100:『貴方というひと』

「おい、天……」
 法事の後、赤木の墓の前で、原田はひくりと眉をつり上げた。
「何や、この墓は」
「えー一昨日来た時とは何も変わってねえけどなあ」
「一昨日なんて最近の記憶と比較すな。去年から比べたらまた思いきり減っとるやないか墓石!」
 何しろ参詣者が絶えず、験担ぎに墓石の欠片を持って行く不心得者も後を絶たない墓である。
 没後3年しない間に3分の1が減った墓石は、その後もペースこそ落としつつ順調に減り続け、7回忌を迎えた今となっては半分方消えている。
「夜店の型抜きとちゃうねんで!赤木の『赤』の字辺りそろそろデッドラインになっとるやないか!」
「一度金網掛けてみたんですけどね、持ち去り防止策に」
 ひろゆきがぽつりと口を挟んだ。
「で、どないしたその金網」
「1週間保たずに破られました」
「いいじゃん別に。今更またちょっと墓石減った位で赤木さん怒らねえよ」
「って天さんも言うし、また別の手を考えなきゃなーって思いながら今日まで」
「これだから東京者は……!」
 原田は肩を震わせて眉間に指を置いた。
「ちょっとちょっと言うて、もう半分や。このままやったらホンマに無うなるで、この墓石」
「無くなったら無くなったでいいんじゃないかな、って気がするんだけどな。最近」
「骨まで持ってかれたらどないすんねん」
「そしたら俺ん家で預かりゃいいだろ、骨壷」
 原田は天の胸倉を掴んで凄みを利かした。
「ここはな・ん・の・た・め・の墓や。言うてみい」
「赤木さんに会う為のお墓」
「その墓に『本人』がおらんでどないする……ッ!」
 天は悪びれなく答えた。
「だめか、やっぱり」
「当たり前や!わかっとるなら阿呆なこと一々言わんでええ!」
 天の胸倉から手を離し、原田は苦虫を噛み潰したように墓の様子を改めて見る。
 花、酒、煙草といった普通のお供えの類に属するものの他、カジノのチップやパチンコのドル箱、ライターの石などという、普通墓に備えるべきでないものもうず高く積まれている。
「しかし、まあ……大したもんや、赤木は」
 ぽつりと原田が言う。
「死んで随分経つのに、こんなもん持ち込む阿呆ばっかようさん墓参りに来よるんやもんなあ」
「今日は祥月命日ですから特に多いんですよね。一昨日掃除したのに、今日はもうこれですよ」
 ひろゆきは苦笑する。
 墓地の片隅でこちらを見てそっと踵を返した男達も、多分目当てはこの墓だろう。今、こうしている間に他の参詣客が近寄って来ないのは、天と原田のひと目で堅気で無いとわかる威圧感の所為に他ならない。
「これはいっそのこと、お宮さんでも建てた方がええんちゃうか」
 原田の言葉にひろゆきはきょとんと聞き返す。
「え、お宮さんって……神社ですか?」
 原田はおもむろに頷いた。意外に真剣な顔をしている。
「何年も経っとるのにこないに人が来とるんや。場所にもよるけど、でっかいお社ぼあーん建てても採算取れるやろ。」
「採算……」
「ほんでお守りでも売ったったら、墓石削った上にネットオークションに出すようなカスも減るっちゅう話やしな。」
「えーっと……」
 ひろゆきは言葉に窮した。想像に容易い所が却って怖い。しかも原田の企画力と行動力を考えると実現可能性も高そうなのが更に怖い。同じ結論に到ったのか、今度は天が原田に食って掛かる。
「原田、お前赤木さんで商売する気かよ!」
「阿呆なこと言いなや。こんなん損得勘定ででける話とちゃうわ」
 原田は冷静に受け流す。つまり、あながち冗談ばかりの思いつきでもないということだ。
「お供え持ち込む連中は気楽やけどな。ゴミんなった後のお供えの処分費用、墓の管理費、その辺含めたこの寺との折衝、近い内確実に掛かる墓石の建て替え費用――諸々の手間暇費用、色々掛かっとるわなあ。」
 それらの費用は、天を代表とする関係者一同のカンパと善意で成り立っている。
「別にちゃんと払えてるし、特に今んとこ問題もねえだろ」
「俺らが今んとこ元気に稼げて体も動いとるからな。問題は、それができんようになったときや」
「永代供養っていうの、だめなんですか」
「あーあれなぁ。係累おらんよになっても過去帳の中にはきちんと入れといたる、ってだけの話やからな。墓自体は適当なとこで処分されんねんて」
 そんなん、惜しいやないか。原田は言った。
「誰に頼ることも無く、赤木が自分で自分の『生活費』稼げるんやったら稼がしたったらええねん」
「何で死んだ後まで赤木さんが生活費なんて世知辛いもん稼がなきゃなんねえんだ。ケチくせえぞ原田!」
「ケチくさいのはおどれの方やないか、何かっちゅうと赤木を1人で抱え込もうとしよってからに!」

