41. 植物雑記              保里昌平


 植物は動物のように神経もなければ,脳細胞に類するものなど勿論持ち合わせていない。したがって思考力を持っている筈もない。しかし,いまもしある植物が目前で,俊敏な動作によって実際に虫を捕まえる様子が見られたとしたらどうだろう。また植物が自然の厳しい環境の中で生きのびるために,ある種の智恵を働かせているとしたらどうだろう。 このようなことを考えていると,一瞬植物にもある種の意志が働いているのではないかとすら思われることがある。また同時に自然の中には目に見えない不思議な力が働いているようにも思えてくるのである。 このようなことについて私の栽培した植物の中から1・2の例を拾ってみた。 1.ヴィナスのまぶた  西洋では「はえじごく」のことをヴィナスのまぶたと呼んでいる。これは葉の周囲に並んでいる刺の形の睫毛に似ているためこのように呼ばれるものと思われる。このはえじごくは北米,北カロライナおよびフロリダ地方に分布しており,地ぎわから生えた約5pほどの葉柄の先端に捕虫葉をつけている。この捕虫葉は2枚貝を開いたような形をなし,その周縁には鋭い刺が一列に並んでいる。また捕虫葉の内側には3本づつ合計6本の針状の感覚毛がある。いま,ハエやアブのような虫が葉の内部から分泌する液をなめに来たとすると,思わず足をすべらせて感覚毛に触れることになる。この感覚毛に一回触れただけでは捕虫葉は運動を起さないが,二度目に触れた瞬間,かなり早いスピードで二枚貝状の葉が閉じ合わさり,周縁の刺はたがい違いに,ちょうど両手を合わせて指を組んだように虫を閉じ込めてしまう。ついで葉の内面から分泌される消化液によって消化吸収され,1週間から10日たつと葉は再び開き,食べかすは吐き出されて次の獲物を待つわけである。 この動作の種明かしをすると,感覚毛が刺激を受けることにより,表面の細胞内の水が急に裏側の細胞の方に移動するため,内側が小さくなって外側がふくらみ閉じる作用が起きるわけで,なるほどということになるが,外見上は全く動物の動作そのままである。また念の入ったことには,この閉じる動作は受ける刺激の時間間隔が約1〜20秒の範囲にある時だけ起り,雨や潅水のときのように連続的な刺激が与えられた場合は閉じず,昆虫が羽根をバタバタさせたような断続的刺激にだけ感じるように出来ており,どこまでもうまく出来ているものである。 2.五彩の夢 サボテンをいえば刺を連想するくらいサボテンには刺がつきもので,サボテンのイメージといえば一般に樽状の全身を刺で武装した姿であろう。この代表的な属にEchinocactus属があるが,Echinoとは針ねずみの意で「針ねずみサボテン属」というわけである。 このビール樽状の身体も烈々たる刺も砂漠で生きてゆくために,長い間かかって,サボテンが身につてけきた生活の知恵とでも云うべきものである。この樽形の多肉質の身体には短い雨季の間に吸えるだけの水を貯え,その後に続く長い乾季の間は,この水を少しづつ消費しながら花を咲かせ,実を結び,過酷な環境に耐えながら子孫の繁栄に全力を傾けるわけである。一方,刺は目をさえぎる物の殆んど無い砂漠の中で柔かな多肉質の身体を野獣の食害から守るためには最も有効な手段となる。 ところがなにごとにも変わり者があるものでサボテンもその例に洩れず,刺を全く持たないものがある。その一例にLophophora williamsii Coult(和名鳥羽玉)がある。このサボテンは「直径9〜12cm程度の球状ないし偏円状になり,頂部はやや平ったく,肌色は青緑色,陵は7〜10程度あるが明瞭でなく,又各陵の刺からわずかに白色の羊毛状の短い毛を出している。」といったようなものでメキシコの中部高原より北米ニューメキシコ,テキサスにかけて広く分布している。 このようなサボテンがいかにしてその身を守るのであろうか。先ず第一に使う手が擬態である。鳥羽玉は殆んど砂に埋まるようにして乾季を過すので非常に発見がむずかしく,付近の砂や石ころと見分けがつかなくなってしまう。ところが雨季には身体中いっぱい水を吸い肌色もみずみずしくなり,僅かに地表に姿を表して,淡いピンクの花を開く。このときかろうじてそのありかが知れるわけである。ところでこれを食べようとする野獣にはここで第二の手段が待ちうけている。というのはこのサボテンの身体および根には特殊なアルカロイドが含まれており,その主成分はメスカリンという覚醒剤の一種である。動物はこのような麻薬が含まれていることを知った後には口を付けようともしなくなる。 ところがこのようなサボテンも人の手にかかるとひとたまりもなく,メキシコインディアンは古くから,これを食べると幻覚を生じることを知って,宗教的儀式や呪術的祭礼の場にこれを用い,宗教的陶酔境にひたったと云われている。また最近ではアメリカのヒッピー達も幻覚状態にひたるために,これを食べることがあると聞いている。 ではどのような幻覚状態になるのであろうか。これはメスカリンの溶液を皮下注射して自ら経験した例が我国にもあり,これによると「五彩の夢」が見られると言われるように,美しい色彩を持った種々様々な色をしたものが目まぐるしく乱舞し,身も心も雲のように軽くなり,陶酔境に身を置く心地がするとのことである。 私の温室にも10数本の鳥羽玉があるが,まだ食べたことはない。

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