40. 坊ちゃん              宮脇猪之介


   漱石の「坊ちゃん」も「でもしか先生」の亜流である。天下国家の将来を案じ,教育こそ国家百年の大事であると教育界に自を投じたわけではない。 校長に着任の挨拶をした時,「学問を教えるだけでなく,人格的な徳化を生徒に及ぼさなくてはなりません。」と説教され,「そんなむつかしいことはできそうにない。だいいち月給40円くらいで,そんなえらい先生が来るはずがない。荷物をまとめて東京に帰ります。」と言って,校長になだめられ,ひきとめられる。(注) 授業態度もあまり親切ではない。というより挑発的である。「てやんでえ。てめえら,江戸っ児は気が短けえんだ。」とまくしたてる。 生徒が可愛くてたまらないというわけでもない。「うすぎたないニキビ面め,田舎者は考えること,なすことすべて卑劣で仕方がない。」とその品性までも侮辱している。 生徒も,この生意気な先生に敬服し,慕っているというわけではない。事あるごとに反抗し,意地わるをする。師弟あいむつむという軟らかい雰囲気ではない。 それでいて,全体として兄弟が喧嘩を繰り返しながら,成長してゆくような生々とした明るさがある。 生徒の心身の発達段階を充分に心得,その悩みをきいてやり,親身に相談に乗ってやれる先生と,先生の学識を尊敬し,刻苦勉励将来に備えて学業と人格のとうや陶冶につとめる生徒との組み合せはもとより好ましいことに違いないが,坊ちゃんとその生徒の組み合わせもかえって生気があって頼もしい。 ぶんなぐってやりたい生徒をもつ先生と,すべってひっくり返った先生をみてその日一日愉快で仕方がない生徒との組み合わせからもまた教育の成果は生まれるのである。 職場の人間関係またしかり。社会の新入りとなる諸君,大いに先輩にしごかれ逞しく育って下さい。    *    *    *  (注)漱石は明治28年,28才の時,松山中学校の増設によって,英語の教師となっている。月給80円。この時校長の月給は60円であったからこの話は,当時の中学校が立派な先生を得るために如何に努力をしたかというための語り草となっている。これは一見美談ふうである。おおらかな話のようでもある。しかし,こと金に関しては何時の時代でも,そうきれいごとばかりではないであろう。他の教師たちの思惑は?一人だけ特別待遇を受ける当人の気持は?そもそも自分一人破格な待遇をされ,不思議とも感じないような人が,果して立派な先生といえるであろうか? 「坊ちゃん」は「特別昇給」を断わっているではないか?考えれば,何もかもむづかしいことばかりである。

目次に戻る