音楽の自由−−−パメラ・トービーの場合


●ソロとしては初めて

パメラ・トービー(Pamela Torbey)、そう言われてピンと来る方はリコーダーを自分で吹く方だろうと思われる。

イギリス出身、パラディアン・アンサンブルのリコーダー奏者。古楽が好きな方々なら、このアンサンブルの名前で反応される場合も多いはず。2002年秋現在、パラディアン・アンサンブル名義のCDはすでに8枚を数えるそうだ。私も4枚所有。全部といかないのが悲しいが、イギリスのLINNというレーベルは大きな輸入CD店で、旬の時に見つけないと買い損ねることもあり、すごくしつこく追いかけていないので、持ってないものも出てしまう次第。

パメラ・トービーはこれだけなく、CD、放送録音や音楽祭など、多くの演奏に参加しているにもかかわらず、ソロのCDがなかった。CDショップのポップなどに書いてあった指摘に、私はやや意外な感を受けたが、そういえば確かにそうだ。CDの表紙にある写真を見てもわかる通り、やや可憐な感じの漂う女性奏者(服装も割合フェミニン)であり、イギリスらしいトラッドな印象と相まって、いかにも初CDという風情が似合う年格好で写っている。

リコーダー協奏曲、それもヴィヴァルディ、テレマン、サンマルティーニといった、後期バロックの人気曲ばかりを集めたこのCDは、いつものメンバーではなく、やはり女性のバロック・ヴァイオリン奏者としてすでに有名なモニカ・ハジェット率いるソネリーという弦楽合奏が担当する。

こうした名曲集は、いわゆる明るいバロック音楽(静かな喫茶店や有線放送などでよくかかる)であり、まとまったCDを買ってきて聴くと、やや興ざめすることも多い。どうするか?

ちなみに、いつものパラディアン・アンサンブルは、爽やかで闊達で自由な空気の中で、彼女も伸び伸び歌う。また、モニカ・ハジェットは誰と組んでも、安定してメリハリの効いた間合いを醸す、名アンサンブル・リーダーである(強力な統率型ではないが、実に安定している)。

これまでの音を想像しながら、どういうCDになっているのだろうと考えると、逆になかなか想像がつかない。パラディアン・アンサンブルではかなり達者ぶりをのぞかせるが、すでにフェルブリュッヘンらオランダの奏者が主要な名曲集をCDとして発売しており、あえて買うか迷うところだが、想像がすぐにつかないところをそそられる。結局、久方ぶりに「名曲集」を買ってみた。

●意外なクリーンヒット

曲は以下のもの。

いずれも後期バロック音楽の有名曲である。ヴィヴァルディはいずれも超絶技巧を要求され、テレマンはJ.S.バッハのロ短調組曲と似た人気曲、そして、サンマルティーニはほとんど古典派を呼び出しそうな表情豊かな曲。加えて、笛吹きに人気の高い曲ばかりでもある。かといって、この分野の音楽を特に好まない人々にとって、インパクトの強い曲でもない。彼女はどう料理するか。

結論から言えば、CD時代になってから、もっとも魅力的なCDが登場したと感じている。

特に素晴らしいのは、彼女の技の冴えが、音楽とぴたりと一致する点だ。これはもちろん、選曲が彼女の資質に合っていることも含むが、それだけではない。リコーダーの音は、小学生のようにひどい楽器で乱暴に吹けば音楽にならないが、18世紀のコピー楽器でまっとうに吹けば、堅い音の立ち上がりと明るい音色が飛び跳ねて、身体を動かすこと自体が楽しい子供の喜びがたちまち現れる(だからこそ子供の音楽教育に取り入れられたのだろうが、子供のような喜びの表現は、大人が神経を使って作ってやらないと、まともな音にならないものだ)。その喜びが、どの曲からも様々な形で立ち上るのだ。清潔なタンギングにより、粒立ちよく音が立ち上がる。思いきった息の吹き込みにあっても狂わないイントネーション(音程)の制御が、どんな場面でも安定して抜けのよい音の運動を支える。

それだけでも十分に音を浴びる快感を味わえるのだが、彼女はこうした特性を活かして、決め所で実に自由に動くのだ。たとえば最初の曲、ソプラニーノ協奏曲を移調してソプラノで演奏することで、きんきんした音を出さないで済む。それを踏まえて、上昇音階の最高音に駆け登る瞬間に、フィギュア・スケートのジャンプを連想させるような、滞空時間が長く感じる吹きっぷり。また、同じ音形を繰り返しながら、次々と光や色が変わるように表情が変化していく。音程の狂いやすいリコーダーを完全にコントロールして、低い音から上昇する瞬間にためらいなく、実に的確で音楽的なクレッシェンドを行うことから生まれるのだ。その効果は、ヴィヴァルディの超絶技巧を飛び越えて、飛翔しては囀る雲雀も連想させるか。リコーダーで無理な強弱表現はヘンだ、という今までの通説を覆すに十分。

