闘病通信


本当の、長い長い後書き


■残す理由■

 こういうものを残しておくと、「Webサイトによくある、精神病や風俗などの痛い系と同類」と認識される場合もあるかもしれません。しかし、私なりの解決をみたのだし、あえて晒すのは目的ではありません。

 むしろ、こういう病にかかり、それを何とか解決に持っていった人間が、治った後の所感を書くのは決して無駄ではないだろうという考えているからです。たとえば、こういう人が周囲にいる場合に、当人がどういう気持ちになりやすいか、周りから少しは想像しやすくなるのではないか。もちろん、わかってもらおうというのではなく、想像力へのヒントとしてです。また、かかったようだと思った場合、どうすればいいかについてのヒントにもなるかもしれません。

 医師が症例を書き記したわけでもありませんし、あくまで私のケースです。人によってかなり違った対応や経過になるでしょうから、基準にすることは出来ないものです。あくまで一つの例としてヒントくらいになれば、ということになります。この後にも触れますが、本当に問題が起きたと思ったら、まずは専門家に相談なさってください。

■原因と治癒■

 前書きを、そして、経過をお読みになって「結局原因は何よ? どうなったの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 これは、一言で言い表し難いものです。仕事に関しての問題もありました。また、生活のバランスもありました。症状としては、身体の機能が極めて低下し、血圧低下・心拍数増加・目眩・吐き気などが同時に起きました。身体機能が極度に抑圧された状態です。

 表面的な引き金は、長時間同じ姿勢で仕事を続けること、コンピュータのディスプレイを長時間見つめなければならないことからくる疲労、その他の疲労や心労が重なったことです。間接的にはこんなこともあります。自分で設定した目標をうまくクリアできないと、そこから自分を責める、これが続くと(周囲には十分うまくいっているように見えても)自分で自分を否定し続け、結果的にそれが自分の身体機能を抑圧する方向に働いてしまう。また、仕事を終えたらコンピュータから離れたいのに、私がエンジニアであり、公式サポートに相談せずに私に相談する人が後を絶たないため、私生活もコンピュータのことでいっぱいになってしまうこともありました。

 一度短めの休職をとり、復帰してうまくいかず、今度は半年という長い休職期間を得たのですが、仕事を離れてすぐに復調する方向にはいきませんでした。時々、ひどく不安になったりします。極端に言えば、長い休暇というのは自分が誰にも必要とされていないのではないかという不安を引き起こしたりします。心が安定しにくい病にかかっているのだから、この傾向は強いのです。そういう時に自己否定の考えが頭をもたげると、自分への呪いのように作用して、復調しかけた身体がまた低下したりする。

 こうなると、周囲、特に一緒に暮らしている家族の理解はとても大切です。医者ともうまくかみ合っていく必要があるし、たっぷりした時間も大切なものです。

 逆に言うと、地味な生活をしながら、特別なドラマもなく、毎日をゆっくりしっかりすごしながら、心身の安定と、自分にかけた呪い(?)を解除する方向に持っていく。これはある瞬間にやってくるわけではなく、気づくとそうなっている。そして、自転車に初めて乗れるようになった時のように、すいと前へ進む日が来る。その時点でやっと、職場に戻っていけたように思います。

 これはあくまで、私の例です。人によっていろいろだと思います。

■改めて、かかったようだと思ったら■

 自律神経失調症という形で病名がつきますが、まず認識すべきなのは「自律神経の状態は常に変わるものだ」ということです。自律神経とは、その時の状況に応じて内蔵や血流などの身体条件を自動的に維持する神経系です。緊張すべき状況に出会えば、血圧は上がって心拍数はあがり、汗も出ます。それは当たり前のことです。そこから解放されれば、その人なりの平静時の血圧・心拍数などに戻っていきます。自律神経失調症とは、器官が活性化すべきときに活発にならない場合や、平静に戻るべき時に活性化しつづけて疲弊してしまったりする場合などから、日常生活もままならないくらいの不調に陥ることを指します。

 たとえば、風邪なら内科や耳鼻科で十分です。気持ち悪いなら内科か消化器科です。単なる風邪っぽい症状だけでは自律神経失調症にはなりませんし、そう思い込むのは自分で病気を作るようなものです。ただ、風邪と似通った症状が長く続いて治らず、重くなっていく場合は、要注意です。たとえば睡眠から覚めても頭の中がふらふらして、三半規管にも異常がなく、そういえば寝られない状態が続いている、といった場合は非常に可能性が高いです。

