レールバスという乗り物
最近、とある事情で、南部縦貫鉄道が「本当に」廃止されるかもしれないというのを知った。「本当に」というのは、実際はまだ廃止されていないということである。4年程前に廃止という形で話がすすんでいのたのだが、存続の要望が大きかったため、「休止」という形で現在にいたっているのだ。全く申し訳ない限りなのだが、今回知るまで、廃止されたものとばかり思っていた。このHPの「旅の写真館」にも「廃止される」と思って出かけたときに撮った写真がのせてあって、タイトルは「廃線前のにぎわい」としてたのだが、これは、「休線前のにぎわい」というのが正しい。
南部縦貫鉄道を利用(本来の意味で)したのは、過去にも先にも1回きりである。ただ、記憶に残るという意味では、かなりのインパクトがあったと思う。もうかれこれ、10年も前だと思うが、東北の北、特に青森あたりを電車、汽車、バスで放浪することがあって、その時に利用したのである。また、このときには、最近廃止になった、下北交通にも乗っていたのであった。
南部縦貫鉄道というのは、青森の野辺地から七戸およそ30キロを結ぶ鉄道である。ただし、車両が変わっていて、バスの車両を流用して、タイヤを車輪にして鉄道を走らせたというものである。バスといっても大型ではなく、小型のものである。といっても、なかなか理解されないと思い、過去の記録をひっくり返したら運良く写真が出てきた。一目瞭然である。これは、廃止になるというので、わざわざ乗りにいった時の写真であるが、同じような事を考える人の多さにうんざりした記憶がある。10年前に利用したのは、本来的な利用の仕方であった。つまり、乗ることが目的ではなかった。
1997.3 休止前 野辺地駅にて
「日本中央の碑」というのが青森にあるというのを知って、見に行ってみようというのがそもそもの発端。なんで、青森が日本の真ん中なんだ、というのもあって、まあ見に行こうと。下北の方に行きたかったし、そのついでである(放浪するのについでも何もないのだが)。そのための足に利用したのが、このレールバスであった。
そのころは、この鉄道の存在すら知らなかったので、最初はちょっとびっくりした(と同時にほくそ笑んだ)。まあ、簡単にいうと、古いし、ぼろい。車両も古けりゃ、駅舎も古い。これらを旧時代の遺物として切り捨てる者か、それとも、ノスタルジーにひたってうっとりする者か。まあ、私は後者であったわけである。駅舎で待っている時、駅長さんかなんかに、「日本中央の碑」についていろいろと聞いてたと思う。「本当は、天皇陛下は、ここにいなければならない」とかなんとか言われたような気がするが、細かいことは忘れてしまった。「日本中央の碑」の最寄り駅は、西千曳という駅で、野辺地からほんの2,3駅である。乗っている時間はせいぜい7,8分というところだろうか。ローカル線によく見られるように、当時から朝夕の通勤通学の足以外は、利用者は少なかったようで、このときも乗客は私一人であった。乗り心地は、お世辞にも良いとは言えない。騒音も振動も大きい。とはいえ、懐かしい感じがしてすごく気分が良かった。この感覚を求めて、休止前に乗りに出かけたのだが、先ほど書いたように見事に裏切られることになる(すし詰め状態)。まあ、ともかく、まともに利用したのは、野辺地と西千曳の往復のみである。「日本中央の碑」?、については、コメントは控えておく。まあ、不思議なものには違いない。興味のある人には、実際に見て判断してもらいたい。ちなみに、この碑、国道4号線のすぐそばにある。案内板もあったような気がする。車で行くのが便利だと思う。ただし、車でいったら、おそらく。。
さて、本当に廃線になるかどうかはわからないが、1ファンとしては、もちろん存続してほしい。しかし、ただ単に存続してほしいといったところで、経営会社は赤字で大変である。必要なのは経営していけるアイディアなのである。もっとも、こういったものを保存していこうという文化があって、国や地方公共団体が援助してくれれば文句ないのだが。