猫時間通信

2003年3月

 

■2003/03/27■ 亀戸天神、勧請とリンク

二日続けて驚くほど暖かい。同時に眼が少し痒い。

それにしても、世界的に広がりつつある急性肺炎、どうなるんだ? これはある意味、戦争より怖いけど。


ちょっと思い立って亀戸天神へ行って来た。何しに行ったのかというと、実はむか〜〜しの、大学合格祈願へのお礼詣りである。祈願文のうちの一校に受かったが、祈願したことを忘れて訪れずにいた。実は人に誘われて、私はすごく乗り気ではない状態だったからかもしれない。急に今ごろになって思い出し、落ち着かないのでお礼をしてきた。

以前に行ったのは、20年以上前かな。参道にあるお店はかなりシャッターが閉まっていて、木曜定休なのだった(特に用はないからいいけど)。境内がすっかり整備されていて、びっくりした。太鼓橋を上ると、池の岩という岩に、亀がはりついて甲羅干し。春だなぁ・・・まだ藤棚はつるつるだが、1ヶ月もすれば緑と紫の波がここに広がっているはず。静かな境内で、お礼を申し上げてきた。なんだかすっきり。

このあたりの町並みも、ずいぶんとビルだらけになって(それもかなり建て替えられている)、変わった。船橋屋は相変わらず、と思ったけど、実は以前の様子をよく覚えていない。風情のある木造2階建ての入り口には池があり、おばあさんに手を引かれた孫が鯉に夢中になっていた。そういえば、私も幼い頃、親に手を引かれて靖国神社の近くを散歩していて、鯉など見ていた記憶がある。神社の近くにあるものを見て子供が遊ぶのは、山手線から西の風景では、成立しにくいかもしれない。そう思うと、ここはまだ古い遊びを継承しているのかもしれない。


神社で思うのは、奈良の春日大社が、鹿島神宮を勧請した、といった勧請というシステム。勧請の厳密な意味や意義とはかけ離れるだろうが、社伝などの資料を読んでいると、勧請はWebのリンクを思わせるところがある。実際、ある地の空気が、よその聖地の空気と共通点を感じさせるからこそ勧請したのだと思われるところも多い。勧請すべし、などという啓示は、貴族や僧侶の夢に顕れたりする。春日大社を造って鹿島神宮を勧請する、などという夢を見ること自体、すげぇことのように思う。

神社や寺院で聖域を作って荒らされないようにする。そして、勧請によって土地にリンクを張り巡らせていく。これは意外にも、土地を保全して運営していくための方法として、機能していたんじゃないかと思えてくる。住みにくい場所を祀ったり、聖地として保存したりといったことも含めてだ。戦後の日本は、おそらくそれらをずたずたに割いてきたのだろう。開けてはいけないところもずいぶんと開いたりしてきたはずだ。宗教的な気持ちというより、土地を運用していくメソッドはたくさんあったはずで、もっとうまく掘り下げる研究などはあるのだろうか。長く人間の住む環境を思うと、とても大切なことに思えるのだが。


 

■2003/03/24■ 大人度一定の法則

いきなり4月の気候だ。木蓮の花が一斉に開き始めた。歩いていると、去りかける沈丁花の香りに、幾種類かの香りが混じって、濃厚な空気に出会う瞬間がある。上着を脱いでセーターで、その香りの間をくぐっていく。


教育基本法の改正案に関する答申が出たのは、そういえば春分の日だった。

この手の法案で、理念に関わる部分が、考えることや表現することの自由にまで踏み込んでしまうのは、いかがなものか。宗教的情操って、いったい何を教えるというのか、特定の宗教や宗派は関係ないと明記されていても、では何が重要と考えるのか、それは宗教や宗派によって異なるだろうに。「日本の伝統文化を尊重し、郷土や国を愛する心」って、その伝統文化がどう形成されてきたかを踏まえること自体が重要なはずだが、成り立ちよりも今目前にある「なんとなく日本の伝統らしきもの」だけで考えていないか。宗教や伝統って何なのかという根本に眼を向けさせることが、大事なんじゃないか。

