愛とロマンの8時間〜礼文島にて
礼文島は、日本最北の島である。もちろん、「最北」ということにこだわるなら、稚内の宗谷岬なのだけど、離島ということもあって、礼文こそ「日本の北の果て」という感じがする(第一、実際の宗谷岬は、最北のイメージにほど遠いのだ)。この島の時間の流れ方というのは、他の離島と同様に非常にゆるやかに感じるが、この「最北」というイメージが、「行き止まり」を感じさせる。旅人にとっては、旅の終点となる場所。旅の終わりには、とても、寂しく、せつなくなったりする。そういう感情を思い起こさせる場所、それが礼文島なのである。稚内に戻るフェリーの上での寂しさはたまらないものがある。もちろん、それは、酔うことのできる感慨でもあるのだけど。
なんか、えらく感傷的な書き出しになってしまったが、礼文島というのは、旅人にとって特別な場所のように思えるのだ。ユースホステルをある程度利用したことのある人なら、礼文島の「桃岩荘」のことを聞いたことがあるのではないであろうか?僕が礼文島に行ったのは、考えてみると1回きりなのだが、その思い出は鮮明である。もう、7年ほど前の学生時代。時期は10月の初め。北海道はもう肌寒いころである。なんで、こんな時期に行ったかと言えば、学会というものが札幌であったから。要は、ついでであり、どさくさであり、せっかく北海道まで来たのにただ帰るのはもったいないからであった。
「学会」というのは、僕の専攻している分野の学会である。いっちょまえに発表などしたのだが、学会期間中でも、自分に関係ありそうな発表がないと(あっても?)、市内観光したり、小樽に足を延ばしたりした。夜は夜でススキノで飲んだりという具合に、かなり観光気分であった。もっとも、地方で開催される学会というのは多かれ少なかれそういうところがある。
礼文島に足を延ばしたのは、この学会の後である。もちろん、大学の研究室が休みなわけではないので、公然と(あるいはだまって)休む(さぼる)ことになる。まあ、学会前は、超多忙というのが普通なので、休んで旅行するのは当然という人も多いのだが、たいていはお師匠さん次第である。この時、僕は黙って休んだ。1週間ほど。
この時、なぜ礼文に向かったか?その動機は忘れてしまった。おそらく、北海道の北部は行ったことがないという程度の理由だったのだと思う。学会終了日の夜に夜行の急行「利尻」(「礼文」か?)に乗った。稚内に早朝に到着し、早朝のフェリーで礼文に渡った。
夜行列車に乗るときに気がついたのだが、同じ研究室の先輩や、他の大学の知った人間も同じ列車に同乗していた。考えることはみないっしょである。学会後の数日は、北海道じゅうでこの学会の関係者が目撃されたようである(笑)。
この当時は、一人旅というものをするようになって間もない頃のことであり、ユースホステルのこともあまり知らなかった。もちろん、礼文島の事もである。でも、どこかに行くときは、たいていユースホステルのガイドブックも携行していったので、予約するには困らなかった。用意周到な僕はこのとき、礼文島に何箇所かあるユースのうち、「礼文ユースホステル」に予約を入れておいたのであった。「桃岩荘」でなかったのはたまたまにすぎない。
これが、10月初め以外の時期であったら、全く違った事態になっていただろう。なぜなら、桃岩荘は、10月から春までの冬期間は閉鎖されるからである。閉鎖後直後の期間、桃岩荘に連泊していた人々といっしょに、「桃岩荘の空気」が礼文ユースに移動するのである。つまり、僕は、桃岩荘に泊まらずして、その空気を知ってしまったということになる。
そういうわけで、出迎えも、ユースでの過ごし方も、見送られ方についても、その洗礼を受けることとなった。港での歓送迎はとにかく派手である。迎えるときは、迎えるみんなで盛大に「おかえりなさい!」と叫ぶ。見送るときも、大声で「いってらっしゃい!」。フェリーが水平線の彼方に消えるまで、延々と何回もやる。まわりにいるのは普通の人達なので、雰囲気の浮いていることこのうえない。けれども、やっている方は楽しんでいるし、恥ずかしいとも思っていない。
夜には、ミーティングと歌がある。昔のユースホステルではどこでもやっていたことらしいが、今現在でも桃岩荘では歌っているようだ。この時は、「なごり雪」や「乾杯」といったフォークソング、それに、ここでのオリジナルソングを歌った。歌わせられたといいたいところだが、慣れてしまうと恥ずかしくもなく、雰囲気にのまれて大声で歌うようになるのである。大声で歌うことは楽しく気持ちの良いものなのだが、どことなく屈折した感じがあった。日常と、ここ最果ての地の狭間で見えてくるもの、それは、歌う皆それぞれに違うものなんだろう。
オリジナルソングの中で、「忘れないで」という曲があったが、それを今でもときどき口ずさむことがある。
「忘れないで、忘れないで、この島のことを〜〜」
さて、前置きがえらく長くなってしまったが、礼文島には「愛とロマンの8時間コース」というものがある。礼文島の北端のスコトン岬から南端(正確には南端でない)まで、島の西海岸沿いを歩くコース。およそ30キロの距離である。「8時間も歩くの?」と躊躇してしまう人が普通なのだが、ユースでの夜の盛り上がりの中、勢いで行こうという人も多いようである。8時間歩くなんて、山歩きする今となっては全く大したことではないのだが、その当時は、結構大変なことと思っていたように思う。
ところで、なんで「愛とロマン」なのか?なんでも、この歩きを通して、結ばれたカップルがあったとか。まあ、そのようなことだったのだと思う。
礼文島は南北に長い島である。この時泊まった礼文ユースは南の方にあり、早朝に、車でスコトン岬まで送ってもらった。そこで捨てられて、8時間の歩きがスタートする。この時、参加したのが、男性8人、女性が2人だったと思う。「愛とロマン」というには、数がつりあわないのだけど。
まあ、とにかく、大勢で歩くと結構楽しく歩けるものだ。コースは全体的に見てもほとんど海岸線沿いである。なかでも、北部は景色の良いところが多く、道自体も難儀な場所はほとんどない。高台から海を望む場所も多いのだが、ここの海の澄み渡り方は例えようもなかった。また、野原のようなところも多く、季節が季節なら素晴らしいお花畑なのだろうと思う。この日は天気も良く、素晴らしいハイキング日和であった。
前半は、このように楽しいハイキングなのだが、後半は一転する。海岸沿いの岩場を歩くことが多くなる。女性には厳しい場所も多くなるため、場合によっては、サポートも必要になる。この辺が「愛とロマン」に関わってくるのであろう。いずれにせよ、大変だし、前半からの疲労もあるので、みな無言になっていく。「もういい加減に終わって欲しい」と思いながら、みな黙々と歩くのである。
だから、ゴールを迎えた時の喜びは格別で充実感に溢れることこの上ない。この時の記念写真を今見てみても、そういう絵になっている。ちなみに、「愛とロマン」の方は、生まれなかった、と思う。2日泊まって、礼文を離れた。その後、北海道の道東方面をまわったのだが、初めにクライマックスを迎えたような、なにか調子が狂ったようなつまらなさがあった。