
51. 糞ツ垂レ 森田一雄
子供達は沢山の童話を信じているものだ。そして,想像も出来ない一見奇妙な力を色々な物に真摯な気持で与えてしまう。僕達だってどんなに遊びに忙しい時でも,立小便する時には必ず丹念に蜥蝪の居そうにない所を捜したし,すぐに親指を掌に隠せる準備をしていた。それは,蜥蝪に見られると,とんでもない事になるという童話の謂れだった。馬糞を踏むと忽ち速く走れるというのは,僕達にとって,とても魅力のある童話だった。僕達は,有頂天で,とても他の事など考えられない運動会の朝でさえ,懸命に馬糞を捜し出して,既に乾いてしまった端の方を遠慮勝ちに踏み付けてから,学校目指して駆け出したものだ。乾かない方がもっと良いとも言った。けれど,友達皆なが踏ん付けてしまって,結局僕達は,又同じスタートから競争しなければならない事になった。そこで,僕達はもっともっと速く走れる童話を考え出さねばならなかった。 それは,馬糞を靴を履いてではなく,裸足で踏み付ければ,それはまるで駿馬の如くに走れるという童話だった。僕達の仲間でそれを実行する勇気のある者が居たかどうかは知らないが,僕は決して一等賞を貰う事はなかった。牛の糞を踏めば,僕達はとてもかけっこ等出来るものではなかった。けれどまるで黒いソフトクリームの様な牛の糞は,間違いでもしなければ踏みはしなかった。そんな風に僕達は,馬糞や牛の糞には童話を持っていたけど,唯一つ,マッチ箱の上に名前を書いたラベルを貼って持って行く検便は,運が付くとでも洒落る以外寂しいものだった。
高校の頃,僕達は当番で学級日誌を書かねばならなかった。授業時間や欠席者,遅刻者の名前から掃除の出来具合迄,学級の事を詳しく書き記していた。その下半分は白紙で,僕達の腕の奮い処だった。僕達は下半分の白紙を最高に編集して,他の当番が余している所があれば,幸運を見付けた者になる筈だった。
検便は高校の時にも続いたが,その年頃には腹の中一杯に他処者を入れ込んで死んでも良いと言う者も出て来る始末だった。当番の腕も鈍りがちだし,誰も余り書きはしなかった。その頃の日誌には,こんな事が言葉少なく書かれていた。
某月某日:検便の締切り今日限り。締める。
某月翌日:検便の未提出者又は長期間便秘の者次の如し!
早急に提出されたい。
そして,いよいよ最期には,唯一言,ひどく真面目にわずかコミックに次の様に書かれていた。
某月某日:糞ッ垂レ!!
大学に入って検便がなくなって,その糞ッ垂レと叫んだ男は,屹度,本当に自由になった気持がした事だろう。それと同時に今度は,神話を創り始めたに違いない。