本国会期間に提出したいらしいが、イラク戦争だけでなく、こちらも大事か。


教科書問題の時も思ったのだが、好奇心さえ持っていれば、教科書など飛び越えて学びうるのだ、人は。学ぶのは何も学校だけではない、社会へ出てからも社会的な振る舞い・職業的技能などを通じて、経験値を積み上げていく。学校を出るくらいの段階で、各人に様々なでこぼこがあるのは当たり前じゃなかろうか。大人が子供を気にしていじりすぎてないかとも思う。

さらに、私は「大人度一定の法則」というのを考えている。ある社会や組織などで、大人的な振る舞い・考え(それって何よ>自分)と、子供っぽい振る舞い・考え(だからそれってなんだってば>自分)の総量はほぼ一定している。大人への通過儀礼があいまいになった今は、大人が子供になりきらない分、子供に冷めた眼(つまり大人っぽい考え)を引き受けてしまう。だが、身体が器用に動かせない分、大人のようにきびきびとはいかないから、そのギャップは大きい。無力感を持ってしまう子がもしも多いなら、こんなことが関係してないか・・・

まぁ調査も何もしてない、脳内妄想に近いことではあります(けれども、ね)。


 

■2003/03/23■ PEACE

暖かい。花粉もすごくて眼がちょっと痒いけど、木蓮の花がほころんできている。もうじき満開だ。


戦争が始まり、「No War」という文字が踊るデモ行進が報道されたりする。

しかし、これではWarという言葉が入っているため、いくら否定したとしても、そちらに意識の焦点がやっぱりいってしまわないか。否定的表現ではなく、肯定的表現を。おきてほしい状態を表現する、肯定的な言葉を。

大切なのは「PEACE」だ。戦争を否定するのではなく、平和そのものを深く想像し、それがすでに実現されているかのように、皆で考え、感じる。そこで交わされる言葉は? そこで鳴る音楽は? そこで笑顔は? どんな顔して、みんな何してる?

そう感じていたところに、オノ・ヨーコのピース・イベントがあったので、数日前にリンクをはった。あそこに書かれている言葉は、大変深い真実に満ちている。見て、考えて、想像してほしい。はっきりと心に思い描いたことこそが現実になるなら、まずはくっきりと PEACE を想像する。アメリカが悪い、イラクが悪い、どこが悪いというのでなく、平和な時の皆の顔、生活、ゆとり、それをこそ、強く想像する。それは創造だ。


昨年、奈良の東大寺は正倉院に補完されてきた御物を見学してきた時(リンクはこちら)に感じたこと。

天武・天智時代から始まって、聖武天皇で完成したフォーマットが、その後長く日本を形成した。善し悪し両面あるだろうが、少なくともあの御物を見るかぎり、気合いを込めて、フォーマットを祈りと知力の限りを尽くして生み出した。そのことは本当だと感じる。

ならば、皆が本気で王のように祈ったことは、形になる。祈るならやはり、PEACE、平和だ。


 

■2003/03/22■ 定年後の大学生活

出身大学の、専攻学科の会合。年に一度会う人々、時折会う人々らと歓談。たまにまったく異業種の人々の話を聞くと、ものすごく刺激になる。こういうのは利害関係がにじむ交流会などでは味わえない、古巣ならではか。


ところで、本を一冊。

  「もう一度定年後大学へ 還暦の慶大生『心理学』を学ぶ」
         渡辺三千男・著、東京経済(1,200円+税)

還暦を目前に社長業をリタイアした著者が、学士入学(つまり三年生から編入)して心理学を学び、卒業するまでの体験記。慶応や、京大・北大のような実験科学としての心理学を学ぶ大学は、文学部とはいえかなりハードに学生を鍛える。会社を辞めて入学した直後に感じた不安、それまでの至れり尽くせりの待遇との落差から始まって、好奇心旺盛な著者が感じたこと、学んだことが綴られている。

これを読むと、たぶん世間の人々の心理学という学問に対する誤解は、かなり解けるのではないか。また、年をとってから学ぶことが難しいかといえば、意欲さえあればじゅうぶん可能であることもわかる。自らの身をもって、心理学という学問の有効性を証したこの本、ご興味があればぜひ。


