3/1 米軍、ライン川西方7マイルに到達。
3/2 米軍、デュッセルドルフ、ケルンに到達。
3/3 フィンランド、ドイツに宣戦。
  西部戦線視察中のチャーチル、ドイツ入り。
  およそ半年ぶりにV1によるロンドン爆撃。
3/4 米軍、チューリッヒを誤爆。
3/5 ドイツ軍、1929年生まれの全少年の徴兵を開始。(15−16歳)
  「春の目覚め作戦」開始。
3/7 アメリカ軍、レマーゲンのルーデンドルフ橋を確保。
  総統、西部方面軍総司令官フォン・ルントシュテット元帥を解任。
3/8 V2、ロンドンに落下。
3/9 米軍、ボン入城。
  チャネル諸島のドイツ軍、グランヴィル港を強襲。
  東京大空襲。
3/11総統、オーデル川防衛線構築を視察。以後ベルリンを離れず。
  赤軍、キュストリンに突入。
3/15米軍、オラニエンブルクのトリウム鉱石処理工場を爆撃。原爆開発完全不可に。
3/19総統、帝国領土破壊(焦土化)を命令。
3/20ヒムラー、ウィスラ方面軍司令官を解任さる。
3/22米軍、レマーゲン南方のニールシュタイン、オッペンハイムで橋頭堡確保。
3/23赤軍、ハンガリーのセーケシフェケルバールにおいてドイツ軍防衛線を粉砕。
  英軍、プランダー作戦。レースとヴェーゼルでライン渡河。「モンティの月光」
3/24パットン、ライン川に放尿。
3/26パットン、挺進隊に女婿のいるハンメルブルク収容所の解放を命令。
  同隊は翌日までにほぼ全滅。
3/27アルゼンチン参戦。
  最後のV2発射。
3/28グーデリアン解任。
3/29赤軍、ハンガリーのカプバール市に到達。
3/30ヴィルヘルムスハーフェンでU−96撃沈、Uボート喪失の最後。
3/31フランス軍、ラインを渡る。
  赤軍、プラチスラバ市に到達。
4/1 総統、総司令部を地下壕に移転。
  スターリン、ベルリン攻撃を4/16に設定。
4/3 米英軍、ルールの包囲を完了。
4/4 シュトゥーデント将軍、ルールへの反攻を断念。
4/7 戦艦大和、最後の出撃。
4/9 ケーニヒスベルク要塞降伏。
4/11赤軍、ウィーン市中心部に到達。
  ロシア人民解放委員会軍、フランクフルト・アン・デア・オーデル方面で威力偵察。
4/12ルーズベルト死去。後任はトルーマン。
4/14米軍、イタリアで攻勢。
  大島大使、南ドイツへ出発。
4/15カナダ軍、アルンヘム占領。
  エヴァ・ブラウン、ベルリンへ到着。
4/16赤軍、ベルリン攻撃を開始。
4/17米軍、ニュルンベルク郊外に到達。
4/19米軍、ライプチヒ入城。
4/20総統誕生日
  OKW、OKH、空軍総司令部、オーバーザルツブルグへ移転。
  米軍、ニュルンベルクへ入城。
  赤軍、ベルリンに対し一斉砲撃を開始。
  最後のベルリン大空襲。
4/21フランス軍、シュトゥットガルトに突入。
  自由ポーランド軍、ボローニャ入城。
  総統、スタイナーにベルリン救出を厳命。
  ルールの独軍降伏。モーデル元帥は拳銃自殺。
  ツォッセンのドイツ陸軍総司令部、赤軍の手に。
4/22ベルリン電報局閉鎖。
4/23ベルリン発の最終ルフトハンザ機、ストックホルムに到着。
  ゲーリング、総統に任務承継の用意ありと打電。
  総統、ゲーリング逮捕を命令、空軍司令官にフォン・グライム将軍を任命。
  地政学者アルプレヒト・ハウスホーファー処刑。
4/24OKH、OKWに吸収される。全統帥はOKW管下に。
  総統、ムソリーニに最後の打電。
4/25グライム及びハンナ・ライチュ、シュトルヒにて空路ベルリン入り。
  総統、ヴァイトリング将軍に逮捕命令。
  逮捕命令取り消し、ヴァイトリングをベルリン戦闘指揮官に任命。
  エルベの邂逅。
4/26ポツダム陥落、赤軍によるベルリン包囲完了。
4/28ムッソリーニ、愛人とともに射殺さる。
4/29総統、グライムにベルリン脱出を許可、ヒムラー逮捕を命令。
  イタリアのドイツ軍降伏。
  総統の「政治的遺書」成る。
  デーニッツを後継大統領に、ゲッベルスを後継首相に任命。
  総統、エヴァ・ブラウンと結婚。
4/30国会議事堂に赤旗翻る。
  総統自裁。
5/1 ゲッベルス一家自殺。クレプス将軍自決。ボルマン行方不明に。
5/2 ベルリン降伏。ハンブルクの開城交渉開始。
  フォン・ブラウンら米軍に投降。
5/6 ブレスラウの独軍、降伏勧告を受諾。
5/7 全戦線におけるドイツ軍の降伏文書、調印され発効さる。
5/8 VEデー。

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