
46. 分かるということ 高西照彦
今でもそうですが,分るってことはどういうことだろうかと考えることが,時々あります。先日,九大で水道方式の遠山氏が,数学教育に関する 大変面白い講演をされましたが,その中で 氏は「どなたか私に分数同士の掛算は,なぜ,夫々分子,分母同士を掛け合わせれば良いのかを,説明してくれる人はいませんか」と,言いだされました。一流の数学者からこんなことを云われて,我々は皆一様に,目をぱちくりして お互いに顔を見合せて後,再び氏の上品な顔を,眺めました。
氏の説によると,精薄児は,パッと分るという飛躍的な理解の仕方はせず,全く論理的に一歩一歩連続的に理解するという。この精薄児の理解の様式が,理解の一番プリミティブな形なのではないだろうか。算数教育はここからもう一度,考え直す必要がある。
そういう意味の話を大変興味深く聞き,ここにも分るということの一側面が顔を出しており,分るということはいよいよその複雑さが増してゆくように思われました。