もう一言添えておくと、私自身、社会人として密度濃い生活を重ねてきた今になってみて、あの大学時代をこうしていればまた別の吸収の仕方があったかもしれない、と思う瞬間が、やはりある。そういうことを、如実に思い出したりした。


 

■2003/03/21■ パパ・タラフマラ公演「SHIP IN A VIEW」

本日、春分。9:32、太陽が黄道0度を通過。春が本格化していくはずだが、当然初日はまだ少し寒い。


小池博史率いるパフォーマンス・グループ、パパ・タラフマラの公演を見る。東京芸術劇場中ホール、休憩なしの2時間。

初演は1997年セゾン劇場、その初演を私は観ている。その後、ヴェネチア・ビエンナーレ2002で公演し、圧倒的な好評を得ての、凱旋公演とでもいうべき再演。今回は20〜21日の2公演あり、二日目のほうを見る。


念のために触れておくと、パパ・タラフマラは身体の動き、声、舞台装置が渾然一体となって、空間的に詩が広がる舞台を作る。ダンスとも前衛パフォーマンスとも演劇とも違う。ストーリー性はないようであり、あると思うと逃げる。言葉で説明できる何かだけでなく、そこから零れ落ちるものも含めて、「身体の詩歌」とでも呼びたくなるような空間的イメージの広がりが、役者の動きとともに明滅しながら大きなうねりを作り上げていく。また、舞台装置として毎回登場する無機物は、リレーなどの電気回路を用いた照明制御、動く船や人形などが登場し、生身の身体との対比と調和も特徴。

今回の「SHIP IN A VIEW」は、ヴェネチア・ビエンナーレ公演などに向けて演出などもだいぶ変更された版である。基本的に、昭和40年頃の海に面した町をイメージさせるような舞台に、おそらく普通の人々が現れる。各人の特徴は強烈にデフォルメされ、役者の踊りや動作で表現される。ただし、1997年の公演と比べると、主役級の二人だけでなく群像の存在が重くなった。それは演出自体もそうだし、役者の動きも「その他大勢」に近い人々まで、統御と放散が行き届いている。筋を構成する各パート(静かな導入、大きな音響とともに起きる乱舞、といった脚本上のパート)がかなり観やすく整理された印象。こうしてソリッドに殺ぎ落とされた表現により、真の意味での群像劇としての厚みを獲得した。

その一方で、豊かな各パートを組み合わせて全体を通して見た時、なんというか…独特のくどさが感じられたのはなぜだろう。1997年の公演では、ここまで整理が行き届いていなかったにも関わらず、もっとさらりと楽しみつづけていた。

いや、じゅうぶんおもしろく、堪能したのだ。しかしこう、気合の入ったフレンチレストランのフルコースを食べて「なんかもたれるなぁ」と思うのと同様の感じは、こちらの体調のせいなのか、演出のせいなのか、役者のせいなのか…演劇・ダンス・音楽などの舞台は出会いものであり、同じようにやっても、ほんのわずかな印象でまったく違う印象を醸し出すことも多い。そういう性質の結果なのだとは思うが、ちょっと気になっている。終演後、成功を収めた拍手が確かに響いたのだが、圧倒的な拍手が鳴り止まないところまではいかなかった、ということにも表れていたのかもしれない。

ただし、繰り返しますが、これはすごい公演だった。あれほど豊かな人物像が注ぎ込まれた舞台が、役者陣のまったく個別の動きにも関わらず全体として一貫性のある印象を生み、それが積み重なって厚みある空間と詩に広がっていく様は、まずもって観られるものではない。こうしたパフォーマンス集団として一頭地ぬきんでているパパ・タラフマラは、この舞台であるピークを築いている。それだけに、私個人の感じた「くどさ」は、完璧を目指すオーケストラの公演に時折ある、人工的なまでの造形美から来るものなのだろうか、単に時間的な緩急の問題なのだろうか。次の舞台も夏にあるようだし、それまでとっておこう。


 

■2003/03/20■ わやくちゃの後に蕎麦会

夕方より知人達と会食予定だったが、当の知人の一人より突然、午後に関連する用事のお誘い。じゃぁちょっと会食は遅れ気味ということで、などといっていたら、相互に予定がどんどんずれ込んで、えらく遅くなってしまった。他の方に連絡しようとするも留守電だったりして、もう連絡がわやくちゃ。

