ETV「20世紀の名演奏」を見て

ETV(つまり、NHK教育テレビ)の40周年企画として、「20世紀の名演奏」という番組が放映された。3夜に分けて放映されたもので、

という構成になっていた。私は、第1夜と、第3夜を見た(まぁ、器楽に偏ってしまったわけだ)。

いろいろと興味深かったが、企画面で面白かったのは「来日公演をNHKが録画・録音したものを取り上げる」という点だった。これはドキュメンタリー性という面でも面白かったし、「日本人のヨーロッパ音楽受け入れの歴史」の一部を垣間見ることが出来た。

ただ、私にとってもっとも面白かったのは、巨匠の時代の音楽を、その全盛期の来日公演の様子で聴けたことである。


第1夜は「それはカラヤンで始まった」と題されていた。名演奏家の来日が相次ぐ時代が1950年代にやってきたが、その象徴となったのが、ベルリン・フィルの終身常任指揮者に就いたばかりのカラヤンの来日だったという。そのこと自体は、私も古くから音楽愛好家に聞いたことがある。しかし、やはり格別のものがある。

オープニングで演奏された、ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲。颯爽としたテンポで音楽を運ぶカラヤンと、それに応えるベルリン・フィルの奏者達のダイナミックな音。クライマックスに向かってひた走りながら、ラッパがもりもりと筋肉質な音を盛り上げていくのは、すごいものがある。この音は、現在のベルリン・フィルではまねることが出来ないのではないか。別の意味でうまくなったが、こういう特質は失われてしまったと思う。

そして、この音は第3夜のベートーヴェンの交響曲第5番終楽章の演奏でさらにものすごいのを聞くことになる。
第1夜の「マイスタージンガー」の来日時と同じ公演からの放映なのだが、これが半端でないすごさなのだ。第3楽章のピアニッシモからの第4楽章のファンファーレへの有名な部分。この大クレッシェンドで、あの流麗なカラヤンが、恥も外聞もかなぐり捨てるような大きな動作で第4楽章に突入する!こんな大袈裟なカラヤン自体、もう後には見られなくなるものだ。そして、それを受けたベルリン・フィルは、鳥肌の立つような音の柱をそそり立たせる。圧倒的に筋肉質な音、信じられないほどダイナミックなクレッシェンド、微塵も乱れない合奏力。カラヤンがさっと(レコーディングでは見せないような)実演独特のテンポの変化などを見せると、まったく乱れもせずにオーケストラがついていく。そして、最後のコーダで重戦車が驀進するような打撃音に至っては、もう何も言うことはない。
確かに、この音でカラヤンは「帝王」として君臨したのだ、ということがわかる。そういう演奏だ。そして、後のカラヤンでは決して聞かれない、壮年時代の素晴らしい記録である。

実は、このベートーヴェンの音の放映は、私は以前テレビで見ているのだ。カラヤンが亡くなった直後、NHKは追悼番組として、最初の来日の演奏を放映した。この時、ベートーヴェンの交響曲第5番の第1楽章と終楽章を放映した。この時も、あまりの音の逞しさに度胆を抜かれた記憶がある。

それの再来だが、いくつか面白い事実がわかった。この演奏を、当時の来日公演に参加していて、まだ生きてらっしゃるベルリン・フィルOB達に見せて、感想を求めていた。
日本の来日公演では、演奏会の2時間も前から座って待つ聴衆に驚いていたというのだ。それだけではない、演奏が終わってからも(指揮者ではなく)演奏家達は聴衆に取り囲まれ、送迎バスまで見送る人々が沢山いる。そういう光景に生まれて初めて接して、ひどく感激したというのだ。
また、このビデオを見ながら「この頃のベルリン・フィルの演奏は、ものすごくダイナミックで力強い」という意味のことも述べている。壮年期のカラヤンの、あの青く独特の澄んだ目で見られると、ノらないわけにはいかない、ということも述べている。
こういった様々な要因が、あの圧倒的な勝利の凱歌に繋がっていることは、想像に難くない。

