
31. 春の野原にて 宗像敏男
春の光を真に受けて,
私の心は,この筆のもとにある。
人中をへだてた草むらに
私は一人たっている。
ここからのながめはすばらしい。
あでやかなかわら屋根が大地をそめ,
その奥に皿倉山が威厳を保っている。
キャンバスにいたずらする風と
草木のすれあう音だけが
私の周囲でたわむれにふけっている。
私も彼らと同様に思うがままの行いをする。
絵をかいたり,本を読んだり,テレビに
かじりついたり,
たわいない話に花をさかしている。
瞬時に苦しみをやわらげようとしている私。
人生とはこんなものだろうか。
人生とはこんなものだろうか。
随 筆
船 室 に て
さきほどから何度も寝返りを打つのだが,一向に眠れそうにない。船底からエンジンの響きが伝わってくる。さきほどまで数人の子供たちが大人の迷惑そうなつぶやきをよそに,船室の中を駆け回っていたのだが,今はそれもやんで,低い小刻みなエンジンの響きと人の寝息がきこえてくる。
これ程心静かにいられるのはほんとうに久しいことだ。つい先日まで私は胃の調子をこわして始終胃のもたれを意識した憂うつな生活を送らねばならなかった。
そもそも胃の調子が狂い始めたのは数ヶ月前,姉の所で湯どうふを食べた時からだった。もともと内臓は強い方ではなかったが,決定的なダメージを受けたのは,その時からだった。食事も終わり頃,突然食道に砂でも詰まったような不快感が生じてきた。最初は水を飲めばよくなるだろうと,気安く考えていたのだが,しだいに,それは嘔吐を催してきた。さらに自制する間もなく,食物を全部吐き出してしまった。その中に血も混じっていた。
それから数週間,タバコをひかえ,食事に注意して,胃の回復を願った。でも一向によくなる気配はなかった。内臓の疾患は精神をもむしばんだ。うっとおしい気分が続いた。それは最悪の状態だった。生気を吸い取られた体は,何をするにも億劫に感じられた。そこには生命の活力の微塵もなかった。
医者の所に診察にも行った。しかし科学的な医療器具を使ってしてもどうしても欠陥は見当たらなかった。帰りに医者は薬を調合してくれた。この時以来母は,私と顔をあわすたびに「薬は毎日飲んでいるか。」とうるさく問いただした。そこで私は母の忠告に感謝しなければならないはずなのだが,度重なるごとに,執念深い監視人といった感情をいだくようになった。又私が,「もうよくなったから飲んでいない。」と答えると「しばらくの間は,用心のために飲まなければいけない」と私を戒めた。その時は,本当に気分がよくなっていたのだが,その後,又例の憂うつな状態に立ちかえってしまう。こういった状態が続いた。そして又,私の気分がふさいでいる時に,母は私の容態を尋ねて「薬を続けて飲んでいれば,自然に快方に向う」と言った。
母の言う通りだった。何度が浮き沈みしているうちに,うっとおしい気分でいる期間が少なくなって来て,現在では,胃のことなどほとんど意識しなくなった。
何が私の胃を不調にしたのか考えてみる時,これまで思春期の途上にあった私の身体に,内臓が並行して,発達しなかったのか,又,この4年間の大学生活でいろいろ考えあぐねた結果,現在胃にその負担がかかってきたのか等,私は内的な因果をさぐった。
なにはともあれ,私は再び健康体にもどった。やらなければならない。私の意欲の欲するままに,人生をすすまなければならない。私は何度も自分にそう言いきかせながら,寝返りをうった。体には依然としてエンジンのひびきが伝わってくる。