にもかかわらず、きちんと会えたのはすごい…んじゃなくて、携帯電話のおかげ。よいことなんだか、悪いことなんだか…もちろん、待たされた方はちょっとむっとしておりまして、失礼しました。知人で携帯電話を持たない人が言っていた「携帯電話を一斉にほうりだせば、みんな必死になって時刻を守る!」という一言を思いだす。とりあえず、おいしい蕎麦を食べて、一段落。


蕎麦好きが集まると、まず一本は生ですすってから、続いてつゆにつけて一本、おもむろに薬味を調整して、ずずーっとやり始める。似たように食べ始めるのが面白い。

昔、東京の蕎麦屋はどうしようもない店も結構たくさんあった。最近、蕎麦屋は普通にうまい店も結構増えているが、今回はとびっきりおいしいほうの一軒、練馬にあるお店。こういう店があるのは、うれしい。

私は神田のまつやが好きで、ここが東京の蕎麦屋の基準だと思う。老若男女、関係なく大きなテーブルに並ぶ。ぱっと入ってさらりと食べてもよし、ちょっとお銚子で一息ついてもよし。いたわさも、卵焼きも、鶏料理も、冷たい蕎麦も温かい蕎麦も、何を食べても水準以上(抜群にうまいというほどでもないが、まずいものがまったくない)、待たされずにさっと出てきて、気持ちよくお勘定を払って出る。時折、相席になったご老人が注文した鶏を一本とってから皿をさしだして、「食べきれないんで、一緒に食べてくれませんか」などといわれることもある、こういうのも下町の蕎麦のお店。値段も庶民的。ここは今でこそ名店のような扱いだが、本来はファミリーレストランみたいな位置づけ。こんな店が蕎麦屋だと思う。


 

■2003/03/18■ アップグレードの決め手

米英、イラクに最後通告。現在のブッシュの父が大統領だった頃は、むしろ及び腰のブッシュ父を英国のサッチャー首相(当時)が説得した上に、国連を通じた外交の筋だけは一応通していた。その後のクリントンも含めて、もう少し外と話をしていたし、外交努力という言葉にここまでデリカシーのなさ・むなしさを感じさせるような発言や行動は目立たなかった(もちろんそうは言っても、アメリカ合衆国という国の強圧的な態度はあったわけだが)。

現在の大統領は、あまり外に出向かず(そういうことを英国に任せてしまう)、下手すると電話会談で済ませ、開戦派の首長達とは積極的に会談する、それをぎりぎりの外交努力などという。とても民主主義国家の統領のすることではなかろう。


実は私、DreamWeaver / FireWorks(ページ作成・サイト保守と、Web向けグラフィック作成のツール)はVer.4.Xのままで、2002年にリリースされた「MXシリーズ」にアップグレードしていない。一つは価格体系が変更されて高いツールになったこと。もう一つは、クラシック環境で動作するうえに、Mac OS X 10.2以降はクラシックの動作速度が上がったこともある。

ただし、FireWorksでMac OS Xの美しいフォントを使おうと思うと、やはりMXシリーズでなければえらく不便である(なにしろ、AppleWorksなどで描いた文字を、絵として貼る形になってしまって、柔軟性が乏しすぎる)。DreamWeaver / FireWorksのセットを使い続けるか、GoLive Ver.6に別の画像ツールを組み合わせるか。ただし、GoLiveの生成するHTMLコードは好みでない(自分でHTMLを書ける人は、それなりの好みや考えがある)から、除外されてしまうだろう。かといって、DreamWeaverをVer.4からMXにアップグレードすると、FireWorksはマニュアルやCD-ROMのない「ダウンロード版」しか手に入れられない(そういうアップグレード・ポリシーになった)。また、他にすごくほしい画像系ツールがあるわけでもない(私はテキストを使うことが一番多いから、Adobeのツールは高すぎる)。なんか、がばっとアップグレードする気持ちになりにくい状況(Macromediaを捨てたとしても、他にすごくほしいもんがない)。ただ、そろそろMac OS X化しておいたほうが色々と不便が減るのも事実。

