016:『シャム双生児』(腰が接合した二重胎児)


 ザックはミラーマへ寄る度に、酒場へ顔を出す。「彼女」が居るからだ。
 人でも魔族でもなくなり、浮かばれなくなった魂を救う為、時のガーディアンから再び人としての生を与えられた女。背負うには重過ぎるだろう記憶の大半を封じてファルガイアに戻された彼女に、かつて「斬り姫」と呼ばれた女の面影は無い。
 双子の姉妹のようなものである。
 顔立ちや体つきはよく似ていても、人は器だけで作られるものではない。個人の性格や雰囲気は持って生まれたものというより、過ごして来た時間や環境の影響が強い。
 趣味が違う、興味を持つ対象も、持っている知識も違えば言葉遣いや表情も違ってくる。
 エルミナは、陰気ではなかったが無駄口を利く方でもなかった。その身から漂う緊張感は、鍛え上げられた体と早撃ちの技から来るものだったろうか。
 求道者のような、いかにも騎士らしい女だった。
 酒場の彼女はよく喋り、よく笑う。その体が鍛えられていることに多少の疑問は感じているらしいが、剣など手に取ろうとも思わないようだ。
 双子の姉妹を別々の家で育てれば、2人はよく似た他人に過ぎなくなるだろう。
 ザックはそう考えることにした。

 ミラーマの辺りは、ファルガイアの中でも最も緑が濃く、水の豊かな地域である。
 湿度も気温も高く、人々は大らかであるが感情の振れ幅も大きい。他所の地域から来た人なら喧嘩でもしているのかと誤解しそうな言葉のやり取りもよくあることなのであるが。
「ぎゃあああ!」
 明らかに、異変のあったことを示す悲鳴を聞いてザックは走り出した。ロディとセシリアも続く。
 悲鳴は酒場から聞こえたからだ。
「どうした!」
 ザックが酒場に飛び込む。
 時分時から外れた店内に客は少なく、腕を押さえて床に転がる男とぽかんとした顔の踊り子とマスターに常連の親父、そしてカウンターの前に膝を付く「彼女」がいた。
「そ、その女が!その女が妙な術で俺を切りやがった、助けてくれひとごろしだ!」
 怪我をしている男が彼女を指差してわめくのに、踊り子が我に返ったように言い返す。
「何よ、あんたが悪いんじゃないの!ベタベタしつこく触ろうとしてさぁ!」
 大した諍いではない、と判断して、ザックは「彼女」に目を転じた。
「……大丈夫か?」
 声を掛けても返事が無い。顔は真っ白で、歯の根が合っていない。
「なあ、おい」
 ザックが肩に手を置くと、彼女の肩が大きく震えた。
「わかんない……、何、こんなの……」
 小声で呟いて彼女は握った包丁を見つめる。手から滑り落ちた包丁が、からん、と乾いた音を立てた。ザックはその肩を抱くようにして支えて座らせ、カウンターの中に声を掛ける。
「親父さん、なんかあったかいもの作ってくんないかな」
「おう、けどよ」
 気遣わしげな様子に、ザックは耳障りな声で喚き続ける怪我人を振り返る。
「いいかげんになさい!」
 響き渡る一喝は、セシリアの喉から出たものだ。
「この程度の傷、跡も残らず治して差し上げます。それで十分でしょう。お黙りなさい」
 さすがだ姫さん。
 ザックは口笛を吹く真似だけして、セシリアの後ろに立つロディに親指を立てた。ロディがに、と小さく口元を引き上げる。
「ありゃ姫さんに任せておけば大丈夫だよ」
 未来のアーデルハイド公は、大変に頼もしくなってきた。人と場所を一瞬で収めなければならない場面では、特に。
 昔だったら偉そうだと思い、反感も抱いていただろうその威厳を、今少なくともセシリアに対する限りは好ましく思える。ザックは床から包丁を拾い上げ、マスターに返した。

