保谷市紹介



「もしもし」
「はい。@@社御茶ノ水サービスセンターです。」
「そちらで購入したプリンターの調子が悪いので見て欲しいんですが。」
「はい。それでは最寄りの修理サービスセンターへ電話で御連絡ください。
 失礼ですが、お住まいはどちらでしょうか。」
「保谷市です。」
「---。ほうや市ですか。---。それは都内でしょうか。」
「ええ。都内ですよ。」
「ひょっとして、町田の近くですか。」
「-------。えっ。」

保谷市の知られざる素顔が今明かされる。
もう知らないなんて言わせない!


どこにある

  保谷市は東京都の中央部に位置し、埼玉県との都県境に接している人口10万の都市です。地図で見ると「りんごを無理やり一口で食べようとしてあごのはずれた人の横顔」というユニークな形をしています。市内には、西武鉄道の池袋線と新宿線が平行に走り四つの駅があります。そのうちの一つが、ひばりが丘駅で、池袋から急行で15分ぐらいで着きます。その駅周辺がこのホームページの発信地です。


農業

 保谷市は農業が盛んで至る所に畑があります。しかも圧倒的にキャベツです。収穫時期には保谷市中がキャベツだらけになって壮観です。広い畑にギッシリ並んだキャベツの群は、「こんなにたくさんのモツ鍋は食えない。」とつぶやいてしまうほど圧倒的な迫力で見るものの胸を打ちます。

 キャベツ以外にも、小松菜、里芋、栗などが栽培され、道端の無人スタンドで売られていたりします。さらに、果樹園が結構多くて「なし、ぶどう、りんご直売」などの看板をよく見かけます。果樹園の雰囲気も、「いやいやえん」の子供たちが遠足にきそうなナイスな感じです。

 保谷の農業は、水利の問題から水稲ではなく陸稲や麦、芋類が主流だったそうですが、今ではそれらの穀類や芋類の畑は、ほとんど見かけません。それでも、この近辺で、東京では珍しい「うどん屋」さんを時々見かけるのがその名残りでしょうか。


 保谷では人に道を教えるのは困難をきわめます。目的地を知っていても、そこへ行き着くには、絶望的なほど複雑な道筋をたどらねばならないことが多いのです。その上、道そのものが、誰かが攻めてくるのかと思わせるほど狭く曲がりくねっています。夕暮れ時に、狭い道で対向車が鉢合わせになって立ち往生している横で、帰宅途中の高校生や買い物帰りのおかあさん方が自転車を止めて道があくのを待っている光景は日常茶飯事でしょう。

 私も、ひばりが丘から伊豆へドライブした時に、保谷の道で対向車と鉢合わせたことがあります。立ち往生しているうちに後ろに三台、向こうも三台車がたまってしかも左が八百屋という悲惨な目に会ったことがあります。自分からぶつけるのは嫌なので、ドライバーは車をぴったりと端に寄せて、誰かが動き出すのを息を潜めて待っています。後ろではしびれを切らせたおばさん方が何やら文句を言っています。結局、八百屋と対向車の間を二、三十センチの幅を残してすり抜ける羽目になりました。車体に迫ってくる軒先のカボチャが今でも目に焼き付いています。伊豆の山中の方が八百屋がないだけ、はるかにましでしょう。

 また、保谷はバスの路線が少ないので、駅と自宅の間の交通手段は自転車か徒歩が主流になります。大雪になったら、帰宅途中で遭難すると言われるほど交通事情は厳しいと言えます。


又六地蔵

 こんな状況に、一筋の光を投げかけるのが又六地蔵です。主要地方道36号沿いにある又六地蔵は、安永5年(1776)に造立された石仏群で、保谷市及び保谷市教育委員会の説明文によると「六地蔵石幢は優れた作品」とのことです。しかし、又六地蔵のもう一つの優れた点は、これら石仏群のある小さな交差点が、ひばりが丘周辺の入り組んだ道を説明する際のキーワードになることです。

 「又六地蔵を通って」、「又六地蔵で右に曲がって」、「又六地蔵の手前で」など多くの使用例を確認することができます。筒井康隆氏の「脱走と追跡のサンバ」で、井戸時計店が世界の時間秩序の要となっているように、又六地蔵は、保谷の道の空間秩序維持の中心になっているわけです。もし又六地蔵がなければ、街全体が巨大な迷路になってしまうのではないか、そんな気すらします。

 又六地蔵のある交差点は、名前から六差路に思えますが、実際には五差路です。「又六」はどうやら旧い地名から由来してるようですが、本当は六つ道があったと考えてみるのも面白いでしょう。失われた六番目の道はどこに通じていたのか、SFちっくに想像してみるのも一興でしょう。

(農業の項を書くにあたって「ほうや公民館だより」第216号を参考にしました。)


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<ひばりが丘通信>