猫時間通信

2003年10月

 

■2003/10/31■ 凝りに思う、iTunes for Windows

おもしろそうな催しに書きましたが、文学フリマで販売する作品集「繭玉」の冊子には本編以外にもう一つ、短い小説がもれなくついてきます(さるぢえハウスの栞に加えて、もう一つ小さな付録があるということ)。お楽しみくださればうれしいです。


三日ほど気持ち良く晴れたが、今日の夕方に曇ってきた。暖かく、そろそろよくなりつつある胸の打ち身にもラクだった。しかし、なぜか首・肩の凝りと頭痛。接骨院でいつもより少し念入りのマッサージを受けつつ、今日になって、どうも歯を噛みしめてしまうのが原因かもしれないと思い至る。歯の矯正も行っている最中だが、元に戻そうとする筋肉の癖も強いようで、時々このような日がある。というより、自分で自分に意味ない圧迫をかけるの、やめい>自分

ところで、凝るのって、人間特有の現象なんだろうか。動物達はどうしてるんだろう? と猫のことなど、思ってみる。

近所のベランダによく昼寝している猫がいる。そのベランダの持ち主はアロエをよく使うらしく、アロエの鉢植えが林立している。その一角、ベランダの一番端っこは鉢植えがなく、ぽつんと空いている。南向きで、いい具合に日が当たる。白黒ブチ猫が、いつもそこで同じ方向に丸くなって眠っている。たぶん、お家の人も、この猫のために開けているんだろう。

そういえば、さくさくいう落ち葉も、猫は好きみたい。駐車場の一角に落ち葉が吹きだまっている。こんもりたまった落ち葉の上に寛いでいる猫がいた。28日の火曜日は雨、翌日の水曜日、暖かく気持ち良く晴れた時に見たら、さすがに湿った落ち葉は具合が悪いらしく、車のボンネットに乗って居眠りしていた。いつもお腹をべたーっと地べたにひっつけて寝ている。

どいつもこいつも、みんないつも同じような格好で寝てる。よく凝らないなと感心したり。しかし、ほんとに彼らはどうしてるんだろう。人間も、もうちょっと自分でどうにかしたいもんだな。


iTunes for Windows 日本語版が、当初の予定10月21日から大幅に遅れてやっと公開された。というわけで、念のために英語版をアンインストールしてから、日本語版をインストールしてみた。私のマシンはThinkPad s30、2002年に既に生産中止となった、いまとなっては古めのマシン。 Windows 2000 Professionalで使っているが、もちろんきちんと動いた(iTunes for Winのバージョンは4.11、Win2000で生じる問題をフィックスした版)。

念のために、Macの音楽ファイルをSamba経由でネットワーク越しに見えるようにして、それをWindows上のiTunesにインポートしてみる。日本語の名前も含めて、すべて無事にインポートされた。これは、Mac版のiTunes音楽ファイルを、Winのほうに丸ごとコピーしてもきちんと扱えた、ということ。

続いて、Mac版のiTunesで音楽共有をオンにする(ファイヤウォールの調整が必要な方はお忘れなく)。Win版のiTunesから共有検索をかける。無事に見えた。この場合は、Mac版iTunesのファイルを、Win上にコピーすることなく、ネットワーク共有でiTunes for Winで演奏できる、ということ。

もちろん、Win版のiTunesで共有をオンにして、MacのiTunesから見て、聞くことが出来る。

ちなみに、iTunesで音楽共有をオンにしている場合、誰かが共有している状態でiTunesを終了させようとすると「一人または複数のユーザが共有されたライブラリに接続しています。終了しますか?」と確認してくる。Mac版でもWin版でも、きちんと同じように動く。

Windowsユーザにとって、凝った音の取り扱いは出来ないけど、とにかくラクに楽しく音楽ファイルを扱いたい人にはいい。たとえばあまりコンピュータに慣れていない方が最初に触れる時、iTunesなら楽しく扱えるだろう。私がMacユーザであることを割り引いても、いいソフトだと感じる。

それだけに、iTunes Music Storeが日本で利用できないのは、もったいないなぁ。もったいないお化けが出るくらいだ。早くどうにかしてくれ。


 