 ウィルスを退治すれば直るものと違うので、まずは心療内科に相談するのがよいでしょう。専門家ですし、純粋な内科医よりもその手の症状に適切な対処をしてくれる可能性が高いです。いきなり神経科に赴くより抵抗も少ないですし、企業も神経科より心療内科のほうが復職の可能性が高いものと見なしやすいそうです(これは会社によりますが)。

 なお、うつと自律神経失調症は違います。非活性の状態が長く続くからといって、勝手にうつと判断せず、専門家に相談すべきです。パニック障害の場合は、急激な心拍異常や過呼吸を発しますし、意識を失ったりすることもあるので、症状のわかりやすさから神経科などへ行くでしょう。しかし、うつや自律神経失調症は、何となく自覚的に対処してしまえそうな気がしたり、逆にあえて無視したりしがちなため、むしろ積極的に専門家の所見を必要とします。まず心療内科などで相談してみるのがよいようです。

 軽い症状の場合は、仕事から離れて薬を服用しながら数日〜10日間ほどブラブラし、復帰時にあまり過大な負荷をかけないようにすれば、好転します。

 ただし、薬を飲めば直るのかといえば、そうではないのです。先に触れましたが、ウィルスを退治して、自己回復力をつけてやれば終わる話ではないからです。身体のリズムや適応力が発揮されず、リズムが狂いまくっているケースが、多くの不定愁訴に繋がっています。薬により、朝起きたら身体を活性化させて、夕食を取ったらスローダウンさせて、寝る際には身体を静かに休める、そうしたリズムを作り出し、身体に思い出させるのです。仕事などを休むことで、現在の状況から一度離脱させて、リズムを取り戻しやすい環境を作るようにもします。

 症状が重い場合、不安傾向も非常に強く、多くの不定愁訴が入れ替わり出てくるために、一週間休んだ程度では戻らないこともあります。半年以上、いや年単位かかるケースも少なくありません。

 また、単に休んで薬を飲むのではなく、活性化したり安静になったりすることを、自分自身に許可できるように気持ちを向けることも大切かもしれません。このためには、本人が自分の心身を信頼できるところまで何とか辿り着かないといけません。そして、そのための補助輪として、医者や薬が機能すると感じています。こうやって自分を思い出し、ばらばらになった自分を取り戻していく、とも言えるかもしれません。

■病とわかってからの心構え■

 上記を総合すると、発症の根本原因、その除去方法は一意に特定できません。ある人は、自分を常に周囲に合わせて抑制し続け、それを自分への義務と課していたため、負荷がかかると自己否定が激しくなって、心身のすべての活動を抑制してしまう、ということもあります。あるいは、怒りと悲しみを常にこらえて、人のために微笑み続けているうちに、全身ががちがちになって、心拍数が常に高く、落ち着けなくなったまま、疲労が抜けなくなってしまう、ということもあります。自分の行動を過剰に周囲へ適応させようと努力するあまり、という面は共通しそうですが、それは本人の適応能力欠如の場合もあれば、能力に関わらずつい「我慢しないと悪い」などと自分を責める性格から発症する場合もあり、一概に言えません。近年、特に増加傾向にあるのは、OA機器の普及により、職場で長時間同じ姿勢を強いられることも、拍車をかけているかもしれません(たとえば私は強度の眼精疲労も同時に指摘された)。

 医者によって意見が違うこともあります。医者も人間ですから、相性もあります。ただ、あまり多くの医院を転転とするよりも、ある程度じっくり診てもらいながら、必要に応じて他に相談するほうが、症状を見極めやすいかもしれません。こればかりは、通ってみないとわからない面があります。

 もうおわかりのように、心療内科医が会社を休ませるのは、理由があります。一度現在の状況から引き離し、立ち止まって身体の状態を薬で安定させながら、自分がどのような点に絡まって動けないでいるか、考える時間が必要なことが多いからです。運動が必要な場合もあれば、もっと深く精神面での問題が解決せずにいる場合もあります。いずれにせよ、根本的な解決が来ない状況が長引いていて、それが発症に関していることが多いようです。そのために、通院して投薬と相談を受けます。

