街並みとカフェ


●カフェブーム、一段落?

1990年代のオープンカフェ・ブームが去るのと入れ替わるように、1990年代後半から、ダイニング代わりになる(つまり食事もとれる)カフェに20代から30代の人が集まるようになる。サロンっぽく使うケースもあれば、のんびりするケースもあり。インテリアやBGMに凝る店。酒と食事を出すけど、泥酔しないことに重きを置く店。もちろん、マンションの一室、まるで自宅のような場所に靴を脱いで上がる店もある。ほとんどの場合、店主がほしい店を実現したような形。

いずれも、琥珀色の店内で本格珈琲を飲ませる喫茶店とはまったく違う傾向。以前の本格的な喫茶店は主としてウィーン風の(あるいはパリのカルチェラタン風の)やや暗めで落ち着いた空間で、新聞や読書、あるいは小声の会話を楽しむのが中心と思われる。こうした店がヨーロッパのベル・エポック(古きよき時代)を懐かしむ風合いを持つのに対して、新しいカフェは今の東京に生きるものが楽しむ場所を、自分たちで作りたいという意欲から立ち上がってきたように見える。だから、店は様々な傾向を持ち、一概にはくくりにくいし、表参道や裏原宿周辺の店はややとんがった感性の店も少なくない。それゆえ「おじさんたちはなんだか落ち着かないな」などと言われることもあったりするのは、雑誌「散歩の達人」からまとめられた単行本「東京おさぼり喫茶店」などを眺めると、なんとなくわかる。

ただし、カフェという言葉のブームは、スターバックスが1990年代後半に広がったことが起爆剤だろう。廉価な飲み物で、スタンド的に利用しても、座ってくつろいでもいい。ただし、店内禁煙。このスタイルは主として若者を中心に受けまくり、一気に日本国内で一大チェーンを形成した。ドトールの高級版エクセルシオール・カフェは、それに対抗するためかオレンジ系店舗をあえて再編成したくらいだ。シアトル系のTully'sなど、アメリカ系エスプレッソ・チェーンも参入してくる。この動きは、イタリア系のセガフレード・ザネッティまで展開してきたことで、とりあえず一段落というところか。

イタリアのバール、その派生としてのアメリカのエスプレッソ・カフェが広げたこれらチェーン店は、もう傾向と性格がはっきりしている。明るい。店員、はきはき。味、値段の割に良好(決しておいしいわけじゃないと思うけどな)。くつろいでも、さらりと出ても、どちらも粋。店のロゴも含めてブランド。そのためか、ドトールと違ってサラリーマン度が低く、禁煙や分煙もはっきりしている。

スターバックスはいまでも根強い人気があるが、以前のように平日さえ外まで溢れる行列はなくなったこと、株価が一気に下がったことから、ブームの終焉が言われている。実際、投資だけが目的の人は「やぁ、スタバでしばらくもつかと思ったら、もうしぼんだしなぁ、こんなに次々とつぶれるようじゃ困るんだけど」などと言う。思わず「そりゃ、喫茶店のような単価の安い店で爆発的な株価をつけるなんて、尋常じゃないよ、そういうのを投資対象にすることもどうかと思うが」と応じたけど、投資家としては株価のピークが大きいのに、去るのもひどく速いのが多すぎて困るということだけが関心の対象だったので、まぁ話はそれ以上進まない。

上記のような動きと同時に、中国茶ももてはやされるようになった(1990年代中葉の横浜中華街バブルと時期が近いか)。大都市圏では茶館が1990年代後半に続々オープン。この動きは日本茶のほうにシフトして、茶カフェとでもいうべき分野があるようだが、日本には峠の茶屋という素晴らしい伝統があったことに回帰していってないか。実際、東京は練馬区の石神井公園にある茶屋で一服するのはなかなか乙なもので・・・閑話休題、つまり、そろそろ一通りの展開を終えて一周してしまった。むしろ定着するものがきちんと定着すべき時が来ている。


●酒と食事、お茶と食事

私は酒に極度に弱い。ビール一杯で二日酔いになれる(自慢するなって)。そういう人間にとって、酔わずにいて許される店は貴重だ。

食事をとれる多くの店は、たいていお酒を前提としている。もちろんレストランのように食事中心の店もあるが、酒と食事がセットで組み立てられる傾向はある。居酒屋は酒が中心になるが、レストランは食事が中心になるだけだ。それに、お酒の店の食事は(日本人が中国やフランスの人々と比べて少食傾向にあるせいか)軽めのものが多く、最後にちょっとご飯や麺類で上がる傾向が強い。酒はカロリーが高いから自然にそうなるのだろうが、酒を飲まない人間には、この淡々と軽い食べ物だけが延々と続くのは、飽きてくる。かといって、レストランはお金もかかるし、何より一人では非常に入りづらい。

そもそもお茶と食事だけという場合、それまではファミリーレストラン(ファミレス)が選択の中心にあった。今でもそうかもしれない。ファミレスの食事は(店やメニューにもよるが)有り体に言えば「えさ」になってしまうことが多い。少し高いファストフードの店だから、似たようなものになっちまうんだろう。そこそこの値段と味の料理にあえてうるさく文句を言うのも無粋ではあるが、私は積極的に入りたいと思わない。味気なさ過ぎる。

