函館、その生活臭さに誘われて
いろいろあちこち旅に出ているが、かなり多く足を運んでいる町が函館である。多分5、6回かそれ以上は行っている。ここには、僕の好きなものがそろっている。港町。きつい坂がたくさんある。市電が走っている。そして、夕日が海に沈む町。それが函館である。
函館といえば、夜景が有名であるが、観光客の多いシーズンに、混んでいる中を高いリフト代を払ってまで行くのは好かない。夜景を見るなら真冬に限る。人がまばらで、寒くてたまらない中で見下ろす夜景は、このうえないほど美しい。
初めて函館に行ったのは、中学の修学旅行の時である。僕の郷里では、かなり多くの中学校が北海道に修学旅行に行く。僕の時は、函館、札幌、洞爺湖、昭和新山と、北海道初心者のまわるお決まりのコースだった。この時の函館での思いでも、やはり夜景である。
ただ、一番初めに函館に訪れたこの時は、まだ青函連絡船があった。今では、トンネルが出来たおかげで、北海道に渡るという感慨が薄れてしまったが、この時は違った。船がえらい揺れて船酔いした記憶がある。
青函連絡船が廃止されたのは、ちょうど、大学に入った初めの年であったと思う。この時は、乗り納めという事で、友達の中にもわざわざ乗りに行くのも結構いたのだが、そんなブームのようなものに乗っかるのは好きではないので、僕は行かなかった。今思えば、行っておけば良かったと思う。そのおかげというわけではないけど、何かがなくなるという時には、駆けつけることには抵抗がなくなったような気がする。深名線に乗りに北海道に行ったし、南部縦貫鉄道にもかけつけたし。人の多そうな時期はもちろん避けるのだけど。
とにもかくにも、時代の流れのおかげで、函館に行く時は、電車、というのが、今では普通になった。
函館は観光地である。であるが、全くの観光地というものになりきれなくて、そこらじゅうに生活臭さを漂わしている。これは、普通の観光客の行くところが限られていることにもよる。そういう場所をちょっと離れれば、楽しいところが結構あるのだ。観光客はほとんどいないので、地元民にとけ込んでしまわないと不自然だ。この不自然さが楽しい気分にさせてくれる。異邦人になったような変な錯覚におちいる。こんな、観光地ぶった函館がとても僕は好きである。
緑の島で、ラッキーピエロのハンバーガーを食べながら、そんなことを考えていたりしていた。「緑の島」とは、港の中に、ちょこんとある「出島」である。何にもないし、第一、何のためにあるのかもよく分からない。ただ、まわりの港風景を眺めてぼおっとしているには、いい場所。それから「ラッキーピエロのハンバーガー」。これがとにかくボリュームがあってうまい。これを食べるためだけでも、函館に行ってもいい、というのはちょっと大袈裟だけど、うまい。
函館には、うまいものを食わせてくれるところがいろいろある。北海道に来たからには、海の幸を、というのが割合と多いのだが、海産物に限らず、なんでも美味しいのである。普通に食事をする店を紹介するところなのだろうが、一風変わったところで、喫茶店というのはどうだろう。「アンフィニ」という喫茶店があった。場所的には温泉の近くである。ここのマスターというのが、とにかくこだわりの人である。まずコーヒーが美味しい。オムライスのケチャップにまでこだわりがあって、自分で作るらしい。僕は普段、甘いものなどあまり食べないのだが、ここのパフェはうまい。採算は度外視して道楽でやっているという話もあったが、実際のところはどうだったのであろうか。だいたいにして、このお店、今でもあるのだろうか。
函館で、よく泊まったのが、「ごくらくとんぼ」という民宿であった。「とほ」の宿である。つまり、ユースホステルのような、相部屋で低料金の宿である。書くのは申し訳ないが、古くて、粗末な所だった。冬に泊まったときは、すきま風が冷たくて、よく眠れなかったような気がする。だいたい、湯たんぽを貸し出していたくらいなのである。
この宿は、町のはずれの方にあった。駅から市電で終点の「どっぐ前」で降りて、幸坂(さいわいざか)をひいこら登って行って、その登り切ったあたりに民宿はあった。とてもきつい坂なので、玄関を開けて、「こんにちは」という頃には結構息が切れている。登り切ったところで、後ろを振り返り見下ろすと、函館湾が視界の中でコンパクトに納まっている。港とそこに停泊している船達。なんとなく懐かしい風景だった。
3、4年前くらいに、「また函館でも行くか」ということで、「ごくらくとんぼ」に電話したら、繋がらない。いろいろ調べたら、やめてしまったという事だった。その時は、他に適当な宿が見つからなかったので、函館に行くのをやめてしまった。それ以来、函館にはまだ足を運ぶ機会を得ていない。