■2003/10/28■ 象徴的な出来事、Macをとりまく風景

文学フリマ、ブース番号は B-5 になりました。(おもしろそうな催しもご参照を。)


更新を緩めにしているうちに、起きた印象的なこと。

●中国(中華人民共和国)が、世界で3番目の有人宇宙飛行と帰還に成功。

●衆議院解散。安倍晋三、自民党の幹事長に就任。自民党が世代交代を進めるために導入を意図している「73歳定年制」、この先例として自民党公認から外された宮沢、中曽根の両元首相の対照的な態度(結局、中曽根氏も本日政界自体からは引退することを発表した)。来月は選挙。

●イラク復興会議、アメリカ合衆国は自画自賛してるけど、米軍どころか赤十字にまで攻撃が行われている。

●来月はローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の即位25周年を祝う式典がある。(これは未来のことだけど。)

なんか、不思議なセットに見える。

中国は、一応アジアでは進んでいた日本主導の宇宙事業協力会議を見限って、自国だけで莫大な予算を使って研究を続けた。結果は、宇宙へ出て、帰ってきた(しかも、海ではなくモンゴルに)。宇宙事業は何にも生活に関係がないように見えるけど、現在のコンピュータの発達もそもそもはアポロ計画に注ぎ込んだものが生きているし、高度な気象予測を支える人工衛星打ち上げにも必要だ。日本ではすぐに役立たないものへの税金投入が、ここ10年ほど特に嫌われるけど、こういうことこそ民間ベースでは出来ないこと。中国がいかに経済力と研究を持続する力があるかを、見せることが出来たようなものだ。今後の圧力は、もしかして唐・高句麗連合が大和政権の参加した水軍を打ち破った頃に匹敵するか、いやそれ以上?

日本は、逆に政治的貧困をさらけ出すような事態。政治的な貧困はこの国に限らないのだが、人気の落ちない当の小泉首相、論壇や専門家からの評価があれだけ低いのに、なぜこれほど人気がある? (論壇は庶民に信用がないから、ということはおいといて。) この国の民は、なんだかんだ言いつつ生活に根差したバランス感覚を前提にしているが、それを逆手にとる小泉が、人気だけで政権を続けることが、本当に皆のためになるのか?

そして、東西冷戦で勝者となったアメリカ合衆国は、かつてないほど傍若無人な振る舞いを表に平然と出すようになった。日本をイラクの占領モデルにすると言っても、10年以上本格的交戦を続けて疲れ切っていた旧日本と、いまのイラクを同列に扱えるわけはなく、慌てて違う体制を作ろうとしても、本質は変わらない。ただ、国連や赤十字が攻撃されるのはなぜなのか、ここは掘り下げる必要があるだろう・・・

ローマ教皇は、旧共産圏崩壊以降、ここ数百年なかったくらいの影響力を持った地位にいるように見える(宗教や人道面だけでなく、政治性あるメッセージにさえ注目が集まる)。でなければ、なぜ英国清教徒のブレア首相が、カソリックの妻を伴って謁見を申し込んだりするだろう? そのローマ教皇は、米国の単独軍事行動を何度も諌め、ブッシュ大統領はよその国の指導者に対する態度と異なって、ローマ教皇を糾弾するメッセージは送らなかった(とはいえ、受け入れもしなかったのだが)。今後、米国とローマ教皇との関係はどうなるのか。

なんだか今後の世の流れを、象徴するような出来事が立て続けに起きたように見えてしまう。中国の勃興、米国の強行主義、カソリックの象徴である教皇の意外なほどの影響力・・・この先にある世界はどうなるんだ?


