
4. 彼の学生時代の1ページ 柿原利孝
彼の学生生活も終わろうとしている。入学してはや4年。今にして思えば長くもあり,又短くもあった4年間であった。いろんな事もあったが,彼の学生生活の1ページを開いてみよう。
その1………
まず学生にとりて,必要かくべからざる勉強について。
彼は,余りまじめに勉強した憶えがない。その証拠に,彼の成績のなんたるざま。小学校,中学校時代は天才で,高校時代は秀才の彼も,年20でもう凡才になったか。まあその理由はいろいろあるが,それはあとで述べる事にして先に進もう。ただその彼も,この文章を書きながら,もう少しまじめに勉強をしておけばよかったと思っているが,それは後の祭だと笑ってやれ。君はついでに笑わずに彼をほめてやってくれ。
ひきつづきその2…………
通学時に会ったある女の子の話。
3年生のある日,(彼は2年の時,親類のうちから通学していた。)久しぶりの我家からの通学に,彼は昼早く帰っていた。決して授業をさぼったわけではなく,その証拠に良い事があった。かわいい女の子に出合ったのである。彼女はじっと彼を見つめている。彼は気が弱いので,下を向いていた。君達のようにすぐ話しかけたのではない。これは,彼から直接聞いた事で,又純情な彼の事とて,うそではない。その時のかれの心中は,『どこの女の子かな………。
見たこともない顔だ。どこで降りるんだろう………。』まあこんな事であったろう。ところがどうであろう。彼女も彼と同じ駅で降りたではないか。彼は内心うれしく思った。駅前の広場から彼女の後をブラブラついて行くと,何としたことか。彼と同じバス停ではないか。彼は不思議でならない。そんな女の子が彼と同じ町内に住んでいれば知らぬわけはなし。やって来たバスに乗り,彼女の後に席を取り,じっと見つめている。やはり彼と同じ所で降りた。はて,彼女はどこへ行くのやらと見ていると,金文堂の方へ行くではないか。「あっ,本を買いに来たのだな」と彼も納得したつもりであったが。ところが,次の日の朝,彼が学校へ行くバスで,又もやいっしょになったではないか。不思議に思ったが,純情な彼の事とて,彼女に話しかける勇気もなくそのままであったが……。 しかしどうした事か……。
それから2日も続けて彼女に会ったではないか。こうなると,ただ顔を会わせるだけでは何だか悪いようで,ない勇気を出して,彼は,彼女に話しかけたのである。その時の彼の顔はどんなであったか,まあ君の想像にまかせます。
彼が知らないのも当たり前で,彼女は,この町の女の子ではなく,この町に下宿して,K女子大に通学していたのである。その他の話の内容は,彼の秘密として,あえて聞くまい。とにかく,彼と彼女は,それから1年,いっしょに通学したのである。これは汽車通学の楽しみである。君も汽車で通学してみろ。きっといい事があるぞ。
その3………。
彼は本来まじめ人間なのであるが,一つのものに凝るとそれ一本槍になる。1年の頃は読書に。これは非難される事ではないが,その後が悪かった。例の指先の運動である。家は出るが,学校に行き着かない。着いたと思ったらすぐ帰る。こんな生活が,2年生の時の大半であったようである。3年生の頃はその他いろいろなまじめな楽しい事。現在は何に凝っているか?君は知っているだろう。君も彼に勉強するように言ってくれ。しかし,ちと遅すぎるようだね。以上の事が,勉強をさまたげたと彼は思っている。これを許すべきか,許さざるべきか,まあ深く追求はしまい。ねえ皆さん。
その4………。
親友と酒について………。
彼の親父は,彼が大学1年の時に亡くなった。彼が大学に入学して,まもなく体を悪くし,11月のある朝亡くなった。胃ガンであったそうだ。その親父は酒が好きで,体を悪くした頃は毎日のように飲んでいた。このころ彼は,酒飲みのいやな親父と思っていた。酒が親父の命取りになったようで,彼の母は,彼が酒を飲む事を余り喜ばないが,親父の血を引く彼の事。酒飲みの血筋が悪いはずはなく,酒はかなり強いようだ。今は,「親父が生きていればなあ。親父よ,いっしょに酒を飲みたかったよ。」と思っている彼である。その親父も,もういない。残念なことである。しかし,その親父の酒の飲み方でも,彼が学びたい事がある。それは,いくら飲んでも自分を保ち,陽気になり,人に迷惑をかけない飲み方である。その親父の18番は佐渡おけさである。せめて彼にその歌を教えるまでは生きていてほしかった。
もし君が,今度彼に会ったら,いっしょに酒を飲んで多いに語ってくれ。
まだ述べたい事もたくさんあるそうだが,この辺でペンを置いてもらおう。
最後に一つ。僕の青春の心の詩の一つをつげる。
思い出の君と語れや
ぼくが悲しいとき
思い出の君を忘るな
ぼくがさみしいとき
思い出も君と語ろう
ぼくがうれしいとき
そして
思い出の君を忘れよう
ぼくが死ぬとき…………。