
29. 卒業記念文集に寄せて 三浦真比古
短い4年間が,後わずか,3ヶ月で閉じようとしています。「光陰矢のごとし」と言いますけど,過去は短く,先は永い様に思われます。大学生活は短かかった様に感じられます。思い出の多いときには 振りかえってみると 永かったと感じられる様です。こう言う風に書くと,何も記憶に留まるものが なかったかのようですが そうでもなく,1,2年の時には,グライダー合宿と試験に追いまわされた様ですし,3年は夏期実習と,点々と思い出されます。何もなかった様に感じるのは,入学時の気持と,現在のそれとの間に 余り変化がないためでしょうか。
つい先日の祖父の死も大きな痛手を与えたとは思われません。しかし,生前よりも現在の方が,むしろ祖父について考える事は多くなってきています。人が死んで霊魂が残るものか あるいはそうでないのか等と考えたりするのも,死と言う事実が,僕に与えた一つの結果でしょうか。このことはまだ 過去をふり返って見ると言うには 余りにも早過ぎるし 又回想などと言う感覚からは,程遠いものと思われます。将来,この文を 再び読む様な事があれば ある形を持って今の気持を思い出すかも知れませんが 今は不可能です。今(から)考えてみると,学校あるいはクラスの行事に,余り参加しなかった事は,少し寂しく感じられます。それと言うのも 外見程 御祭り騒ぎを好きでないのと 人との接触で 気をつかう事の煩わしさをきらったからでしょう。それで思い出と云えば,やはりグライダーくらいのものでしょう。
初めて乗った時は急加速,急上昇と飛行機などとは比べるべくもない程なので,興奮してしまい着陸してからは,足はがくがくするし,顔は真赤になっていたそうです。後は単独飛行に早く出ようと思い,授業もそこそこに良く飛行場に通いました。そのためかどうか 一年は 出席日数ぎりぎりの教科が,数科目できでしまい,入学時から良い成績を取ろうなどとは 考えていなかったので 気にもかけませんでしたけど,未履修になりはしないかと心配にはなりました。単独飛行に出た後は,特に目標もなくなり 飛ぶことに興味を感じなくなったと 言うよりは 色々な雑用が 煩わしくなり 段々と航空部と気持の上では疎遠になって行きながらも 部員が少なかったので,3年の10月までは第一線上に 居なければならない様な状態で もっぱらグライダーばかり やっていた様なものです。それでも 又現在でさえも 単独での急旋回,滞空,低空飛行などのスリリングな感じを思い出すと,空港に飛んで行きたい様な衝動に駆られる時があります。飛ばなくなった決定的な原因は,卒論で忙しく,運動神経を使わなくなったことと,しばらく飛ばなかったため 技量の低下によることでした。
グライダー部にいたと言う事実は,卒論と共に何か やってみようと思った,大学時代の思い出につながるのではないかと 今ではそう考えています。但,何となく物足りなく感じられるのは,勉強にもグライダーにも中途半端で,思いきり打ちこんでやったと言う感じがしないからです。あるいは,これも今頃の年の春の日の様なけだるさの為でしょうか。