001:『クレヨン』

「何を探しているんだ?」
 新聞から顔を上げて同居人が問うた。先程から押し入れの奥や、引き出しの中を私がひっかきまわしている姿が目障りになったのであろう。
「クレヨン、知らない?」
 私は彼にも聞いてみる事にした。案の定、彼は怪訝に眉を寄せる。
「クレヨン?何に使うんだ、唐突に」
「無いならいい、買って来る」
 腰を上げると、まぁ待て、と引き止められた。
「色鉛筆や水彩絵の具じゃ駄目か?」
 だめなのだ。こればかりはクレヨンでないと。そう答えると、絵を趣味にしている同居人は考え込み、再び問う。
「オイルパステルは?」
 私は考えた。成分で言えばそう変わりはないように思えるが、この用途に使ってみた事がない。ので私は言う。
「クレヨンがいい」
 大体、オイルパステルなんて大層なものを使う用事ではないのだ。彼は大儀そうに息をひとつ吐き、自分の領分にしている部屋の、長押の中を探し始める。
 私はその間に他の準備をしてしまおう、と台所の棚と、冷蔵庫の中を確認する。どうせ足りなくて買いに行かなくてはならないものがあるだろう。
 卵と、食紅に食青。それといつぞやカレー粉を作ってみたくて買ったターメリックの残りがあるはずだ。小振りのボウルがいくつかあれば、完璧。
「……何がしたいんだ、一体」
 振り向くと同居人が渋い顔で、手に古ぼけた紙箱を持って立っていた。
「いつの、それ」
「クレヨンに賞味期限があるか?」
 差し出された箱を取り合えず受け取った。角の避けたボール箱の蓋は輪ゴムで止まっている。べたつくクレヨン独特の手触りが箱の外にまでしみ出していた。いい加減取り替え時の輪ゴムを外して、蓋を開けてみる。箱の表示は12色。折れたりちびたりしながらも、きちんと揃っていた。
「感心感心。随分物持ちがいいんだね」
「しまいの頃のだからな、捨てるに忍びなくて」
 箱の上に同居人の名前が書いてある。成程、水彩絵の具を与えられる寸前の年頃のものらしい、字がひらがなだ。
「で、何に使う気だ、これを」
「当ててみてくれ、私は卵を買って来る」
 テーブルの上へ引っぱりだしたものを指差して、私は財布を片手に部屋を飛び出した。

「ただいま。答え出た?」
 彼は無愛想にこちらを見る。手には湯飲みと先程放り出したはずの新聞。
「こっちだって暇じゃ無い」
「悪かったよ。もうすぐ答えはわかるから」
 私は鍋に湯を沸かした。卵を茹でる必要がある。
「クレヨン、持ってるくせに使わないんだね」
「使いにくいからな、色は濃いし厚ぼったい。腕が子供に戻った気がする」
「濃くて厚ぼったいならオイルパステルだって同じじゃない」
 子供と変わらない彼の腕には言及してやらない事にして、私は鍋の案配を見た。
「あっちはもっと伸びがいいんだよ、色数も多いし」
 卵は固茹でに茹でる。本当は、半熟の方が美味しいんだけどね。茹で上げ、水で冷やして殻は向かずに水気を拭く。
 ざるの上に盛った半ダースのゆで卵。そのひとつを取って、私は彼に差し出した。
「さて、君のセンスにひとつ期待したい」
「卵に、か?」
「うん、クレヨンでね。綺麗に描いて」
 最後の作業、ボウルに食紅や食青、食黄代わりのターメリックをお湯に溶く。三色の色水が出来た。
「で、絵描いた卵をこれに漬けると」
 白い卵の殻は簡単に染まり、クレヨンで描かれた絵の部分だけが色を弾いて染め残る。
「こういう遊び」
「成程」
 同居人は染め上がった卵を眺めて苦笑した。
「ま、水彩じゃ無理だわな」
 私は笑って、自分でも卵に絵を描く。クレヨンを触るのは全く何年振りだろう?
 濃く、厚ぼったく、小回りの利かない不器用な画材。混ざらず染まりもしない、ひどく頑な道具。頑固な使い心地を優し気に感じてしまったり、捨てるに忍びないのは多分思い出の所為だ。クレヨン自体と言うよりは、その年代に対する感傷の為せる業。
「しかし、ひとり3個か」
「大丈夫、固茹でにしたから保つよ。1日1個。サラダに入れてもいいしコロッケにもできる」
 クレヨンから遠く離れ、私達は遊んだ後始末まで考えるような年になった。
 いいでも悪いでもなく、そう言う事だ、と思った。


−−−−−−−−−
 とりあえず1番から始めてみる。どうって事ない典型の点景になっちまいましたが。「私」を男と取るか女と取るかは御自由に。わざとどっちでも取れるような固い台詞はこびにしてみました。同居人の性別も、フレキシブルにしたかったのですが……三人称「彼」がうまい事削れなくて。最初から敗北です。わーん。(03/01/11)

Pro.100txt.