カフェブームの中にある、ダイニングとして使えて、食後にお茶を飲みながら(一人でも複数名でも)ゆっくりできて、という動き。カフェめし、カフェごはんは、丼風で簡単に出来るものながら、店主が好きで食べ飽きない品を、そのときの仕入れに応じて用意している。工場製ではなく、店で火を通す。コーヒーも自分達でいれるし、お茶も丁寧にきちんと出す。仕入れも含めて店が自分で行って、店なりの傾向や特徴が出る。それにファストフードの店より少し高くても、こちらのほうが心身をきちんと休めることが出来る。もちろん、欧米のカフェのようにアルコールを出す店もあるが、がぶがぶ飲むより味を楽しむ程度だ。カフェごはんを追うように起こったスローフードの提唱も、動きとしては似ている、というより同じ方向性に見える。

それに加えて、1980年代後半から導入された男女雇用機会均等法以降、はっきり変わった会社員生活の空気。酒を以前ほど強いなくなったし、麻雀も好きな人間を中心にやるようになった(逆に女性が雀荘に行くようにもなった)。このペースはバブル崩壊後も変わらなかったようで、男女問わず「酒を飲まないけど楽しく語らう店がほしい」という要望はストレートに大きくなっていた。それを肌で感じていた1960〜1970年代生まれの人々が、ダイニングとソフトドリンクを中心に提供する店を出して、成功した。その一方で、アメリカから輸入されたスタンド系チェーン店が、ゆったりできる空気も含めて導入していった。

カフェは酒を飲めない人々・大量には飲まない人々が、ゆっくり落ち着くための安楽の地として必要とされていたからこそ、根づいていったんだろう。

その性格は、サロン的に機能している店(どちらかといえばとんがっていておじさんには入りにくいタイプ)がより強いと感じられる。音楽や映像、インテリアに店主の趣味を濃厚に反映させて、一般的で無難に店にしない。そういうものを好む人々が集まってくる。ある意味、クラブ文化とは別のサロンなのかもしれない。また、そうでない大規模チェーン店でも、それまでのスタンドなどと違う何かを、たとえばモダンジャズをかけても暗くなりにくい空気だったり、喫茶店らしい落ち着きとは別方向を打ち出す。


●店と街並み

じゃぁ、こういった店は本当に根づいて広がっているんだろうか。

チェーン店の場合、従来の喫茶店と違って窓が大きく決定的に明るい店の造りは、街並みを変える。その象徴は渋谷ハチ公口に出来たTSUTAYAに入っているスターバックスだろうか。外から丸見えのカウンターは、内側からも外を見るし、外からも中を見ることができる。これは極端な例だが、コンビニエンスストアが出来ると急に街が(よくも悪くも)眩しくなることと似ている。

一方、個人経営の店の場合、通常の喫茶店より立地が少々悪かったり、建物が少々古かったりするのを逆手にとって、よそでは絶対に味わえない空気が前面に出てくる。いったいなんの店なんだろう、何があるんだろう、とあえて思わせる。その一筋縄でいかない感じ、外から見える様子やメニューに惹かれて入る瞬間の新鮮さを味わう。ひっそりと、しかしどこか楽しげな店。

実はこういう形態のほうが、街並みに新しい息吹をもたらす。単なるブームじゃなくて、ほんとうに根づかせるには、こうした店が様々な場所で、オンリー・ワンの営業を続けるほうがいい。

だが現実にこういう店が出てくるには、ある程度の人口集中が必要なようで、表参道や原宿、渋谷近辺などは当然として、吉祥寺や高円寺、目黒、中目黒、広尾、下北沢といった、ものすごい繁華街ではないが、新宿などとはちょっと空気の違う店が集まる場所にあったりする。地味な駅近くでこそ、生活圏の面白い店があってもいいと思うのだが、そうはならない。京都はその点、喫茶店が残りやすい土壌もあるし、カフェも意外な場所にできたりするが、それはすぐにチェーン化せず、独自色の強いオンリー・ワンを尊ぶ雰囲気があるからではないか。

そして、東京のノン・アルコールの店は、実は意外に少なくなっているんじゃないだろうか。小さな本屋、CDショップ、喫茶店、定食屋なども減っている。ある程度の規模のターミナル駅へ出かけて、有名な行列のできる場所で買い物をして食事をしてお茶を飲み、地元に戻ってくるとあまり買い物をしない、そんな人々も少なくないだろう。確かにそれまで何とかなった店もやりづらくなってくる、そうして定食屋や喫茶店などがなくなると、飲み屋やコンビニ、薬屋になったりする(そのコンビニ、薬屋も興亡が激しい)。下手をすると誰も入らず不動産屋になったりもする(フットマッサージや整体が入ることもあるが)。それにしても、飲み屋って、なんでこの店がつぶれないのか、というタイプの店が長く生き残ったりする。極端に言えば、ターミナル駅から中途半端に離れた街が田舎化し始めていて、その勢いをターミナル駅が吸い取っているようにも見える。それって、なんだか気持ちが貧しくないだろうか。

カフェや喫茶店はブームになるものじゃない、必要と趣味性が交じり合った存在だ。文房具を面白がる人がいるように、あえて凝る必要がないはずなのに、面白い。そして、そういった店の存在を、時の流れに沿って追うと、街の息吹や生活なども見えてくる。単に人がたむろすのではなく、酔うのでもない、そんな店は繁華街だけのものではないはずだ。街に飲み屋やコンビニや薬屋だけでなく、いい加減なコーヒーを出すやる気のない無難な喫茶店でもなく、まっとうなメニューとサービスの店。もっともっと、増えてほしいし、そういう店に入る人が大勢いるといい。

六本木ヒルズのようなものがあちこちに出来るより、よほど豊かな生活になるんじゃないだろうか。巨大建造物の中を回る楽しみも確かにあるけど、あんなものだらけになったら、地上を風を感じながら歩く楽しみは、どうなるんだろう。


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