息をつく。
「軽く叩いて鞭を取り上げるだけのつもりだったのだが、思ったよりメイの動きが速くてな」
「カウンターで、入っちゃった、と」
 御剣の言葉を成歩堂が受ける。体格が違い過ぎて狙いも狂ったのだろう。
「まぁ……そういうことだ。何しろ後が大変だったのだ、メイは泣くわ師匠は怖いわ」
「結構親バカそうだもんなあの人」
 泣く冥など成歩堂には想像もつかないが、彼女を殴って泣かせたとあれば大人気ない彼女の父親にさぞ怒られたに違い無い。しかし御剣は皮肉に口元を歪めると指を振った。
「甘いな成歩堂。狩魔の人間は勝者こそ全て、だ」
 その時模擬法廷で勝ったのは御剣で、本意でないとは言え喧嘩に勝ったのも御剣だ。
 つまり怒られたのは冥の方。但し狩魔の父親が、娘を溺愛していたのも事実であり。
「怒鳴られた方がまだ気が楽だった」
「うわぁ……」
 相当な針のムシロだったことだけは想像がつく。成歩堂は思わず同情した。
「それ以来だな。彼女が私に鞭を向けるのを躊躇するようになったのは」
「躊躇だけなんだ?」
「構えはするからな」
 一瞬でも隙があれば話題を振り替えて鞭を納めさせることは可能だ。そう言った後で、御剣は不意に真剣な顔で成歩堂を睨む。
「一応言っておくが成歩堂、お前がメイを殴ったら私はそれなりの報復を考える」
「しないよ。僕には無理だし」
 成歩堂は手を振った。叩かれない手段があるなら聞きたいと思っていたのは事実だが。
「まぁ精々頑張って避ける事だな」
「ドリョクするよ」
 あの鞭、返さなければよかったかもなぁ……。
 誰にも聞こえないよう、成歩堂は呟いた。
(終)


 「冥ちゃんが御剣をひっぱたかないのは、御剣に反撃された事があるからではなかろうか」というだけの話だったのに、何でこんなに長く……?
 短気で喧嘩っ早いのが結構自分の首を絞めてる御剣希望。1の時からあの人何度「すまん、つい」を口にしてるんだか。兄バカであれば尚よし。(別に色恋はからまなくてよし)そして密かに親バカおとーちゃん大好きというのは丸わかりだと思います。弁護士も好きだけど、ひっくるめて狩魔の人々好きです。えぇ。(04/01/25)

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