闘病通信


97年末から98年5月までの経過


以下は、98.05に書いた、これまでも経過。

●97年10月〜12月

10月に風邪をひき、それが直らず、11月に約1週間も休むこと になる。熱があまり上がらないのだが、けっこう苦しい 風邪だった。風邪薬を長く飲んだせいか、軽い胃腸の炎症 も出て、それの抑制も必要だった。

一応ひどい症状はおさまったのだが、その後も一進一退を 繰り返し、12月にまたひどくなる。ここはあまり休まずに 頑張った。

●98年1月
12月に少し無理したためか、正月休みの最中に倒れて、 実家へ帰る予定をつぶしてしまう。
正月あけ、調子の悪いまま出社。その翌日に1日だけ 休むが、また仕事。

その翌週の月曜日、会社にいてどんどん気持ち悪くなり、 会社のすぐ近くの医者にかかる。指定の薬を飲むべく 自宅へ帰る。しかし、まったく改善の気配がなく、どんどん 悪化し、夜に一人であまりの気持ち悪さに 泣きながらのたうちまわる。
そこへ帰宅した同居人が、ただごとでないと判断、無理をおして 近所の医者の往診を依頼(しかも、この日は大雪だった)。注射をうち、 その日にもらった薬をチェックして、違う薬に変えて くれた。それを飲みながら、1週間休むことになる(どう やっても動けなかった)。しかし、まったく食欲がわかず、 細々と生きるのみ、という状態。

その翌週から仕事に出るが、一応歩けるだけで、改善の 気配がなく、めまいと極度のだるさ(ただし熱はない)。 診療内科を探して相談する。強度の眼精疲労、 その他の自立神経失調症的な症状多数と診断される。
一応少し勤めてみるが、医者がまとまった休みが 必要と判断し、診断書を発行。上司に申し出て、 一応2週間の静養をとることにする。

●98年2月
自宅で静養。細かい文字をまったく読めず、テレビ などの画像も見ることができない(見ると気持ち悪く なる)。食欲が落ちたままで、めまいがしてまっすぐ 歩けず、医者に行くにもいつもの倍の時間がかかる。 まったくへたばったままで、2週間が経過する。

医者の判断で、さらに10日以上の静養が必要という ことになり、上司に相談。さらに休みをとる。もう 有給休暇はとっくに切れていたが、背に腹は変えられない。

結局2月いっぱいを休みにあててしまった。しかし、 これで、なんとか歩いたりすることができるように なった感じ。回復の兆しは、もう2月が終るころになって から、であった。

●98年3月
歩けるようになってきたので、会社に出る。しかし、 相変わらずディスプレイを眺め続けるのは難しく、 仕事を減らして、とりあえず勤務に慣れる状態を つくり出すような期間に当てる。

診療内科への通院加療は続く。勤務時間の不足状態 のまま3月末を迎える。1カ月かけて、徐々に徐々に、 体力の回復が見られるようになっていった。

●98年4月
一応、心機一転して新しい仕事を始めよう、という 方向を上司とともに確認する。

体のほうは一応戻っていきつつあるが、時々極度の だるさに襲われて動けなくなる時が出る。医者にみて もらったところ、極度の低血圧(しかも、100-70と、上限値と 下限値の幅が狭い)。私の普段の血圧が120-60なので、 ただ低いだけでなく、幅が非常に少なくなっている。 このために、時々鼓動がひどく速くなることがあり、 そのための処方を受ける。
これがあって、回復基調にあるも、無理はできない 状態のまま、仕事をしてみる。

以上は、98.05に書いた。


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