Cherubの「独り言」

定年を前に (2005年4月20日)


 愈々60歳定年の日が間近になった。ハッピーリタイアメントを迎えることができることは目出度いというべきか。終わりよければすべて良し。長い間にはいろいろなことがあり辛苦多々であった。妻や子を扶養していくためには我慢しかなかったといえる。3人の子を大学まで出し、社会人として働くまでは何としても頑張らなければならなかった。41歳のときに数ヵ月間病に伏したものの、その後息災で過ごしてきた。世にはリストラにあって転職を余儀なくされたり、無職のまま彷徨っている人もいたりと様々だ。そのような人に比べれば、低賃金で喘いだが良しとしなければならない。負け犬といってしまえばそれまでだが、何とか頑張ってこれたのはやり遂げるべき務めを自分なりに見つけたからであった。それはちょっと大げさに言えば使命感というものである。今、一つの仕事をやり遂げることができた満足感はある。一つ二つだが足跡を残すこともできた。人と人との出会いに恵まれればもっと力を発揮できたかもしれないけれども、これが人生というものであろう。
 人生はすべて人と人との出会いで決まるといても過言ではない。小学校から大学における先生や友人等との出会い、職場生活における上司や同輩との出会い、生涯連れ合う人とその家族との出会い、と人生の節目に必ず新しい出会いがある。この出会いが素晴らしければ、素晴らしい人生となるのだ。幸にも、私生活における出会いには恵まれた。素晴らしい人達との出会いは小生の人生を豊にしてくれたし、多くの人に助けられて平凡ながらも自由で人並みの暮らしを立ててきた。感謝したい。
 「働くこと」、それは生活のためだけれども、楽しいものであればいいが、小生の場合は6-7割は苦しく辛いものであった。働き続けるには辛苦に耐えるだけの力がなければならないし、時には開き直りも大切である。働くことで自己成長することも忘れてはいけないことだ。仕事を通じて、知識、技術、ノウハウを覚える。自己研鑽に努め自分の価値を高めることは欠かせない。一つでも人に負けない強さを持つこと。そして、その職場で必要とされる人になることだ。必要とされている限りリストラなどにあったりしないと思う。いつの時代でも必要とされるのは会社・組織に貢献できる人材である。与えられた仕事をこなせるかどうかがポイントである。
 これまでそっとしまい込んでいた思いの丈を綴ってみた。
 この年になっても新しいことへの興味は尽きないし、知的好奇心は人一倍ある。何か新しいことに挑戦したい気持ちで一杯だ。趣味に生きるというのはリタイア後の過ごし方として最高だと思う。挑戦意欲があれば「明日」はあると信じて、そろそろ第二の人生に向けて気持ちのスイッチを切り替えようか。