Apple Computer、Macintosh絡みの発表多数。

●ジュークボックスソフトiTunesのWindows版を発表、即日ダウンロード開始。

●それに伴い、iTunes Music StoreはWindowsユーザも出入りできるようになった。

●iBookがPowerPC G4プロセッサーを積んで、速度の改良。eMacも価格改定。これにより、入門機種の性能が大幅に強化され、またMac OS 9という旧OSはついに起動しなくなった。

●Mac OS X 10.3 "Panther"、発売。同時に、サードパーティのアプリケーション、周辺機器のドライバなどが多数発表・提供されている。OSのアップグレードと、アプリケーションや周辺機器利用環境の対応が、今回はスムーズに進み始めた。

一方、WindowsのほうではMicrosoftが新しいOffice 2003とOneNoteを発売している。さらに、台湾では縮小しつつある技術見本市で「パーソナルコンピュータは今後減る一方だろう、新しい市場のために家電向け・通信機器向けの部品やソフトウェアの提供が急務」という話題も上っている。

コンピューティング環境が本当に遍在するようになると、パーソナルコンピュータを使う人の数は減り、事務機器以外は家電化する可能性は高い。そうなると今広がり続けているWindowsマシンが拡散してしまって、意外にも最後まで生き残るパーソナルコンピューターは、Macintoshのようなマシンなのかもしれない・・・なんて思ってしまう。(当然、使っている人の数はすごく少ないわけだが。)


今日はなんだか長くなっちまったな。

ところで、阿部和重の新刊「シンセミア」が上下巻、同時に発売された。これは長そう・・・いつ読めるかな。

それにしても、丸谷才一「日の輝く宮」や小川洋子「博士の愛した数式」など、今年は緊密に構成された小説が多く出てきた。「シンセミア」も同様に見える。それぞれが個別に準備しているし、作品にかける時間の長さ・重さもそれぞれ違うだろうけど、狙ったように出てくる流れ。面白いものだなぁ。


 

■2003/10/21■ 印刷製本発注、今月のビーム

文学フリマに出品する作品集、昨日やっと印刷製本に発注しました。おもしろそうな催しにも書きましたが、タイトルは作品集「繭玉」。表題作の他に、このサイトで発表済みの作品を1つ収録しています。また、写真家渡部さとる氏の写真集も、販売します。この写真集、南の島のモノクロの風景が、とても濃密なイメージを喚起するすてきな作品です。今は入手が難しいもので、広い意味の文学として、こちらもぜひ。

11月3日、文化の日。文学フリマで見て買って、青山散歩、カフェなどなど。楽しいひとときをお楽しみくださればうれしいです。


ビーム。額から出る光線じゃなくて、コミックビーム。アスキー系出版社エンターブレインの月刊コミック雑誌。同居人が毎月読んでるが、風邪を引いた同居人のために私が買ってきた。

森薫「エマ」、毎月面白いけど、この作者、たぶん19世紀オタクかな。その意味では私は18世紀オタクかもしれない・・・いや、18世紀オタクはフランス文学者に多いから、私は18世紀音楽オタクと限定しておこう。

閑話休題。今月はオペラを見に行く話なのだが、ここ数ヶ月少しずつ張っていた伏線が今月、男性主人公の側にどーんと集まってきた。しかも、演目はロッシーニの名作「セヴィリヤの理髪師」。この台本、周知のようにモーツァルト「フィガロの結婚」の前段となっている話。つまり、モーツァルトが18世紀末に後段をオペラにし、19世紀に入ってロッシーニが前段を取り上げているもの。身分違いの恋の悩みと、処女権(昔の領主は自分の領土内の娘の処女を奪える権利、なんてものがあった)を行使しようとする領主を出し抜くことが結びついているところが魅力。

19世紀末頃、オペラを見に行く、しかもボックスシートを持っているよい家柄の人々の場合、カップルで見に行くことはお見合いを兼ねていたりする。日本では今でも、歌舞伎座の座敷席を、舞台を挟んで男性側、女性側と予約しておいて、観劇後に引きあわせるなんてやるけどね。ああいうノリがもともとある。今月の話でも、オペラの進展(実際にイタリア語の歌詞入りで紹介する)、それに応じて変わる女性の表情、女性が男性に感極まって告白するのがオペラの最中で、耳元で伝える様子をフキダシなしで表現するなど、なかなかいい感じで進展してる。最近の様々なコミックの連載でも、秀逸ではないだろうか。当時の社会習俗を下敷きに、オペラその他で重層構造で見せる面白さを、ビームの読者層はどれくらい感じてるだろう。ひしひし感じてほしいな。

