「軌跡の行方」 昼寝をするアマテラスの背で、イッスンは雑記帳の整理をしていた。ちゃんとした作品にしよう、と思っている訳ではない。目にしたものを書き取るのは、絵師としての習い性である。 アマテラスの姿、筆神、村の人々、都の様子、大小様々の妖怪、山や海、その産物。 随分溜まったよなぁ。 イッスンは雑記帳をめくりながら思った。神木村でアマテラスと出合い、ナカツクニ中を巡ってきた。海の底の竜宮、幽玄の異世界・笹部郷といった普通の人と違うものの住まう里にも行った。たくさんのものを見、様々な人に会い、別れてきた。 アマテラスに宿る筆神も既に12を数え、あと1つを残すのみである。 「後少し、か。」 イッスンは筆の尻でこめかみを掻き、ふと遠くの空を見はるかした。空はよく晴れているが、妖しの雲が流れていった先──神州平原の更に北はどうなっているだろう。 妖怪の生まれる場所、北の大地。イッスンの故郷もそこにある。 人の目に見えない神や妖怪の姿を見、動物とも語らう妖精種族、コロポックル。コロポックルの集落・ポンコタンはまた、絵師の里でもあった。 里の絵師の中で、特にその能力に優れる者が「天道太子」の称号と使命を継承することになる。神と共に旅を重ね、その姿や活躍を絵巻物にしたためることでこの世に神の威光を知らしめる、神仰伝道師としての使命である。 神と人との間を繋ぎ、人の信仰心を高め、神の力の糧に変える栄えある役目、「天道太子」。 イッスンの祖父、イッシャクは6代目の天道太子である。 イッスンにとって、祖父・イッシャクの絵巻は幼い頃からの憧れだった。 その絵が単に美しいと言うだけではない。描かれている光景、まさにそのものが切り取られて、たった今目の前に広がっている気がするのだ。 薄ぺらな紙の中のことなのに、それを見たものは例外なく描かれた神や人と共に笑い、そして泣いた。 いつか、爺ちゃんのようになりたい。 願って一心に修行を積んだ日々は、今のイッスンには苦い記憶である。 里で絵の修行に励んだ子供の中で、イッスンの才能は抜きん出ていた。それはあながち自惚れとも言えず、祖父を除いた里の誰もが認めることであった。 しかし、イッシャクは別である。 何しろ修行を始めて以来、祖父は1度もイッスンの絵を褒めてくれたことがない。 絵に品格がない、驕りがある、ものの上辺だけ写して実が無い、と悪し様に罵られる。自分でもこれは中々、と思うものが描けた時は殊更に、言を極めて厳しく叱られた。 他の子供の絵は褒めてもらえるのである。むしろ、下手な子が自信なさげに見せる絵にこそ、丁寧で暖かい褒め言葉が与えられるのだ。 「何でェ、へったくそ」 横から見て正直な感想を言った瞬間に殴られることもしばしばあった。 「イッスンはいいよな、イッシャク様の孫なんだから」 何かにつけてそう言われるのも癪に触る。血縁で絵師の腕が決まるのであれば、苦労はない。人並み外れて厳しい祖父の元、誰より修行をしている自信もあった。それをただ「孫だから」で片付けられてしまうのは、理不尽である。 いつしか、修行はイッスンの苦痛となった。 与えられる修行をさぼり、イッスンが里の外へ遊びに出る回数は段々増えた。絵手本より、里の外で見る野山や動物の方が刺激的だった。 叱られる回数は増えたが、それまでだって叱られ通しだったと思えば気にならない。 課される修行こそさぼるようになっても、イッスンは自分なりに腕を磨いてきたつもりである。画室に籠るばかりが修行ではないだろう。強制されなければ、絵を描くのは相変わらず好きだった。飯を食い、息を吸うのと同じようなものだ。 だから、自分の筆に画龍の筆神が降りた時には、どれだけ晴れがましかったことか。 イッスンが少なからずの誇りと期待を持って、イッシャクにそれを見せたとき、イッシャクは言った。 お前のような怠けた捻くれ者に、筆神が真に宿るはずが無い。何らかの気紛れで蘇神がお情けを分けてくれたのであろう。 ひと言で言えば、嘘つきか、まぐれ、と。イッスンが里を捨てることを決意したのは、その瞬間であった。 2度と絵なんか描くものかと、あの時固く心に決めた。 そのはずだ。 雑記帳を閉じ、イッスンは眠りこけるアマテラスの顔を見下ろした。 相変わらず何を考えているんだか、イマイチわからないトボケた顔立ちをしている。だが、純白の毛並みに映える紅の隈取りは紛うことなき神の証であり、その背を振り仰げば神聖な気を漂わせた神器が威容を示す。 「ま、これでもちったぁソレらしくなってきてんのかねぇ」 呟けば、ぴくりとアマテラスの耳が動いた。 復活の時、アマテラスは太陽神としての本質である「光明」以外全ての筆神の力を失っていた。そしてひとつずつその力を取り戻しながらここまで来た。 似たようなことが、イッスン自身にも言える。 雑記帳の中に、里を出てからアマテラスと会うまでのスケッチは、ほとんど無い。あったとしてもそれは覚書ですらなく、極めて粗雑な落書きに他ならない。何の用にも立たないそれを捨ててしまえば、雑記帳はアマテラスとの旅を始めてからのものばかりになった。 