 マスターがウイスキーのお湯割を「彼女」に渡し、彼女が口を付けるのを待って、ザックは改めて聞いた。
「で、何があったのか聞いてもいいかい」
「……ほんとに、わかんないんだよ……」
 答える声は、まだ掠れる。
「あいつがあの娘を殴ろうとしてるのを、止めようと思ったんだ」
 俯いて彼女は掌を握りしめた。
「間に合わない、と思って、手近にあったものを掴んで……カウンターを踏み越えたら、あんなに遠くなのに、切れて」
 ザックは僅かに顔を強張らせる。何があったのか、ザックにはその説明でわかる。
 ありえないはずのことだ。
「つまり、こういうことか?」
 カウンターに入り、ザックはくるりと辺りをひと眺めする。めん棒なら、切れる程の刃にはならないだろう。掴んで軽く振った。
「おーい、ロディ!ちょっと悪い、的んなってくれ。『撃つ』から」
 ロディはこくりと頷いて防御の構えを取る。
「行くぜ」
 ザックは軽くしゃがみ、飛び上がったカウンターの角を踏み切りにして、高く飛んだ。
 落ちる勢いを借りて、棒を振り下ろす。
 ぼんっ。
 鈍い、棒が空気を打ち付ける音が響き、ほぼ同時にロディの防具が衝撃を受け止めて高々と鳴った。
 ザックが立ち上がって辺りを見ると、ロディとセシリア以外の客はぽかんとしているか、顔を青ざめさせている。つまりは、同じだということだ。
 口を開いたのは、マスターだった。
「今のは何だい、つってもいいのかな」
「『早撃ち』さ。北方剣術の一派だよ」
「な……に、それ」
 ひときわ蒼白な顔をした彼女が自分の腕を抱きしめる。
「知らないよ、あたし北方なんて行ったこと……」ぽたりと涙が落ちた。
「無いとは、言い切れないけど……」
 無くした筈の記憶、無くした筈の技術。
「あたし、何者なんだろう……」
 ぽろぽろと彼女は泣き続ける。真っ白な顔をして、震えている。

 彼女は既に『斬り姫』ではない、同じ顔の別の女だ。
 なのに、体は『斬り姫』の動かし方を覚えているのか。
 双子のようだと思っていたけれど、もしかすると腰部接合のシャム双生児と見るべきなのかも知れない。根はひとつで、彼女の体はまぎれも無く『斬り姫』の体でもあるのだ。
『斬り姫』のと言うには到底及ばない刃にすら、彼女は怯えている。
 その技の正体も、使い方も知らないからだ。その恐怖を除いて、守る方法はひとつしかない。
 ザックは彼女の横に戻り、声を掛けた。
「なあ、あんた。この『早撃ち』覚えてみないか」
「な……!何言うんだあんた!冗談はやめてくれよ」
 マスターが慌てたように割って入る。彼女も信じ難い顔をしてザックを見上げた。
「本気だよ、マスター。彼女、覚えてなくても多分『早撃ち』の経験がある。そうでなきゃ偶然にだって出せる筈が無いんだ、刃なんて。」
「で、でもあたし……」
「剣客や渡り鳥になれって話じゃねえよ。ただ、基本だけでも覚えておけば何だかわからない内に切っちゃった、なんてことはなくなるぜ」
 ザックの言葉に、彼女は俯いて考え込む。
「ザック、大丈夫かい?」
 耳元で亜精霊のハンペンが囁くのに気がついて振り向けば、ロディとセシリアが心配そうな顔をしている。大丈夫だ、と目で合図してザックは頷いた。
 大丈夫だ、彼女にエルミナを見ている訳じゃない。でも彼女がエルミナと根を同じくしていることもわかっている。
「あのさ」
 彼女がぽつりと口を開く。
「ん?」
「習えば、あたし自分の意思で使えるようになるのかな……さっきの」
「なるさ。刃物は使い方さえ間違えなきゃ危なくない……刀だって包丁と変わらねえよ」
「それで、覚えたら……」
 彼女は顔を上げた。真っ直ぐにザックを見上げてくる。
「大切な何かを守ることもできるかな」
 ザックは破顔した。
 大切な何かを守るための剣、ザックがかつてエルミナから教わった騎士の心。
 今度はザックが彼女に伝え、守る番だ。
 それでいいだろう、エルミナ。
 ザックは彼女の奥に見えるエルミナの名残に向けて問うてみる。彼女は笑っていたような気がした。



−−−−−−−−−
 エルミナ復活イベント後の捏造です。
 WAで一番好きなのはザックでしたが、エルミナもハーケンもとても好きでした。いそいそと復活イベントをこなして再会したとき──正直がっくりした訳で……。騎士っ気が無いからですね。
 それに年はそのまま、自分を構成する過去の記憶無しで放っぽりだされるのも、酷なんじゃないのかなあと。アイデンティティゼロっすよ。いっそ幼女で転生させてザックに光源氏させたらどうよとすら思いましたとも。
 エルミナとザックを書きたいばかりに記憶が戻ったらという捏造設定で同人活動していたこともありますが、今回はちょっと別アプローチで切ってみました。
 酒場のお姉ちゃんのままでもエルミナでも、逞しく育ってゆくゆくは渡り鳥を引退したザックを養えるようになって頂きたい(笑)。
 正直、あの町で「おじいちゃんが青いイナズマなら死んだおばあちゃんは赤オニだったわ」と孫に言われているあの老夫婦が、エルミナザックの将来像としての私の理想です。(08/08/21)

Pro.100txt.