そして「エマ」のテーマも、身分違いの恋。森薫のメイド作品集「シャーリー」は、まぁ言ってみればメイド萌えに近いところがある。対する「エマ」は、ヴィクトリア時代の英国におけるメイドの身分、社会慣習を背景にしていて、おそらくそれを少しずつ破ろうとした人々が、現代に近い感性を持っていたことを描こうとしているように見える。格段にストーリーや人物への奥行きと深みが出て、今、どんどん面白くなっているところ。もっと面白くなると思う。ガンバレ。


しかし、ビームを渡した当の同居人は、この面白さとはまた別に、私が買ってきてあった文芸誌「文藝」(河出書房新社の季刊誌)にもウケてた。島田雅彦のオナニー小説、藤沢周のインタビューなど。うー、私、忙しくて積ん読状態・・・う、うらやましい・・・

やっと読めそうだわ。


 

■2003/10/13■ 大雨、丸ビルでのMacイベント

胸の打撲はかなり治ってきたが、患部は触れるとまだ違和感(軽い痛み)が残っている。まぁだいたい順調な経過ということだそうだ。土日や祝日でも午前中は対応してくださる接骨院はありがたい。

その帰り、本日の東京の土砂降りにやられた。歩くうちに前が水しぶきになってしまう。昼食がまだだったので、急いで手近なラーメン屋に飛び込んだ。いつも混雑している店内、今は珍しくがらがら。店の人も、そう混雑しないので、食べ終わった人に緑茶を出して、少しでも小降りの時に出ていってという配慮。ありがたい。

午後2時、一瞬小降りになった隙を見計らって移動。駅から見る雨は再びものすごいことになってる。横殴りで、街が飛沫を浴びて白くなる。水の塊を風で飛ばしているようだ。

午後4時、外を見たら晴れてきた・・・びしょ濡れになった人々は、絶句していたのでは?


その大雨の最中、東京は丸ビルで行われたイベント、Mac-i Tokyoを見てきた(丸ビルは地下街直結なので、東京駅にたどり着きさえすればどうにかなる)。まず、丸ビルに遊びに来た人々の数に圧倒される。特に大雨で移動してきた人々もいたためだろう。

会場自体は小規模。7階と8階で行われていた。7階はホールでの講演や発表と、Mac OS X 10.3 "Panther"体験コーナー、iChat AV体験とアンケート、プレゼンテーションスペース。8階は会議室を活用して、ハンズオン・セミナー、企業やユーザグループの展示ブースが出ていた。この会場一覧がないため、うろうろ回らないと様子がわからなかったのが残念。

7階の"Panther"体験コーナーは、Macintoshの台数が少なかったかも。特にPowerMac G5は大混雑、あきらめてPowerBookにいった。ほぼ自由に様々な機能を試せるが、後ろに人が並ぶので、そう長々と占拠するわけにもいかず。みんなが試すのは、表示中のウィンドウを一斉に放散させて見渡し、必要なウィンドウに切り替えることが出来るExpose(eはアクサンテギュ付で、エクスポゼェと読む)。実に軽く動く。また、すべてのウィンドウを放散させる機能がよく紹介されるが、アプリケーションごとにウィンドウ放散させながら選ぶ機能もある。これは意外に便利。ことえり4のメニューはキーボードメニューに統合され、他の日本語インプットメソッドも同様になるという。ことえりについては使い込まないとわからないので、ちょっと触っただけではなんともいえない。ただ、Finderも含めて全体に動作が軽くなっていることは確か。ちなみに、Finderに新たに追加された「よく使うアイコンを登録しておくカラム」は、Dockにすべてをまかせないで、ファイルやアプリケーションへのアクセスを可能にするような機能。他の追加機能も含めて、実用的な機能をいかにトリッキーじゃなくスマートに実現するかに心を砕いているようだ。

