
26. 無題 古田敏夫
準硬式野球部員。これが4年間の学生生活かも知れない。
入学当初なにかやらねばならぬと思い立ち,準硬式野球に入部,4年の夏のインカレの最終試合(4年が出場する)まで練習に励んできた。なにしろ中学,高校と何一つ運動をしていない私だから,第一日目の練習の時の疲れようをいつまでもはっきりと記憶している。準硬が入部する2年前に部へ昇格したため,情けないことにグラウンドを持たない,そこで新小倉火力発電所のグラウンドを借りていたので,そこへ走って行かなければならない。初めの一週間は4Kmぐらいだが走るだけでくたびれたものだった。そのうち練習の方にも力がまわるようになり,練習にも熱が入り出したが,試合をやると一向に勝つ気配がない。本当によくも黒星が続いたものだとおかしくさえなる。
幸いにして,私は外野手を希望していたので,試合に出場できたが,こう負けが続いたのも,私が出場できる程部員が少なかったかも知れない。又もう一つの原因として私が余り打たなかったかも知れない。1,2年の頃よくチャンスに私に打順がまわってきて,チャンスの目をつぶしたものだった。
入部して一年半,やる気充分だったが,2年の後半どうもそれがなくなって来た。だが「男が一度こうだと決めたなら」の一念をもって,自分にそれを云い聞かせながら,かろうじて部に所属していた。
なにしろ10,11月の日曜,試験休みはほとんど練習,試合で埋まり,夏休みの合宿等はきついというなまやさしいものではない。これが終ると地が黒いので表か裏かわからなくなる始末である。だが3年になり後輩がふえてくると,部に対して責任を感じ,又やらねばならないという気になって練習に励んだが,一向に試合に勝てそうにない。やがてその年に入部した1年が実力をつけて来,どうにか野球部として様になるようになり,試合でも互角に戦えるようになって来た。
この年の山大定期戦が口火となり,勝率5割に達するようになって来た。練習を積んできてないにもまして試合に勝つ程嬉しいものはない。これだけがスポーツをやってきた者だけのさわやかな特権のようだ。4年間のクラブ員としての最大の思い出と云えば,4年の春の関門リーグ戦で2勝1引分けで優勝したことであろう。常に最下位を堅持してきた我がチームに喜びと大きな自信とを与えた。
こんなクラブを通しての学生生活の中でなによりの収穫は体に対して自信をもったところである。しかしクラブに所属したことの反動はないわけではない。「クラブと勉強は両立するか」とよく高校時代に討論会を行ったのを思い出すが,「言うは易し,………難し」,まさにその通りであったような気がする。
よく学びとはいえないが,よく遊んだこの4年間の学生生活程自由奔放な居ごこちの良いところはない。