
23. 「故郷」の与えるものについて 東森 実
いったい,人間の心の中に故郷,故里と呼ばれるものは,どの程度の位置を占めているのだろうか。
私が故里の山陰の米子を離れ,北九州に来てから,早や4年になる。4月からは西宮に行く予定で距離的にはさほど変わりはないのに,益々離れてゆく感がある。Out of sight,Out of wind.と云う格言は何も人間関係だけでなく,そこの生活,自然など総てを意味しているのだろう。
吹雪の夜の暗闇の中に,遠く,ぼんやりと霞む燈火。全く釣れもしないのに,一日中頑張った夏草の茂る用水路の土手。喧嘩に敗けて,「いつかはやってやる」と復讐を誓ったあいつの顔。………等。思い出の中の故里は煩雑な日常性の中に徐々に抹殺されつつある。
しかし,その思い出に代表される故郷は,多くが隅に置かれた記憶として,過去への感傷として,手触りの良い陶器のように冷くも温かくもあるものの中に押し込まれている。
では自分にとって,故郷,故里とは何なのか。単なるセンチメンタリズムの,ノスタルジアの対象として,あるいは産物としてしか存在しないのだろうか。それなら,20年間の月日を労して,故郷の人々と自然が体験させ,学びとらせたものは何なのか。
ひとたび,離れれば一種の甘さを持った記憶しか与えなかったのだろうか。
私はこれらを,もう一度,見直し考えることの必要性を感じ,先日,学生生活最後の帰省をした。
濁ったタバコの煙と喧噪に満ちた白々しい親しさの中から,冷え冷えとした朝の駅頭に立ったとき,云いしれない懐かしさを覚えた。身体の隅々まで行き渡るこの冷気が,忙しく動き回っている人々が,これが自分の故郷だと。遠くに見える山々が,ついこの間登ったような親しみを見せる。田畑に残った雪の冷たさをこの手が感じる。久しぶりに顔を合せた家族が,驚きと喜びと,懐かしさの入り乱れた表情で迎える。
また,自分と,故郷の人,生活,自然が何の隔たりもなく一体となって行く。
今から考えれば,表現が少々,大袈裟であるが,そのとき私の心を獲えた,自然さ,素直さとも云える一体感は,私が故郷に求めていたそのものであった。それからの中に,人間の生きるということと,自然のすばらしさが求めることの万能な理想として調和しているのではないだろうか。
故郷は子供の頃の,いや4年前のそれとは大きな変り方を見せていた。田畑が次々と宅地に変り,自分の生れる以前からあった欅の木も今はない。家族も友人も離れて行く。一方,自分もこの4年間,それまで以上に変化に富んだ生活を送った。
両者の変化の大きさは当然であるが,自分を育てた故郷の人々,自然に対し,一方では過去のままの状態に置いて考えることにより現在の自分と対比し,他方 過去と現在,それらに結合した未来の社会の姿をそこに獲えることが出来る。
即ち,記憶の中の故郷(普通,良い点が思い浮かべられることが多い)と現在の社会,自己,環境とを対決させることにより,自然に恵まれた 公害も生活の苦しみもない,すばらしい社会をそこに求めることができるのではないだろうか。
とすれば,自分にとって故郷は,過去の遺物でも,センチメンタリズムの対象でもなく,現在の思考,行動の基本の一つであり,未来への方向上大きな影響を与えるものである。現実には記憶の中から,様々な過去の映像が忘れられて行くにしても,意識する,しないにかかわらず,自分の生涯の起点であり,可能な希望であり続けるだろう。
過去と現在の交差した「故郷」と云う未来の理想社会の代名詞は,澄み渡った空と,真青な海に囲まれた,充実した力強い働く者の社会を示している。
洞海湾の色と山陰の海の色は,同じように青くなければならないなら,空に赤い煙の色どりは不必要だ。住民の犠牲を踏台にした社会発展とか,GNP第2位とか美辞麗句を並べたて,洞海湾と北九州の空の色を弁護する人間には,「どこそこの景色は雄大だ。本当に美しい。」等という言葉を平然と吐く権利はない。
人間の生活を自ら破壊するような者に,私の故郷に手を触れさすことは許されない。
なぜなら,「故郷」は自分にとって,未来の出発点であり,自然と人間の調和した,すばらしい社会の存在を指向しているからである。