 で、治りかかってきたとしましょう。不定愁訴が多く治療が長引いている患者は、不安が強くなっており、直りかけてきた際にほんのささいな一言を浴びただけで簡単に発症します。「だらしないからなるんだ」「医者に相談してもだめだよ、本人が気をしっかり持てばいいだけなんだ、それも出来ないんだからね」「だめだなぁ、もう」

 長期化する患者は既に、自分で自分を責めたり叱ったりする傾向が根付いているから、治りにくくなっています。こういった一言で、悪循環に陥るケースもあります(私個人はこういう例にはなりませんでしたが、現実には枚挙にいとまがないようです)。あまりにひどい人が周囲にいる場合は、医者と相談しながら心理的防波堤を築くよう努力したほうがいいケースもあるかもしれません。

 それから、最終的な目標は緊張と解放の間をきちんと行き来できることであり、恒常的にいい状態が維持されることが解決だと思わないほうがいいようです。治りかかる頃はまだ多少の不安がありますが、徐々に負荷に慣らしていって、ある日気づくと今までよりも元気になっている、それが少しずつ繰り返されていって、長引いた症状が引いていく、というのが私の経験でした。皆がこうなるとは限りませんし、そのための方策は人それぞれ、なんともいえません。ただ、患者が直ることに対して過大な期待を抱いたり、周囲をのろって自分を不安傾向に追い込んでは、直るものも直らなくなります。私の場合、「自分のニュートラルはどこにあるか」を思い出すことが、解決への道になりました。

■私の場合:ニュートラル■

 医者と様々な相談をしながら、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、それには周囲(職場や家族や知人などのあらゆる関係)とどうすればいいのか、といったことを考えました。この過程で「こうしたら悪いから自分が譲るしかない」などとあえて他人に付け入らせる傾向があったことに、気づいていったりします(その中には強く躾られた行動が、本人の性格以上に影響力を振るって、蝕みかけていることもあったりする)。つまり、自分で判断して行動しても問題ないことに対して、常に周囲を意識して価値観を譲ったり、主導権を渡している部分があったことに気づきます。ニュートラルな位置を、あえて人に譲ってしまっている。では、どうやってニュートラルな自分に戻るか。その感触をすでに忘れかけていたりするんです。

 私は、実は医者とバッティングしないようなヒーリングを導入しました。ヒーリングとはいっても、アロマテラピーや代替薬を用いるものではありません。オーラ・クリーニングとでも呼ぶべきか、その人のオーラを浄化するメソッドを用いるものです(話だけを聞けばあやしく響きますが、宗教色のないものです)。主として、心身の調和を実現していくものです。

 アロマテラピーなどを知っている人は、気持ちよくなってリラックスするのがヒーリングと思われるかもしれませんが、それだけで済むものではありません。ヒーラーが私に対して、必ずしも薬が効いていないことを指摘しました。そして、自分でも考えてみて、薬を飲んでもいいけど、離脱できるように自分の中心を思い出したほうがいいし、思い出せるはずだというポイントに到達しました。その際に「自分の頭の中心には自分がいるはずです、もしも他の人や存在がいるなら、丁重に断って帰っていただきなさい。そこは本来あなただけがいる場所だから、他人をいつかせてはいけないんですよ」といわれました。

 これは、心理学的に言えば「自分になされた”人に譲る行動”の条件付けを理解して、条件付けを解いていく」とでもいうべきことです。自分の頭の中心だの、他の人がいるだのといった言葉は、一種の象徴的なゲームにも見えます。そうは言っても、自身で経験すると…ほんとうに、自分を侵食するものが感じられて、それに対して帰ってもらおうとするが、相手が承諾しない、といった不思議な過程に遭遇することがあるのです。

 私は、自然科学としての心理学(生物学に近い)を学んだし、学部レベルですが精神医学の授業なども聴講してきました。条件付けの理論とメソッドを応用すればいいのだと考えることは出来ます。しかし、実際に経験すると、条件付けを自分で解除することは意外に難しく、それよりもヒーラーの行ったメソッドのほうがはるかに明確に、自分をクリアにしていくのです。つまり、自分を侵食し、利用するものを追い出すとともに、自分がどうしたいのかがより明確になっていくのです。

 どういう方法を行ったか、何か参考書籍はないかといったことは、ここでは触れません(メールなどで尋ねられても回答いたしません)。効果をもつかは人によりますし、適切なヒーラーも必要となりますし、自分の闇も見ることになるため、誰にでもお勧めできることではないからです。もしもこれをお読みのあなたに縁がないようなら、それは不要だからでしょう。私は必要だったらしく、ほとんど必然のようにあるメソッドに出会い、回復の過程を経験しました。

