072:『喫水線』

 遠征に出たのは2番隊と4番隊で構成された船だった。
 4番隊の獲物に「悪魔の実」があった、それが元凶。
 4番隊隊長サッチは、2番隊隊員マーシャル・D・ティーチの手に掛かって命を落とした。

「ティーチか……」
 報告を受けた”白ひげ”エドワード・ニューゲートは天井を見上げた。
「エースじゃちょっと……しんどいな」
 報告に来たマルコは小さく頷いた。
「助太刀付けて出しますかい。相手ェ考えると、ジョズかビスタ……でなきゃおれですね」
 白ひげは答えない。腕を組んで、考え込んでいる。その様子がらしくない。
「──オヤジ?」
 マルコが問えば、白ひげは目を上げるがもう一度考え込むように眉を寄せる。
「難しいところだな……」
「何がですか?」
「妙な胸騒ぎがする。正直に言うと、あいつと掛かり合いになりたくない」
 マルコは目を丸くした。
「追わねえって……ことですかい、ティーチを」
 仲間殺しはこの海賊団唯一絶対の禁忌である。この禁を破った者は最早「息子」ではなく、海の果てまでも追われ、討たれることになる。
「白ひげは仲間の死を許さない」
 元の船員であってもこの掟は厳密に適用され、今まで例外が出た試しは一度もない。
「……読めねえんだ」
 白ひげは口を開く。
「ティーチが氷山だとして、その喫水線の下がどうなってやがるのか……。迂闊に近づいたら船が沈む、そんな気がしてならねえ」

 ティーチが白ひげ海賊団に所属していた理由は、「ヤミヤミの実」の入手だけだという。
 悪魔の実が欲しいと思うなら、一番入手可能性の高いところへ行けばいい。
 つまり、一番悪魔の実が集まるところ──「偉大なる航路」、特にその後半部分「新世界」。
 その中で一番広い縄張りを持つ海賊団に入り、できることなら一番頻繁に航海へ出る隊に所属するのが望ましい。
 言うのは簡単であるが、そのことを実行に移すのがどれだけ困難なことであるか。何十年にもわたってそれを続けるとすれば尚更だ。
 2番隊は長く隊長を欠いていた。隊長のいない隊は、他の隊の遠征に補強用として組み入れられることが多くなる。従って、航海に出る回数は高い。
 古参の隊員から新しい隊長に選ばれかける者は時々いたが、いつの間にか立ち消えになっていた。
 今にして思えば、状況を保つ為の画策があったとしても不思議ではない。
 ならばエースの隊長就任はどうなのかと言えば、これはティーチには逆に好都合となる。
 エースはまだ新参であり、隊長就任後は傘下の海賊達への面通しも兼ねて、縄張り全体を満遍なく巡るような遠征が続いていたからだ。
 このティーチに都合の良過ぎる状況は、ただの偶然とは思えない。
 そこまでの手を掛けて、闇の能力を欲するということは、当然他に理由もあるだろう。
 能力者になって、何がしたいのか。
 狡賢いと言うよりはもっと深く、広く、底の知れない何物かがある。
 そこが、怖い。
 若いエースの愛すべき純情は、狡猾なティーチに対して相性が悪過ぎる。
 エースは本人の戦闘能力が高く、その上自然系の中でも攻撃能力の高い「メラメラの実」の能力者である。しかし覇気のような、実体の無い相手に攻撃を加える技能はまだ習得していない。自然系同士の戦いになった場合、能力の相性によっては強さが大きく減殺される事になる。
 覇気の技術を炎の能力で代替し、東の海から破竹の速度で新世界まで駆け上がった、その速さが仇となりはしないか。
 普通なら、それでも誰か介添えに付けてやれば確実だと言える。いや、そのはずなのだ。
 だが、しかし。
 白ひげは瞑目した。
 どうしても、誰を付けても、ティーチを討ち果たして帰ってくる想像ができない。
 つまり、エースを含めて貴重な人材を無駄に失うおそれが高いということだ。

「仕方ねえ、特例だ。ティーチには追っ手を出さねえ」
 掟に例外を設けることは、大きなリスクを伴う。それを考えても尚、追わないのが得策と白ひげは判断した。
「……オヤジの決めたことなら文句はねえですけど」
 ぐっと拳を握り、抑制を利かせた声でマルコが呟く。
「でもそれじゃ、サッチは」
 あぁ、これか。白ひげは苦笑した。
 自分の可愛い息子達は、ことに隊長を務めているような連中は、いい奴ばかりなのだ。底知れぬ闇を読み通す人の悪さがない。そして死なすには余りに惜しい。
「マルコ、おれはティーチを許すと言った覚えはねえぞ。今は追わねぇ、が……必ず潰す」
 煮えるように腹が立ち、逃がすことが悔しいのは白ひげとて変わりはない。
 せめて、あと5年若ければ。
 白ひげは心中密かに詠嘆する。もう少し若ければ、誰に行かせることもなく自分で追うことができたろうに。

 ティーチの望んだ能力は、闇。
 喫水線の下、海の底と同じ色のそれが何なのか、未だ正体がわからない。




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 エースの引き止められっぷりと、全体に漂う末弟扱いの気配から「お前じゃ勝ち目はありませんよ」と言われたんじゃないかなと思いました。それで余計にヒートアップしちゃった、みたいな。
 エースが返り討ちにあったら次はマルコさん辺りが出る事になってたんじゃないのかなぁ。生け捕りにされて海軍に売られるなんて想像つかないもんね、普通。(10/11/22)

Pro.100txt.