この腕は、中級者でも吹けるテレマンの組曲において、絶妙な効果を生みだす。弦楽器並に踏み込んだ強弱表現をしても、完璧な制御を誇る腕を前提に、第1曲のフランス風序曲の付点音符の長さ、音の重さを絶妙にコントロールしていく。まさに美しくドレスが揺れる貴婦人の立ち居振る舞いであり、繰り返す際にやや入る間合い(タメ)重みを持ちつつ次のフレーズへ動いていく様が、次のアレグロをすでに予期して大きなドレスの揺れを見せる。だから、本当に速いアレグロ(普通はもうちょっと遅めにやるもんだ)に入っても、足取りの軽さがとても自然になる。いや、それだけではない、速いのに、優雅なのだ! もう少し遅めで出るはずの表情や優雅さを、彼女達は実に楽々こなしてしまうため、あの速さで自然に表現できる。堅いペチコートと重いドレスを、実に優雅に舞う。よほど注意深く聴かないとそうとはわからないくらいだが、自然さを表現するためだけにすべての技巧が制御されていく。それを耳にすることが快感でなくて、なんだというのだろう!

かつて世界を席巻したフランス・ブリュッヘンでさえも、こうはいかなかった。第2次大戦前〜終戦直後の最初の世代、それに続くフランス・ブリュッヘンらの第2世代、彼らの弟子である第3世代を経て、第4世代を迎え、リコーダーの音楽表現はここまで自由になった、という感慨さえ沸いてくる。これはまぁ、笛を吹く私のひいき目があるにせよ、しかし、もしもよほど18世紀以前の音楽が嫌いというのでなければ、ぜひ真剣に聴いていただきたいアルバムだ。


●今が旬の奏者、滑り出す

このCDがすてきなのは、パメラ・トービー一人だけではない。伴奏のソネリーもいい。

モニカ・ハジェットは、過去にテレマンの組曲で、オランダのフェアブリュッヘンをソロに迎えた名盤を録音している(ドイツ・ハルモニア・ムンディ)。これも愉悦に満ちて素晴らしかったが、ある意味、楽譜をもっとも美しく演奏するとこうなる、というリファレンスのような側面も残していた。

今度は彼女も、パメラ・トービーの自由なやり口に徹底して付き合っている。それは、弾いていて思わず笑みがこぼれて、さらにソロと一緒になるともっと嬉しくて弾きたくなる、といった風情だ。メニュエットやポロネーズなど、3拍子をとるときの、楽しそうなたゆたい。それに乗って、上昇音形でぱぁっとソロが飛び上がるのは、ほれぼれするフィギュア・スケートをどうしても連想する。

その楽しみは、実はサンマルティーニの協奏曲で爆発する。この雲一つなく青空が広がるヘ長調は、単に流せば実につまらない、平凡なバロック協奏曲の典型になり兼ねない。やはりやや速めに進める彼女は、ふっとさす短調や分散和音を丁寧にさばき、それを受ける弦楽器とともに速度を感じさせず、転調に伴う光や、空や風の変化を楽しめる。第2楽章のシチリアーノは、ブリュッヘンの異常な切迫した感情表現で有名になった(1960年代のフランスディスク大賞を受賞している)が、ここに流れるのはもっとずっと穏やかで、いとおしい舟歌だ。有名なカデンツァも、弦楽合奏の流れを止めずに進み、それだけに舟から見える水のさざ波が実に涼しい。そして第3楽章、この運動から生まれる歌こそ、彼女の独擅場だろう。

こうして書いていけばきりがないが、とにかく魅力があちこちに散りばめられている。この空気感の豊かさは、これまでの古楽演奏にはなかったものだ。弦楽合奏の低音、ヴィオローネがやはり、実に楽しそうに重い音や軽く抜ける音を使い分けて、要所を締めるのも実に楽しい。

20世紀の古楽復興運動の大きな流れ、その象徴楽器の一つであるリコーダーは、実はイギリスから見直されてきた。ドルメッチ兄弟に始まり、エドガー・ハントのような有名奏者を生み出してきたが、長くオランダに名人が集中してきた。ここにきてイタリアなどもいい人が出ているが、再びイギリスが彼女のような名人を生んだことは、慶賀すべきだろう。解説を大音楽学者、デイヴィッド・ラソッキ(David Lasocki)が執筆しているのも読みごたえあり。

ところで、かつて冬期オリンピックでラヴェルのボレロを踊ったアイスダンスのペアは、トービーといったはずだ。親族?


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