ずっと使っているSoftWindowsも、このままでいいと思っているわけではない。とっくに製品開発は停止されており、クラシック環境で使えるとは言え、Mac OS X上のエミュレーション環境を使うなら、VirtualPCに移行する以外ない。そのVirtualPCは、なんとマイクロソフトに買収された。Mac版の開発・販売は継続するそうだし、このこと自体が悪いことではないが、こうなるとWindows優先のエミュレーション環境になるだろう・・・そうなる前に押さえておくか。もっとも、Windowsを走らせるなら、昨今はマシンが安いからVirtualPCを改めて買うほどの動機が湧きにくい。

まぁ有料の、まともなアップグレード料金のかかるソフトウェアで、放ってあるのはこれくらいなのだが(EGBridgeなどはそう迷わずアップグレードしてもいい)、逆に言えばまだこんなにあったとも言える。いずれも決定的なモチベーションがない状態で、お金が予想よりかかっちゃうというのが、ぐずぐずしている理由だな。FireWorksのアップグレードが、パッケージ版へのアップグレードなら、ここまで迷わないかもしれないんだけどなぁ。


 

■2003/03/17■ 古事記講義、BSD Magazine

2003年に入って、雑記にしては少々長めの音楽やマックなどに関する文を、それぞれのエッセイページからもリンクするようにしました。


文學界に短期集中連載中の「古事記講義」、第4回の今回が最終回なのだが、なかなか読み終えない。なんか読書時間がぶつ切れになっていているからなんどけどね。出雲の話で、いよいよ重要地点にさしかかっていて、早く読み終えたい・・・


アスキーの「BSD Magazine」という雑誌(ムックというほうが正解か)。BSD系と呼ばれるUNIX系OSに関する雑誌なのだけど、Mac OS Xがちょくちょく記事になる。Mac OS Xは、マイクロカーネル上にBSD Systemを載せている(より正確にはMach microkernelにBSDをひっつけてしまっているのだけど、まぁ細かいことはおいといて)んで、BSDユーザから注目を少しずつ浴びているようだ。

仕事でUNIXを使い、家ではMacで遊ぶ、なんてやってたのは1990年代の技術者にちょくちょくいたけど、そういう人たちにとって格好の環境になっているということなんだろう。今号の、Mac OS Xにおけるシステム管理などは、まともな日本語の紙文献がほとんどないだけに、貴重なくらい。家で使うとき、ここまでやるかは別にしても、アップルがこういう分野にすごく力を入れてきているのがよくわかる内容。推奨。


 

■2003/03/14〜16■ 五十嵐美智子作品展、風邪

五十嵐美智子さんの個展 'Layers' を見に行く(中目黒の住宅街にあるサンアートギャラリーにて)。

和紙を漉いて、その時に色や鉄線などを交えつつ出来上がるタペストリー。作者の設計はあっても、100%の再現は出来ない。ある意味、曜変天目茶碗にも通じる、経験に基づく計算、ひらめき、偶然のすべてが盛り込まれる美。立体として明かりに応用する場合もあれば、はがきになったり、もちろん絵などのように平面作品として鑑賞するもの、様々な色と光。

抽象性が高い紋様は、抽象芸術などというほど気張らず、過不足なくまさにそれ以外あり得ない形に練り込まれて、結晶になる。仏画のような趣もあれば、飛び出してくるような立体感を持つ平面もあるし、ただそこに穏やかに佇むだけのタペストリーもある。春を帯びつつある潤んだ自然光で鑑賞していると、徐々に夕暮れが近づき、明かりの暖色がまったく違う肌理を見せてくれる。

日常の中で、しんとして、凛として、ほっとする貴重なひととき。あまりに幸せ。


週末、久々に風邪をくらったようで、ひどい症状ではないが、咽の痛みと頭痛が少し。


ところで、今年はMac OS Xに対応した「青色申告の達人」(株式会社ホロン発売)というソフトウェアを購入して処理したのだが、このソフト、どうみても不出来。一応必要なことはやってくれるからないより全然ましだけど、細かい使い勝手や整合性の詰めが甘く、商用ソフトとしてはいかがなものか。勘定科目の追加や、試算表などの資料作成のユーザーインタフェースなど、新人研修で作るような仕様といいたくなってくる。