8階の各ブースとしては、よろず相談所(Macintosh用とPalm用があり、それぞれユーザグループから人が出ていた)が出ていて、マシンを持ち込んで相談できるコーナーがあった。まずます機能していた模様。全般に、MacWorld Expoのような方法をとらず、ユーザ参加型のイベントを初めて行うため、出展者も客も手探りなのだろう。面白かったのは、iPodの周辺機器などを展示しているブースには、意外にも男性より女性が立ち寄って相談するのを見かけたこと。街でiPodを使う女性も、少なからず見かけるが、iPodをラジカセ化したり、カーオーディオ化するような商品は、理屈をこねずに「この製品で楽しみたい!」と思う女性のほうが真剣なのだろうか。

7階ホールで行われたプロフェッショナル・ステージ、各分野の専門家がMac OS Xを活用して仕事をしていることについて語っている。これがなかなかおもしろかった。おそらく、アップルがやりたかったことはこっちなんだろうな。

そして、アップルの目指す「先進ユーザの事例発表を通じて、Macの本当の価値を訴える」という部分が強調されると、展示企業ブースやユーザグループブースとは雰囲気がズレてくるため、このイベント全体のまとまった雰囲気がなかったように思う。結果的に、散漫な印象を残すため、成功だったか失敗だったか、盛り上がってたかそうじゃなかったか、よくわからんイベントだったかもしれない。

この手のイベントはもっとあったほうがいい。ただ、有料ならもうちょっと気張ったものにするか、無料コーナーと有料コーナーを設ける、などという工夫もあるといいかもしれない。というのは、ふらっと来る人を受け入れる空気が薄く、よほど濃いユーザじゃないと足を運んでくれないように思えたから。


丸ビルは、いまだに日曜祝日の集客力を維持している模様。特に、KUA AINA(値が張るけどボリューム十分のハンバーガーショップ)が出店していて、テラス席もあるせいか、行列していたのには驚いた。渋谷やお茶の水にもあって、かなり繁盛しているが、ハンバーガーに飲み物その他を加えて1,000円を越える店だ。このビルの中では安いほう、ということかもしれない。だけど、たとえば池袋や新宿あたりのハンバーガーショップとのあまりの落差(それは店の様子、メニューの内容、入る客層すべて)になんだか愕然としてしまう。あのあたりに勤めている方々は、あまり丸ビルで昼食をとらないと聞いたが、何となく納得。

そして、丸ビルの周辺と、駅の反対側に位置する八重洲口の風景の違いも、結構すごい。これも今の東京の風景なんだな。


 

■2003/10/12■ ぶどう狩り、豊かな時間

ぶどう狩りに行く。というより、知人に連れていっていただいた。というより、そこで行われる奉納演奏のお供である。たいへんおいしいお蕎麦をご馳走になる。田舎蕎麦ではなく、更科系なのだが、ものすごくまっとうに打った蕎麦。出汁の丁寧なタレ。蕎麦がいいから、蕎麦湯も素晴らしい。店を開いてほしいくらい。

ぶどうを食べて、さらにびっくり。ぶどうは舌にえぐい感じが残ることがよくあるが、ほとんどない。早めに摘んで出荷してしまうと、えぐいぶどうになる。きちんと熟成したものをすぐ食べれば、そんなことはない、とのこと。

連続して賞を受け続けているぶどうは、重さも味も違う。今年は冷夏で心配されたそうだが、9月に少し日が照って、それでいくらか持ち直したそうだ。果樹園にいると、樹の下での香り、土の軟らかさに、ものすごくよい気分になってくる。奉納演奏でも、木々が反応するように感じられた。

すばらしく豊かな時間でした。ありがとうございました>ぶどう園の皆さま、師匠


行く先は秩父方面だったのだが、行く途中の山並み、川、その間に広がる人家の風景もとてもよかった。なんてことない山里とも言えるが、穏やかでとても落ち着く景色。しかも、雨の後で晴れて、山のすぐ脇を雲がたなびいている。夕暮れ時には山がシルエットになり、水墨画の風景が現出する。

箱根のように開発されまくった場所ではないから、落ち着くのだろう。こういう場所があるとは、知らなかった。


 

■2003/10/01■ なんて青、なんて空!/喫茶店閉店に思う

第2回文学フリマ出店の告知を催し物ページに出しました。事務局からの詳細の連絡が予定より若干遅れ気味だそうで、私の出品物も制作中なので、また随時お知らせしていきます。時々お立ち寄りください。


