MacOS Xについて、いまさらながら


●2001.03.24以降

MacWorldExpo Tokyo 2001での静かな注目の後、3月24日、MacOS Xはきちんと朝から販売された。次々とマックユーザが購入していき、路上インストールをする人やら、くじ引きでいい商品の出る店で買おうという人やら、深夜販売こそ取りやめになったが、お祭りをする人がたくさん出た。
私も、猫時間通信に書いたように、当日に秋葉原で買ってきた。少し感想なども書いてある。

そして、インストール後、実に様々な意見が出た。今までとのあまりの違いに当惑したり憤慨したりする人々。逆に、これからのMacOSの未来が、ここからスタートすることを喜んだ人々。とにかくパワーユーザの評価を見つつ、自分の使っているアプリケーションがMacOS X対応したら本格導入しようという人々。
その大騒ぎが収集して、MacOS Xを頑張ってメインOSにしようという人から、時々使う人、失望してまったく使わない人まで、今は新しいOSを巡る人々の対応が、はっきりしてきた。かなりの人々は、インストールはしたけれど、まだあまり使っていない、という状況なのではないか。

そうでなければ、今年の夏から行うと言っていたプレインストールを、わざわざ5月に前倒ししたりはしないだろう。インストールベースは増えつづけており、以前のOSからの離脱を図るからこそ、アプリケーションやデバイスドライバにも対応してもらいたいし、ユーザにも使ってもらいたい。このよい循環は、まだMacOS Xに訪れてはいないと見える。


●OS以降の瞬間

MacOS Xとは何か?NeXTSTEPベースのOSを、今まで動作したことがないプラットフォームに移植して(NeXTSTEPはMC68020〜68040の次にはPentium系とAlphaチップに対応していて、PowerPCでは動作させてこなかった)、その上でデバイスドライバ作成方法からアプリケーション作成ツールも含めて、全方位に向かって改造と改良を行い、しかも、必要なMacOSの流儀も取り入れる、というとんでもない大改造作業だ。ゼロから作ることも大変だが、2つの製品を結び付けることはもっと難しい。
互換層とも言うべき様々なレイヤーを動作させ、それを画面描画プリミティブと結びつけながら、移行していくという作業は、アプリケーション作成ツールやOSやデバイスドライバを書いたことがある人間ならすぐにわかるが、驚くほどの労力を要する。

これを、1998年から数えても2年とちょっとで行う、という。弱気な人間なら裸足で逃げ出すようなプロジェクトだ。強気の人間でも、本当はもうちょっと時間がほしい(それもあと1年などという単位で)と思うだろう。

これを、何とか3月24日に、不完全な部分があったとは言え軟着陸させることに成功したのは、驚嘆すべきことだ。
もちろん、そんなことはエンドユーザに関係ないのは重々承知の上で書いている。

というのは、WindowsNTの時のことを思い出していただきたいのだ。DECでつぶれかけた野心的なOSプロジェクトを持ってMicrosoftへ移籍し、それからなんとかデビューしたとき、世間の評判は散々だった。確かに安定はしていた。しかし、遅いし、デバイスドライバは今までと違うし、これではサーバとしてもクライアントとしても、とても実用にならない、とまで言われた。MicrosoftはWindowsNT1.0にWindows95のユーザインターフェースを持たせた(NT1.0はWindows3.1のユーザインターフェースを持っていた)形態に移行して、そこで古いOSを根っこに持つWindows95系を切り捨てたかったのだが、とても無理となってしまった。
しかし、Microsoftがいつも不思議なのは、そこから2回ほどのバージョンアップを経て、なんとか使える状態にまで持っていってしまうことだ。パフォーマンスの出ないNT1.0を前にして、3.0にいたると大鉈をふるい、「設計上は美しいがパフォーマンスの出ない、といった個所は徹底して変更する」路線に出た。これにより堅牢さがなくなることを心配する向きもあったが、NT3.5でなんとか問題のない状態に持ち込み、NT4.0以降はむしろ「安定したWindowsならNTで」といわれるようにまでなった。
そして、ここにいたるまで、すでに7年や8年は経過しているのだ。その間に、Microsoftは「これでDOSの痕跡を持つOSは終了だ」といいながら、翻している(その際たるものこそ本来はデビューしないはずだった、WindowsMeである)。2001年の今年、ついにWindowsXPで、Microsoftは古いOSと決別して、Windows95,98,MeとWindowsNTの統合に成功する。