 ヒーリングを真に行うと、それは単に気持ちよくなるだけで済むとは限りません。世間のイメージとは違う側面を持っています。ただ、怖がってしまったらかえって危険極まりないものです。適切に行われた時には、自分を乗っ取っていたものが出て行き、自分のニュートラル状態を思い出すことが出来ます。

 私はエンジニアだったし、今でもサイエンスはたいへん重要です。しかし、現実に自分が心身問題で引っ掛かったときに、役立ったのがニューエイジ的なメソッド(宗教色がないとは言え、まったく関心がない人から見れば宗教的メソッドに見えるだろうと思う)であったのは、ある意味驚きでした。ここで思い出したのは、アメリカの行動主義心理学者で大きな影響力を持ったB.F.Skinner(ハーバード大学の名物教授、すでに故人)の全盛期に、その教育を受けた生徒の一人が、後にグルジェフ(20世紀最大の神秘思想家の一人)のワークに参加していることです。平河出版社の「グルジェフ・ワーク」という本の原書の著者です。条件付けと自動機械制御の連鎖の中から突破する方法を考えるために、こういう場所を目指した人が過去にいたことは、極めて興味深いことでありますが、深入りするには大きすぎる問題なので、今は触れません。(念の為に申し添えておくと、私はグルジェフのワークに参加したのではありません。)

 繰り返しますが、ヒーリングで誰でも、どんなことでも、よくなるわけではありません。それは強調しすぎてもいいくらいだと思っています。いわゆる自律訓練法などのほうが相性がいい人、安全な人も大勢いると思います。また、このような精神的な問題としてとらえるよりも、ゆっくり水の中を歩く、あるいはゆっくり泳ぐような、運動から直すほうがいい場合もあるはずです。それは、その人ごとの問題を、相談しつつ対処していくことで見えてくるはずだと思います。

■自分を思い出す■

 条件付けの連鎖を逃れるなどといったことは不可能ではありますが(人間同士、あるいは環境を介して常に相互に条件付けしあっているのが生きとし生けるものです)、静かに頭の中心に座す自分を思い起こすことが可能になると、かなり感じ方が変わってきます。条件付けの連鎖の外にいる、というのは大げさですが、静謐な空間が自分の中に根付き始めます。

 そこからしばらくして、自己肯定が始まり、それに伴って免疫力が回復し始めました。しばらくすると、徐々に薬から離脱し始めていきました。その根っこには「意欲の回復」がありました。

 つまり、常に環境や周囲に対して遠慮し、自分の希望を満たすことが罪悪のように感じている自分に対して、「どう考えても大丈夫なときにはやっていいんだよ、人とぶつかったら、改めてきちんと調整をとればいいだけだ」と宣言することを通じて、自分の居場所、自分のすることを改めて見出していく。そうやって未来に気持ちが向かい始めると、自然に希望に満ちてきて、意欲が出てくる。

 もちろん、一直線にはいかないことも多いはずです。しかし、何度かうねり道を辿るうちに、明るい景色が見えるはずです。体調もいい時があるでしょう。それを増やしていく、そのときこそ「気のもちよう」という言葉が生きてくる。そして、そのためには「気の持ちよう」を生かせるところまで、自分が回復していく必要がある。

 私はそういう風に感じながら、よくなっていきました。

■最後に■

 長い前書きと後書きをお読みくださり、ありがとうございました。

 こういう症状から、すぐに元気になれるケースもあれば、私のように長く苦しむケースもあります。傾向ごとにくくることは出来ますが、誰も、どれも、まったくユニークです。そして、一回限りで統計処理にかけられないからこそ、本気で対処しなければならない問題です。ただ、希望はあるはずですし、失わないでほしいことはお伝えしたいです。

 繰り返しますが、私は相談に乗ることは出来ません(どのようなメールをいただいても返答いたしません)。専門家に行くべきです。そうは言っても、これを読むことで、気持ちが切り替わって、よい医者やカウンセラーとの出会いなどあるかもしれませんし、からまっていた自分の糸を医者と一緒にほどく気持ちになるかもしれません。ぜひ自分の中の光を思い出してください。

 お読みの皆さんに、幸がありますように。拝


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