アマテラスの筆しらべにつられて、再び捨てたはずの筆を取った。 今見ればわかるが、絵を捨てた空白の時期の分、イッスンの腕は確実に落ちている。旅の行程が進むに連れ、雑記帳に描かれるスケッチの量は増え、描くペースも上がり、絵師としての技量は戻りつつある。むしろ、里を出る前より伸びやかに描けるだけ成長している気すらする。神木村で描いた絵を見ると、落ち着いたらもう1度村を訪れて書き直した方がいいだろうという気になった。 自分は絵師なのだ。イッスンは改めて思う。 だからと言って、里へ帰る気は起こらない。天道太子、というものになろうとも思わない。いや、思いたくない。 アマテラスとは、筆神が全部その身に戻るまでの付き合いだ。残る筆神があと1つとなったからには、アマテラスとの旅は終わりに近い。 それでいい、はずなのに。あと1つ、と思う度にイッスンの心はわずかに曇る。 あと1つの筆神を得るまで、アマテラスは下手を打たずに行けるだろうか。全ての筆神を得て自分と別れた後、アマテラスは1人でやっていけるのだろうか。 キュウビの化け狐は、この先アマテラスが戦わねばならない相手が強大なものであると示唆していった。 信仰心の薄い世の中では、神の力は弱い。今までアマテラスが得てきた幸玉の量も、知れている。神の力を強くするには人々の信仰心を高め、より一層の幸玉を得ることがどうしても必要になるだろう。 神の威光を世に知らしめ信仰心を厚くする、神仰伝道師の役目を果たせるのは神と交信できる唯一の種族、コロポックル族の絵師のみである。 神仰伝道師、天道太子。 イッスンが捨ててきた、里としがらみそのものだ。 ポンコタンに、それだけの役目が果たせる若い絵師が育っているだろうか。いなきゃ困る、と思っては見るものの、イッスンはその答えを実際に聞かなくても、わかっている。 1年前の自分なら、天道太子の1人や2人、いなきゃいないで神様が自分でなんとかするだろうよ、と捨て台詞が吐けただろう。何ともならなきゃ神様が悪いんだい、と悪態もつけただろう。 今の自分は知っている。相手が何者だろうと、たとえ力が足りないと知っていても、アマテラスは死ぬまで戦うだろう。 飛び出してきた里へは男の意地として戻りたくない。天道太子なんて重責を負うのも嫌だ。 このどこか頼りない大神の為に何かしてやりたいなんて、らしくもないことも本当は思いたくない。 まして、別れたくないなんてお涙頂戴なことを言うのは、死んでもごめんだ。 それでも。イッスンは反対に沸き上がる思いを喉の奥でかみ殺した。いつまでも、風のように走るアマテラスの背に乗って現国を回り、好きなように絵を描いていたい。 ずっと、旅の終わりなんてこなければいい、と。 イッスンは里を出る時に持ち出した、木精サクヤ姫の美人画を広げた。イッスンがこの絵を持ち出したのは、祖父がとりわけ大事にしていた絵を腹いせに、と考えた所為でもあるが、単純にこの絵が好きだったからでもある。 着彩の無い線描でありながら、サクヤ姫の気高さと愛らしさ、そしてほのかな色香を感じることができる。神木村へ行ったのも、元はと言えば絵に描かれたサクヤ姫をこの目で見たかったからだ。 イッシャクに対する恨みはある。多分、消えない。それでも尚、イッスンが尊敬する絵師は天道太子一尺なのだ。 イッシャクの絵巻は、アマテラスの最期で幕を閉じる。旅の終わりなんて、来なければいい。 ふと気が付けば、アマテラスがイッスンへ目だけを向けていた。目が合うとふいと横を向いて欠伸をする。気遣うようにも、小馬鹿にしているようにも取れる。 「……別に、どうもしねェよ」 イッスンはため息を吐いてサクヤ姫の図をしまった。 「って、寝直すんじゃねェ!」 頭の上を飛び跳ねると、面倒臭そうにアマテラスが首をもたげる。 「今日は日暮れ前に高宮平を抜けるんじゃなかったのかよ、起きろイ!」 渋々、と言った態でアマテラスは腰を起こし、ぶるんと身震いした。もうひとつ欠伸を重ね、伸びをする。歩きから早足、そして駆足と滑らかに速度を上げて、アマテラスは走る。風のように走るその背には光が集い、地からは花が散華のように湧いて軌跡を飾る。 美しいな、とイッスンは素直に思う。 いつまでこの背に乗ることができるだろう。イッスンは軌跡から目を逸らし、アマテラスの毛皮の奥に潜り込んだ。 −−−−−−−−
まさか大神で1本書くとは思ってなかったなぁ。
まだクリアどころか幽門扉にすら辿り着けていない(おーい)ので後で取り下げることになりそうな気も薄々せんではないのですけれど。またか、自分。 鬼が島の最中からメキメキ感傷的になるイッスンとか、意地の張り合いでお互い引っ込みが付かなくなってる孫と爺の捻くれた関係とか、この辺りの展開があんまり盛り沢山だったので、つい。 イッシャクは聞いてないのにイッスンのこと喋るし、イッスンだって旅の最中何度自慢げに「俺の爺ィが」って言ったよ。好きな子いじめて嫌われるタイプよね。どっちも。(06/06/08) 雑談トップへ戻る |