もう一本「おたすけ!青色申告」というソフトもあるのだが、「青色申告の達人」は例外処理がおきると、このソフトの画面に切り替わってしまうのである。つまり「おたすけ!青色申告」の画面を替えて、いくらかカスタマイズした上で、FAXなどによるサポートが少し手厚いソフトらしい・・・それならそれで、ばっちり作ってくれよぅ。Mac OS X版で、こういうソフトしか出てこないのは、泣けてくるなぁ。


 

■2003/03/13■ 古本屋の前で

確定申告の追い込みをしていたら、少々大きい地震が来てびっくり。申告を無事に終え、とりあえずほっとする。


数日前に見かけた光景。

とあるサブカル系古書店(とはいってもかなりこじゃれた店である)にいると、若いカップルが店の前に歩いてきた。男の子(と呼ぶほうが似合うくらい若く見える)がすーっと店に入り、女の子は入ろうともしない。店の近くにベンチがあって、へたりこむ。バッグからブラシを出すと、ブラッシング。男の子はといえば、楽しそうに店内をチェックしている。ま、確かに映像系や文芸評論系の、ちょっと古い本を見るにはいい店だし、いかにも文化系の彼には当然だろう。

まぁよくある風景。ただ、女の子がほんとうにずっとブラッシングを続けている。背中までかかる髪に言い聞かせるように、何度も上から下へブラシを動かし、左右を替えては続ける。突き出した唇と、ゆっくりした腕の動きが、丸めた背中が膨れ上がるのを押さえている。

言いたいことはあるだろうけど、言われちゃうのかね「君が服とか見るのも付き合うからさ」とか。行く末は見届けず、店を出る。


 

■2003/03/08■ 萬来舎、一般公開

慶応義塾大学の萬来舎が一般公開される日。イサム・ノグチがホール内装や彫刻を受け持ち、設計を担当した谷内六郎とともに残した、建築と美術の両面に渡る宝物。改築にともない、一度取り壊す前に一般公開するというので、見に行った。


私が通っていた頃にはもう、この建物は一般学生の入れない研究者専用施設であり、言語文化研究所など教育を目的としない研究機関のための場であった。視野になかった学生も多かったのではないか。

私が知ったのは、はずかしながら西洋美術史の授業を通じてである。フランス革命以降、現代までを扱う授業の中で、戦後の彫刻に関してスライドをめくっていて「この彫刻、見たことあるものは手を挙げて」と言われた。ぱらぱらと手が挙がるが、圧倒的に見ていないほうが多い。途端に「君たちは何を見て、何を学んでいるのですか!」と怒られた。そして、イサム・ノグチの名が上がり(その名は私も知っていた)、それが萬来舎という建物の裏にあるという話、さらにブランクーシに学んだ彼の作歴の話などに及んでいった。

ある意味、ものの見方を強制する側面のある授業でもあり、射にかまえて聞いていた(つまり生意気盛りだったわけ、そういうことがある程度は大切であることを実感するのはむしろ20代後半になってから)が、知らないというのは悔しかった。すぐにその足でいってみた。ほとんど誰もいない建物の裏庭に、西日を受けた彫刻が佇んでいた。スライドで見せられた「無」。威圧感はなく、しかし、そこに立つだけで豊かな、極限まで切り詰められたフォルム。禅僧の描く円相のようでもあるが、下が開く円相と違い、上に向けて開くその太い線は、はるかに解放感がある。その不思議な存在感は、目の前のブツが光を浴びて空間を占める瞬間にこそ、感じられる。あたたかく、やわらかく、しかし自由で伸びやかで、凛としている。あの瞬間は、忘れられない。


ノグチ・ホールに入ったのは初めてである。木の感触と、レンガや黒壁の感触の接合感は、不思議に調和している。イサム・ノグチが醸し出す不思議な優しさって、何なのだろう。曲線を巧みに活かしつつも和洋折衷という言葉を超えてしまう魅力。コンクリートむき出しの柱は、木材をあてて木目を浮き立たせ、安藤忠男らの先取りがある。暖かな西日がさす開放的な庭をみれば、あの「無」の彫刻がこちらに手を振っている。これが1951年にあった。それはモダンだったろう。