 止めようのない速度で続いていく天と原田の言い合いに、ひろゆきはため息をついた。
 兄弟喧嘩のようなもので、放っておいても大したことにはならないのはわかっているが、だからと言って放っておく訳にもいかない。しかし、迂闊に止めに入ると自分まで巻き込まれてしまう可能性が高く、そうなると収束までに却って時間が掛かる。力ずくで止めるだけの腕力は、ひろゆきにはない。
 どうしたもんですかね、赤木さん。
 天さんは未だにあなたを家族にするのを諦めてなくて、原田さんはどうもあなたを自分の縄張りへ連れて帰りたいみたいですよ。
 そして僕はやっぱり何かと言うとこうやってあなたに相談事がしたいんです。
 半欠けの墓石を見ているうちに、それなり答えが返ってくる気がするから不思議である。
 とりあえず出た結論を胸にしまい、ひろゆきは手桶を手に取った。
 原田と天を避けて墓石の横へ回り、墓石に水を掛ける。掴み合いに発展していた天と原田が手を止め、ひろゆきに目を向けた。目を合わせないように墓の前で線香を手向けて合掌し、ものも言わずに背を向ける。
「ひろ!」
 二重唱で呼ばれて、ひろゆきはようやっと2人と目を合わせる。
「何ですか」
「何ですかってお前、」
「少しは止めようとせんかい薄情もん!」
「おや」
 ひろゆきは2人をじっと見てから、意地悪く口元を引き上げた。
「止めて欲しかったんですか。ふうん、そりゃ気がつかなかった」
「ひろ……お前いつからそんなに性格悪くなった……」
「なんか赤木に似てきよったな……ロクなことないで。」
 ひろゆきはフフ、と微かに声を立てて笑った。
「朱に交わってたら多少は赤くもなるでしょうよ」
 しれっと返す口振りは尚のこと赤木しげるに似ていたが、天も原田もそれを口には出さなかった。
「そろそろ行きませんか。あと、そうだ原田さん」
「何や?」
「赤木神社ね……今ちょっと考えてみたんですが」
 ひろゆきはちらりと墓石に目をやった。
「自分が神様にされるって聞いたら、赤木さん多分爆笑しながら逃げちゃいますよ」
 原田は墓石を振り返る。生前ついぞ見たことの無い、爆笑する赤木の姿が一瞬見えた気がした。
「そうかもしれん。」
 原田は呟くように、言った。
「そうなんやろ、多分な」
「赤木さんだもん、しょうがねえよ原田」
「天は黙っとれ」
「僕らもまた何か考えますから」
「アテにできるかい、お前ら呑気過ぎるわ」

 赤木しげるという人は、死んだ後時が過ぎても尚近くに感じる、そういう人だ。
 無くなりそうで無くならない墓は、赤木そのものである。



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 大好きなんだッ……お前が……!と言っておけば何とかなるような気がしています。
 まあ……法事ならここに居るのが3人限りってことはないのでしょうけど。すんません私の腕では3人が限度……。
 原田は、能力やら何やら考えれば色々と恵まれている筈なのに、報われないところが好きです。粘り腰の分厚い根性をした天ちゃんも好きです。
 赤木さんの通夜で、結局1番最後まで迷いというか不完全燃焼のもやを引きずっていくのは、実力行使に出かけて失敗した天ちゃんと原田さんなのではと思ってます。
 天が「あの時針抜いておけば」という可能性を思うのと同じように、「やっぱりさらっちゃえばよかったかな」という無念を原田が抱えているといい。2人とも、いい奴だよなあ……。通夜編は本当に切なくてよい。
 あれはあれで赤木さんの最後の全力投球なんだよな……。(08/09/26)

Pro.100txt.