OSの移行を、それもゼロから作ったものでやろうとすると、これくらいはかかってもおかしくない実情がある。

まずはMacOS Xを出すことができたことは慶賀すべきだ。そして、予想通り、次のメジャーバージョンアップは9月と発表され、そこでは大幅なパフォーマンスアップが行われるという。つまり、この次が本来評価を受けるべき版である。
そこまで到達していないソフトウェアを出したアップルを非難する向きもわかるが、とにかく出して評価を受けなければ何も始まらない。決して最高のスタートを切ったとはいえないが、WindowsNTのことを思うと、まずまずのスタートを切りつつあるのではないかと私個人は思っている。評価として好意的過ぎるかもしれないが、いまここでつぶれるにはあまりにも惜しい製品だし、そのように言いたいのが素直な気持ちだ。


●MacOS Xのよいところと悪いところ

とにかく私がよいと感じるのは、画面が落ち着いたイメージを醸し出すことだ。「えーっ?!」と感じる人が大勢いるであろう。しかし、アピアランスをグラファイトにして色調を抑えると、フォントの上質さとあいまって、テキスト入力画面などは特におちついた印象を与えてくれる。はっきり言えば、MacOS 9系の画面より好きである(逆に、System7までの古い画面も好き。7.5以降は嫌いじゃない程度だった)。

あまり指摘している人がいないのが不思議なのだが、MacOS Xのウィンドウは意外なくらい立体感が少ない。だいたい、ウィンドウのふちがないのだ!ここから、ウィンドウ=窓と呼ぶより、シート=紙と呼んだほうが正確であると思える。果たせるかな、モーダル・ダイアログ(例:ファイル保存の時にお目にかかるダイアログ)は、シートと呼ばれている。
つまり、これは画面上に仮想的な紙を展開する考えに立っていると思われる。デスクトップとあえて規定せず、仮想的な紙を扱うために必要な機能は何なのか、というのが基本的な観点なのではないだろうか。
このあたりは、ユーザの要望を汲み上げる形で作られたサードパーティのユーティリティ・ソフトウェアによる提案を、アップルがどう吸収していくかにかかってくると思う。ただ、ウィンドウではなく、紙なんだ、という観点にたった製品がたくさん出てくるとうれしい。

私は、世間の人が言うほど「今までのファインダと違いすぎる」「アイコンが立体的過ぎて情報過多になっている」といったことには問題を感じていない。中途半端に今までのMacOS寄りになっているので、もっと徹底的に変えてもいいと思っているくらい。

ただし、当然悪い点はある。特に、Dockについては、見直すべき点が多いと思っている。Docklingは最悪。これは無駄にアイコンを増やすだけであり、見苦しい。9月に出る10.1で改良されるようなので、楽しみにしている。
Dockもそうだが、それ以上に添付のアプリケーションが不安定な点が気になる。メールソフトなどは、他のプラットフォームでは立派で安定して動いている。そのトラブルが出ては、TIL(アップルの技術文書ライブラリ)の解決策を参照する必要がある。これは妙だ。いくら新しいOSの導入初期とはいえ、OSの堅牢さが増したとはいえ、よく使うアプリケーションが不安定だったり不具合を抱えているのはまずかろう。メールソフト単体の機能は少なくても、他のソフトウェアと連携して機能追加できれば問題ないが、添付ファイルの扱いに問題があっては、仕事に使いにくい。
そして、MacOS 9上では高い評価を与えたiTunesが、MacOS Xの上ではとてもよろしくない。確かに再生音が途切れることはなくなった。が、他のアプリケーションから切り替える際や、曲のリストを操作する際に、ひどく遅い(たぶんプロセスのコンテクスト・スイッチは全然最適化されていないと思われる)。また、MacOS 9で再生しているときより、音が細くなるように思える(中音域が痩せていて、聞き心地がよくない)のは気のせいだろうか?そう感じている方はいるだろうか?
いずれにせよ、純正アプリケーションにして、このレベル・・・10.1でパフォーマンスがあがっても、ここに書かれている不満が解消するのはもう少し先になる可能性もある。