私個人は、カラヤンは1970年代後半からはあまり好きではない。死ぬ間際のブルックナーなどの録音には美しさを感じるが、基本的に好きになれない。しかし、フィルハーモニア管弦楽団を振っていた頃と、ベルリン・フィルに就任してから1970年代前半くらいまでは、好きだ。その(私の思う)全盛期の演奏がどれだけ凄まじいものだったかが、この放映でよくわかった。それだけでも収穫だ。

カラヤンに関しては、最近はザルツブルグ音楽祭のライブ録音が発売され始めた。そういうものを聞いても、やはりライブのカラヤン、というものは独特だ。カラヤンはレコーディングで有名になった。しかし、私は音楽の真骨頂はやはり、ライブにあると思うし、それは録音の申し子であるカラヤンでも同様ではないか。
というか、ライブでの圧倒的なものがあるからこそ、レコーディングも際立っていた音楽家なのだと思われてならない。


他にも面白いものがあった。

コーガン(ヴァイオリン奏者)の、バッハの無伴奏シャコンヌ。そのストイックな音は、今では敬遠されてしまうだろうが、やはり聞いていて何がしかのものが伝わってくる。

ゼルキン(ピアノ)の、ベートーヴェンの「ワルトンシュタイン・ソナタ」。いや、全盛期のゼルキンはやっぱりすごかった。

ペルルミューテル(ピアノ)の、ラヴェルの「水の戯れ」。だいたい、ペルルミューテルが来日していたことを、私は知らなかった。ラヴェルと親交篤かった、生っ粋のラヴェル弾きの、硬質で透明な音。その耳を引っ張っていく音の運動につられて、あれよあれよという間にラヴェルの音の戯れに巻き込まれていく。放映では演奏が途中でカットされていたことが、残念でならない。

第1夜の終わりに出て来た、ウィーン・フィル初来日公演。この時は、カラヤンが指揮者として来た。ブラームスの交響曲第1番の、終楽章。ベルリン・フィルとはまた違う、あの艶やかな弦楽器の音が、一番輝いていた時代。カラヤンの楽しそうな指揮ぶりも、非常に印象に残る。さらに、豊富なテーマを実によく整理しながら、音楽はまったく小さくならず、悠々と流れる。こういうブラームスは、もう聞けないのかもしれない。
そして、今は逆に、アーノンクール/ベルリン・フィルのようなブラームスの時代なのかもしれない。

クリュイタンスがパリ管弦楽団を率いた、最初で最後の来日。指揮をする姿は初めて見たが、クリュイタンスはすごく繊細で優雅な動きをする。それに伴う、優美な管楽器の音。

ハイティンクが就任したばかりの、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。あのヒューマンで情熱的な指揮ぶりは、昔からだったのだ。

ミケランジェロの弾く、ラヴェルのピアノ協奏曲。なんて音だろう。若かったミケランジェロ。涙が出そうになる。それとともに、ポリーニがいかに影響を受けたかも、何となく感得されてくる。

そして、ベーム/ウィーン・フィルの初来日で演奏された、ブラームス交響曲第1番の全曲放映。まだかくしゃくとしていたベームが、頑固親父そのもので振る、ブラームス。私はもうよぼよぼになってしまったベームしか接していないが、この頃のベームは最晩年程テンポも遅くなく、実にバランスが取れていたことが、改めて確認出来た。
美しいという言葉とは少し離れている。また、合奏精度が万全というのとも違う。しかし、ウィーン・フィルの美しい音と相まって、じんわりと「ウィーンを愛したブラームス」が伝わってくる。1975年というのは、ウィーン・フィルの全盛期の、最後の頃と言っていいだろうか。その音を、画面付きで確認出来たのも収穫だった。


これらの来日公演の記録は、やはりとても面白かった。1970年代から音楽に親しみ始めた人間としては「巨匠達の落日」を経験している。その巨匠達がどれほど凄みがあったのか、伝説では聞いていても、確認はなかなか難しい。

それが、一気に出来たのは、本当に面白かった。演奏は善し悪しのばらつきがあったし、ETVの編集に関しては、ちょっと解説がうるさい感じがあったけど。


追記:書き忘れたことが一つ。ミュンシュ指揮/ボストン交響楽団による、ベートーヴェンの交響曲第3番の、第1楽章の全演奏も放映された。ミュンシュの、直情型の演奏は、その指揮ぶりにもたっぷり表れていて、これもたいへんな見物だった。


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