学校ってなんだ?再考T



また、変な題で書き始めた。というのも、一学期が2ヶ月終わろうとしているが、なんで、子ども中心の話題にならないで教師中心の話題が多い?

前回も書いたけど、研究会を作った。第一回を行ったが、話題は子どものこと。子どもにとって良い学校とはどんな学校?子どもが育つ学校とは?
どんな育ちを期待したい?願いたい?

それで異なるのでは? 「障害を克服して・・・・」というくだりはもう聞き飽きたし、嫌だ。どうして、この人たちが、生まれてから「克服」しなければならない?
それは、そうでない人たちの欺瞞ではないか、という文があった。、同感。

単元化をすることで、子どもが見通しをもったりできるが、「単元化の在り方」を考えることが実践研究。どう仕組むか?子どもがのってくるか。教師の腕の
見せ所。

そんなことを話し合って、第二回はもっと方向性を出していこうということになった。

さて、教師はやっぱりその立場になると安住、保身を図るものだ。昨年まで合わせていた人が急に立場を変える。「私は、面倒なことが嫌い」とか言って。
風見鶏か、おまえは。

何が学校にとって大切なのか。それは、「明確な理念」その学校が目指す教育理念ではないか。そして、こういう姿で日々生活して欲しいという明確な願い。
ところが、それが毎年変わるとしたらどうだろうか。


ある主張がある。それが、周囲の変化に応じて色褪せていくとしたら、本物ではない。それを実践している人は、本物ではなく、別な風見鶏。
だから、いくら校長が変わっても、よい方向なら別だが、どう見てもへんな方向ではのれない。

ある教師曰く、「そんなところやめて同じ仲間がいるところにいったら」、「でも子どもがいる、どこでも同じ子どもが」。「そんなの無理だよ、君一人では惨めだろ」
「でもいいんだよ、信じた道を実践するし、理論でも負けないから」「いきがっても無理だ。やめろ、やめろ」

「そんなところやめてしまえ」「校長が変わったらどうする」「そしたら、また同じ仲間のいるところへ行くさ、お互いに声を掛け合って」

さて、どうする?確かに、実践して共感を得て行くことは難しい。まして、校長が呼んできた人たち相手に・・・。

学校ってなんでしょうか?こんなことが実際起きている学校って。