昨日(9/30)、ものすごい風の音で起きる。ごみ捨てに出ると、すばらしく乾いて気持ち良い風が・・・というには強すぎる。けど、振り仰げば真っ青、真っ青、なんという空! きっと写真家なら「写真日和」と思うんじゃなかろうか。

図書館で調べものの帰り、日比谷公園から見える空は最近見たことがない透明度だった。新月から5日目で、少し豊かになってきた月が、ビルの谷間に沈もうとしている。銀行、帝国ホテル、日生劇場、その他のオフィスも、窓明かりがきらきら光って、いつもより窓が近いのではないかと思うほど。振り向くと黒い木々の奥に、暖色にともった松本楼がゆったり構えている。噴水が上がると風で吹き飛ばされて、飛沫が肌に新鮮。こういう光景も悪くない。

東京宝塚劇場は数年前に落成しているにも関わらず、いまだに慣れない。その分、光ってそびえる塔を見上げて新鮮な気分を味わえる。ここからショッピング街のシャンテを含めて、私は「光る道」と勝手に呼んでいる。夢に出てくる「古くさい日比谷映画街」とはあまりに対照的だから。しかし、夢で見る古くさい町並みを、起きている時には思い出せなくなっていたりする。夢見の最中と通常時では、記憶のアクセス経路が違うんだろうか。

シャンテ・シネと噴水の向いには、昭和初期を思わせる古いビルがまだ残っている。ここから日比谷公園を借景に眺めると、自分はいつの時代に立っているのだろうと思う。でも、もう銀座の洋館の代表だった交詢社ビルもとっくになくなり、ずっと新しいカネボウビル(かつてはカネボウとリプトン・ティールーム、後にワーナーが買い取ってから手放した)でさえ今はない。まだいい感じで建っている風格あるビルディングも、今のうちにたっぷり見ておこう。

そういえば、銀座松屋の前、サエグサビルは長らく工事中だったが、現在アップルコンピュータのiPod(デジタルオーディオプレイヤー)の広告が見えている。Apple Store Ginzaが来年、オープンする。Cartierその他、目抜き通りに立ち並ぶ海外ブランドの一つになるか。

それにしても、空が高く、夕焼けの余韻が長い。


10月1日、今日は暖かく、空気も湿って白っぽい。大学が新制度でスタートするほか、街のあちこちで新メニュー、新装オープンが目立つ。都民の日だから中学・高校生も街を闊歩してる(公立校は休み)。

その一方で、9月末をもって閉店する喫茶店などもあった。喫茶店などは、店がぱんぱんになるほど客が入ることはあまりなく、逆にそれが適度なゆとりを生み出す源にもなっているところがあると思う(経営されている方はまた、違った見方があるかもしれません)。

いま多くの人が利用する明るいカフェスタイルの店。多くはドトールやスターバックスなどによって認知された形態。こういうところは、席が詰まっていて隣が近い。しかもほとんど常に席が埋まっている。並ぶほど客が入っているが、満席でもテイクアウトがあるから、商機が豊富。値段も安く、オヤジくさい印象もない。こういう店が、勝てないわけない。勝つってどこに? もちろん、他の喫茶メニューがある店に。

でも、あんなにざわついている店ばかりが街に氾濫して、みんな本当に落ち着いているんだろうか。また、喫茶店がなくなると「大人の○×」と呼ばれるような、メニューが豊富な酒の店になり、落ち着いているかと思えばやっぱりざわざわとうるさい店、そういうのに替わっていって、それで満足しているんだろうか。居酒屋でもカフェでも割烹でもビストロでも、年がら年中つけっぱなしのテレビのようにうるさくなっていくのも、ちょっとどうかと思うんだが。

オープンな明るい店が増えたことは、とってもいいこと。だけど、カフェ系の店よりもう少し照明を落とした喫茶店と呼ばれる店で、まじめにコーヒーを点てているところも、カフェや酒場とは別のあり方をもっと活用されて、残ってほしいな。黙って考えたり、静かに穏やかに話をすることも、重要なことだと思うんだが。


 


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