これを、壊すのかぁ。発展的に次の建物に引き継ぐとしても、なんだかなぁ。オリジナルを残して、別のものを新たに建てたほうがよくないか? 次世代の学生達がよりよい環境で教育を受けたほうがいいのは当然だし、過去に縛りつけるのはよくないことだとは思うが、オリジナルをオリジナルとして残すという20世紀以降の潮流から外れた動きに、複雑な気持ちになった。もちろん、そういうことも検討の上での決定なのだろうと思いたいけど(そうでないから、反対運動が起きたのか)。


 

■2003/03/06■ Friends of X

内容は、電脳ページ記事に移しました。


 

■2003/03/04■ なんと!

声優、井上瑤氏の訃報。56歳。「機動戦士ガンダム」のセイラとハロ、「うる星やつら」のランなど有名役多数。セイラのような生まれを隠して連合軍に身を置く役、「うる星」でヒロインのラムのうっとうしく能天気な幼なじみ役のランをやっていけるのってすごいと思っていたし、尊敬もしていた方だが・・・若すぎる。ご冥福をお祈りいたします。


 

■2003/03/03■ 甘いティッシュ?

花粉の季節に、もらいもののティッシュ。「天然保湿のローションティッシュ」だが、これで唇の周りを拭くとき、舌先が触れた。あれれ、甘い?

箱の説明を読むと、天然グリセリンが入っているという。それはいいとして、ビタミンBとEも入っているという。なぜ?

確かに柔らかいけど、甘い味のするティッシュとは思わなんだ。


「声かけ君」のいたところには、いまだに冥福を祈りつつ食べ物をおいていく方がいらっしゃるようだ。

一方で、このあたりを時々徘徊しているが、決して人に慣れない猫もいる。ちょっとアメリカンショートヘアっぽい柄なのに、尻尾だけくりんと真ん丸の純日本風。今日、ひさびさに出会った。のこのこゆっくり歩いていて、とある店先の蹲に顔を突っ込んで、ごくごく水を飲んでいる。植木も花盛りで、なかなかいい絵。

蹲にお酒が入っていて、仙人猫がふらふらと酒を飲み、詩など吟ずるところを想像してみる・・・いや、それにはこの子はかわいらしすぎるな。


人間の好むかわいい顔の猫は、大人になっても子猫の顔に近い。眼が丸くぱっちりしていることが大きな条件、顔が小さく耳が少々大きければなお可。でも、こういう猫って、野生では弱っちいヤツではないだろうか。

一方、野良猫は土建屋風の顔のでかさがあって、押しの強いヤツがのさばる。これが猫の大人なんだろうね。

犬でも猫でも躾けるには、人間が親で、犬猫が子供、その関係が続くようにしておくのがコツ、という話を聞いたことがある。確かに犬は野生化すると徘徊を始めるけど、これを散歩にとどめておくのが飼い主だもんな。よくペットまんがで犬猫に対して「ママはね・・・」などと語りかけるコマがあるが、あれは非常に正確なんだな。

そういえば、「声かけ君」をいぢめる強いヤツが一時、いたことがある。「ドカタ君」と我が家では呼んでいたが、あのふてぶてしさ、細い目で睨む風情、あれが大人の猫なんだろう。全然かわいくないんだけど、人の餌にだけはつられちゃう。大人は大人でも、野生じゃなくて、お調子ものの中堅企業の中間管理職というところかな。いつの間にか猫だまりからいなくなった。


 

■2003/03/01■ フライング拍手

朝日新聞本日の夕刊に「フライング拍手」というタイトルのコラムが載っていた。クラシック音楽の演奏会で、余韻を味わってから終わる時に、音が途切れるやいなや拍手をする人がいる、どうにかならないものか、という趣旨。