ただ、私はパフォーマンスが上がればMacOS X をメインで使ってもいい・・・あ、DreamWeaverなんかがMacOS Xネイティブになってほしいとは思っているけど。

あと、心配しているのは、UNIXベースになって本格的なネットワークコンピュータになったことで、セキュリティ上の心配が出てくることだ。サーバとして運用する場合は、本当にしつこく面倒をみなければいけない(日刊パッチ、などといわれるくらい、セキュリティパッチを当てまくる必要が出るかもしれない)。クライアントの場合でも、いつ誰が侵入しようとやってくるかわからない。そして、UNIXクラッカーは全世界にいる・・・


●MacOS Xのある風景

MacOS Xを立ち上げると、なんとなく風景が変わる。それは、別に新しい息吹とかいう大げさなものではまったくない。フォントがきれいで、スクリーンセイバーが美しく、画面に紙のようなイメージが散らばる。コンピュータがもっと日常生活の風景に近づくための、ささいな一歩のように見える。
初代マックのファインダーが持っていた抽象性もたいしたものだったし、それに比較するとアイコンが精細なのはちょっとどうかと思ったりもする。しかし、デスクトップメタファからやっと進み始めたか、という思いがある。

ファインダーのウィンドウは、私はNeXTSTEPのようなカラム表示にして使っている。まるでWindowsみたいでヤだ、と言っている人もいるが、2つか3つウィンドウを開けばたいていの作業が間に合うので、私はむしろ好ましく思っている。フォルダが数千個もあるご時世に、ウィンドウがいちいち開いていくことがよくないと、かねてから思ってきた(この点では私は、BTRONも古臭いGUIと感じている)。
ホームディレクトリがしっかりしていて、自分のデータはそこに置く、というのも好きだ。私はBSDに慣れてきたからかもしれないけれど。いつでもどこでも好きな場所に、というのも悪くないが、最近の複雑なOSではユーザディレクトリがはっきりしていて、それがおおよその作法であるほうが、好ましい。

Dockに関しては、私は右側に持っていって使う。下にあるのは、はっきり言って邪魔。これは10.1で公になるようなので、一歩前進ですね。
アイコンがフォーカスされると大きくなる機能も、すぐにオフにしてしまった。アイコン自体もサイズを小さくした。

しかし、何よりこれを見ていて驚くのは「よくここまでUNIXを覆い隠したもんだ」という感想。もしもFreeBSDなどを触れたことがない方は、友人などを通じてX-WindowベースのUNIXに触れてみるといいと思う。はるかに触れやすいはず。(私はX-Windowで、WindowManagerをfvwmとかEnlightment, AfterStepなどで使うのも嫌いじゃないが、MacOS Xはより好みだ。)

「そんなこと、新製品として出すのだから当たり前!」という方もいるだろう。当然ではある。しかし、では、うまい仕様をきちんと提示できるのか。ここがうまくいかないと、どうしようもない製品として嫌われることになる。
ユーザインターフェースとしての一貫性の議論がたくさん出ているのは知っている。しかし、これからも前進が可能なことではないか。UNIXがこれほど楽に扱える製品になったことは、未だかつてない。何とか軟着陸に成功した、そして、これは何としてもつぶれてほしくない製品と感じている。


Macページへ戻る