11. ふるさと              塩津孝文


   つれづれなるままに日ぐらしこたつに向ひて書かむと欲すれども文才無き我が身,妙案浮かばず,愚案だに巡り来らず。さりとて津田なるをのこの「月曜日迄にまいて書かれよ。」との言の葉思えば書かざるわけにもいくまじとて筆をとるなり。 そは吾が故里,紀州の国尾鷲のことどもなり。三方に山を従へ,天然の良港なる尾鷲湾に東面せる気候温暖の地,その地形ゆゑかって余が幼稚の園に通いおりしみぎり汽車の終点の地にて陸の孤島とも言はれしが,今の世にては紀勢本線なる二本の鉄の上を特に急ぎ行ける汽車も止まるなん大きな町にぞなりける。中部電力なるエレキ会社が燃える水をたきてエレキを製造してありといふも未だその製品を見しものなし。しかるに今はやりの公害などもあるらし。白き肌に赤いハチマキうち巻きたる身の丈三千文もありやと思はれん4本足のおばけ煙突,煙を噴出し,天までも届かせる設計なりしが,一向にその気配なく近くの山の木を枯らすとかや。さてこそ土木工学のメイ知識をもって任ずる各々方におかれてはゆめゆめかくなる打ちもらしのなきよう心めされよ。 とここまで書いた所で遅々たる筆の運びはついにエンストしてしまった。やはり未来を志向する小生,いにしえの文の読みやすさの何万倍もの書きにくさにとうとうシッポいや脳細胞をたたんでしまうことにした。        ―― 文体変換・テーマ不変  私の好きな故里はそのような新しい町ではなく,子供の頃チャンバラゴッコをしたあの山や,海水浴の帰り道にとって食べたスモモや,毎日通った駄菓子屋のおばちゃんのあの尾鷲なのです。時の流れは私の甘い郷愁など許しはしない。私の初恋の人はどんどん成長してそのイメージを急速に変えて行く。今はまだ,まだあの頃の面影をうかがい知ることができるが………。 しかし,わたしの心の中には強烈に貴女のイメージが焼きついているのです。私は貴女のもとを離れて以来,名古屋,京都,東京,そしてあげくの果は北九州までも移り住み,その放浪性をいかんなく発揮して来ましたが,その間も貴女を中心に糸を引いてぐるぐる回りながら大きな円や小さな円を描いているようなそんな思いが心の片隅にありました。何の因果か土木屋という仕事を好きになってしまった私は,これからはますますその放浪性を発揮する事でしょう。そして生涯貴女のもとに落ちつくことがないかもしれません。でも貴女は僕がいなくなってもやっていけるのでしたネ。 ―― 閑 話 休 題 ――  どこかでほほえむ人もありや どこかで泣いてる人もある……… という歌がある。テレビドラマのテーマソングで森繁が歌っていたものと思うが,世の中にはいろんな人が生きているという歌である。私はこの歌が好きである。あたりまえの事だが世間には実にいろんな人がいる。そしてそれぞれ笑ったり,泣いたり,喜んだり悲しんだり怒ったりしながら生きている。しかもそれぞれ違った考え方,生き方で。いったい自分は一生のうちで何人の人を知ることができるかしら。などと考えると楽しくなってくるではないか。中には未来のベターハーフもいるに違いない。うちのクラスを見れば個性ある人間数ある中に一番味のある人,川村逸郎,長崎・大村の香りを身につけた,かめばかむ程味の出る男,彼と知り合えて本当によかった。ところで先程の歌, 「だけどだけど,これだけは言える。  人生とはいいものだ,いいものだ。」 と結ばれている。     復 題 本来ならここで貴女に送る詩でも書きたい所ですが,詩痴といってもいい程の私,せめてすぐれた先人の残した詩の一片なりとも,     望 郷 五 月 歌               佐 藤 春 夫 塵まみれなる街路樹に 哀れなる五月来にけり 石だたみ都大路を歩みつつ   恋しきや何ぞわがふるさと   あさもよし紀の国の むろ牟婁の海山 夏みかんたわわに実り 橘の花さくなべに とよもして啼くほととぎす 心してな散らしそかのよき花を 朝霧か若かりし日の わが夢ぞ そこにさすらふ 朝雲が望郷の わが心こそ そこにいさよへ 空青し山青し海青し 日はかがやかに 南国の五月晴こそゆたかなれ

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