私も嫌いである、ただ、難しいのかもしれない。


私がクラシック音楽に興味を持ち始めた頃(1970年代)は、アマチュアオーケストラも今のように盛んではなく、クラシック音楽を聴くのは教養に近い要素があった。モーツァルト、ベートーヴェン前後の音楽から始まって、ブラームスやシューマンなどを聴きつつ、ワーグナー、ブルックナーなどに親しみ、やがてマーラーのような上級者向け音楽を聴く、といったヒエラルキーを誇示する向きもあったりした(カラヤンがマーラーに取り組んだこと自体が話題になったりしたご時世である)。まだサントリーホールは影も形もなく、上野の東京文化会館、渋谷のNHKホールなどが主なコンサート会場だった。着飾って音楽を聴き、帰りにおいしいものを食べて帰る、という愉楽の時間ではなかったような印象もある。古楽器演奏など異端であり、次のメインストリームは、次の巨匠は、といった話題を、音楽評論を交えつつする空気も濃厚にあった。そういう空気の中では、LPレコードで予習をしてから(!)、コンサートを聴くようなことも当たり前。

私はこういう風潮が不思議だった。そのような空気を直接浴びずに済んだのは、アマチュア・オケに所属して、上手下手は別にしても、アンサンブルする、ということを経験してきたからかもしれない。

閑話休題。先のような聞き方で育ち、社会人になってからも月にCDやLPを数万円以上買い込んで、コンサートにも足繁く通い、音楽は理論書・解説書・評論まで読む熱心さを維持したとしよう。言ってみれば、クラシック音楽鑑賞オタク。その情熱が、聴いた感動を直接、猛烈に伝える方向に作用すればどうなるか。音楽が終わる瞬間に「待ってました!」と猛烈な拍手を鳴らす方向にいっちゃうかもしれない。血が逆流するほど興奮しちゃって、周りの空気も関係なくなってるから、もう止めようがない、という人。

オーケストラが大和音を鳴らして、間髪入れず拍手、というのが爽快な時もある、そういう時はいい。触れるか触れないかの柔らかい音で、消え入るように終わる曲。平安であっても、慟哭であっても、演奏者が空間を引き取る寸前の余韻はたっぷり楽しみたいが、突っ走り型興奮体質の人にとっては「慟哭自体に興奮している」から、延髄反射(?)で真っ先に拍手しちゃうのかもしれない(下手すると「普通は実演よりCDのほうがいいもんだが、これは実演の方がいい!」とかいって興奮しているのかもしれないけど)。朝日の記事にあった「曲を知っていることを誇示しようとしてあんなことをするのは言語道断」というのとは、たぶん、別の発想のように思える。

もしそうなら、おそらくこういう人は絶えないかもしれない・・・困るけど。そう、会場で横にいたら、困る、すっごく。そういえば、コンサートでうるさい拍手やブラボーに喧嘩を売って、客席が騒然となりかかったことが、たまーにあるけどね(私の席からはだいぶ離れていた)。

音楽のアキバ系とでもいうのか? でも、本当に感動しているのなら、要するに周りの空気が読めないだけで(つまりそれが困るわけだが)、心情自体を否定することはできんのだよな。ただ、自分が足を運んだ会場で起きたら、やっぱりいやだなぁ。どうにかならんものかとは思うけど。


ところで、歌舞伎などは逆に、花道から役者が出るとき、去るとき、浄瑠璃が続いていても拍手をする。また、合いの手の声が入る場所も、協奏曲のカデンツァのようなもので、おぉよそのタイミングが決まっているし、逆にそれが舞台を盛り上げている。あれはあれで、立派な一つの文化。

問題は、雅楽かな。雅楽で舞が入る時、入退場にも当然雅楽がつくが、実はここもすばらしい聴かせどころである。拍手は舞も演奏も終わってからだし、退出音声を歌う場合、そこでも拍手しないほうがいい(貴族の寝殿で演奏されるケースを考えれば想像がつく)。現実に大ホールでの公演などでは、舞が終わって退場が始まると、ざぁっと嵐のような拍手が起きる。このとき、笛の名手などがすばらしい音を響かせているところにかぶさると、かな〜り悲しい。歌舞伎同様に、舞人に拍手をあげたいんだろう・・・けどね、と言いたくもなる。

こういうのは、定められた作法というより不文律だし、その時の空気や感動の度合いでも変わるものだから、一律に決められない。舞台の上に立つ人々と、裏方、客席のすべてがステージだからね。難しく考えないほうが簡単なようにも思えるのだが、やっぱり慣れない音楽に対しては難しいものかなぁ。


 


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