3.  無題 小川 晧


   人間が現在の自分に耐えきれず,その環境に没しきるにはまだ情熱の炎が燃え尽きていないとしたならば,苦悩からの逃避と,まだ見ぬ自己の一面に解れようと,一人,さすらいの旅に出向いていくのは必然かと思われる。 8月1日 諏訪の瀬島についた。というよりいよいよ来てしまったという感が強い。 8月4日 昨晩飲み過ぎて昼まで寝てしまった。しかし,焼酎がこんなに効くとは思わなかったし,多くみても五合だのに。やっぱり焼酎は残るし,強いのだろう。島の人は皆,水を入れて飲むそうである。 8月5日 「大学4年間で捜そうとしなかったんだよ。」ヒッピーの言葉は,俺には響いた  逃避主義者,ニヒリズムなんて知的水準では語れない。巨視の世界にはニヒル,微視の世界にはリアリスト,その仮面をはげ。 現実から逃避した如きのヒッピー諸君。君らは逃げきっていない。またまだ逃げ続けねばならない。永久に。逃避そのものも意識できず生きていくのは敗北者の姿である。敗北者そう,どんな悲しい事実をも耐えて生きている奴もいる。逃げられる奴はまだ幸運だ。幸運を拾った人間が何がニヒリズムだ。 8月6日 巨視の世界。微視の世界にニヒリズムの人間はどうするのか。 8月7日 俺は今かなりの充足感を覚えている。音楽とコーヒー。いや久し振りに一人でくつろぐこの時間に。物理量は今や遠いはるかな距離。珍しい,こんな心境になれるのは。何か酒に酔いたい。酔ってもいいんじゃないかという誘惑が湧き出てくる。 圧縮された生活からの解放。今の俺にはそんな贅沢な言葉はあてはまらない。 確かに充足感を覚えつつも,これでいい。この充足感が永続的に俺の内にあれとは考えない。完全に俺をとりこにしていない。旅の淋しさがなさしめるせめてもの慰めか。 弱気は出すまい。しかしどうみても哲学的でない俺の心境。 8月14日 自分がどう生きるかを真剣に考えることの恐れのために俺はこの旅に出た日記にすら周囲の状況しか記すことができない。 紺青の海,あふれるばかりの強烈な太陽,そして素朴な人間像。もしこの俺に自分なりの生き方,考え方に確固としたものが築き上げられていたならば,これだけでこの旅の成功を確信するだろう。だがしかし,今の俺には自然がいかに美しいものであろうと,どんな純朴さに触れようと,むなしさが増すばかりである。 ヒッピーとの語らい。素朴な住民意識。限りなき自然の抱擁力。焼酎の味。そして純朴な少女の澄んだ瞳。 ともかく悶々とした毎日にピリオドを打ち,旅に出られたのは幸運といえよう。

目次に戻る