2001年9月の猫時間通信

 

●2001.09.30(日)

講演などがあって、ちょっと間が空いてしまった。

しかし、講演というのは難しい。いろいろな人が集まり、みんながうまく満足できる話を常にできるとは限らない。まして、産業関係の話は、たとえ知っていても話せないこともあり得るし。


 

世間はMacOS X 10.1。私も軽くレポートを入れてます。ファーストインプレッション。


世間が殺伐としているが、群像の今の号に掲載されている青野聡「河の格言」。私が勝手に”南国もの”と呼んでいる連作集のようで、ぽつりぽつりと掲載される。こういう状態になることなど予測していなかっただろうに、この小説に私はひどく癒された。

とりあえず、それだけは書いておこう。


 

●2001.09.19(水)

先週の更新の後で、アメリカがテロですごいことになっていて、まぁ実際のところ、かなり驚いた。

多くの人がたくさんのことを書いている。私も、テロ行為は許せない。

近代戦争が国家間での総力戦となり、いわば相互に国民を人質にとりつつ戦いを進めるものになった。そして、その勝者が強大な力を持った場合、誰がその力を止めるか、という問題はつきまとう。グローバル化、世界が本当の資本主義になる、ということが、結局そのようなことであるならば「絶対にイヤだ!」という人々がいてもおかしくはない。
だが、それを楯にテロ行為に走ることは、愚かだ・・・ニュースを見てすぐに「そうか、このような、宣戦布告もなく、いつ突入したかどうかわからない形態の戦争が、21世紀の戦争になるのか?!」と直感したのだが、それは悲しい直感だ。

ところで、アメリカ合衆国は初めてまともな本土攻撃を受けた形になる(真珠湾攻撃は領土内であってもアメリカ大陸そのものではない、ましてやニューヨークである)。そのショックは大きいはずだ。
だが、単なる弔い合戦では悲しい。悲しいなどと言っている場合ではないのだが、しかし、このままアメリカが突っ走る状態も怖い。英語=世界語、アメリカのやり方=世界のやり方、という形態で進んだグローバル化への反撃と短絡すれば、仕掛けた側は「アメリカだけが正義じゃない」とばかりに、泥沼の戦争に突入する。ベトナム戦争がそうだったように、頭に血がのぼった状態でやることは、うまくいかないのだが・・・今度のアメリカ大統領にそういうことを考えて立ち回る賢さがあるだろうか。あればいいのだが。


 

私は高校生だった1979年、アメリカ合衆国とソビエト連邦がやっている冷戦はそう遠くないうちに終結し、穀物が慢性的に不足してきたソ連が資本主義化して、実はアメリカと仲良くなってしまう、その分、逆に、ソ連の国際的地位が落ちて、世界はアメリカ化する、そうなった時に世界はどうなるのだろうか・・・と本気で考えていた。
もちろん、誰も信じてはくれなかった。しかし、私はずっとそう考えていて、社会人になってからも共産党員(高学歴で学者などをやっていて心優しい人には、時々見受けられる)らに会うと「日本で共産党が天下をとるときは、日本が崩壊する時ですよ」と半分本気、半分冗談を言いながら、上記のことも話したりした。

だから、ベルリンの壁が崩壊した時に、これで資本主義が世界中に流れ出し、資本主義も終わる、と考えた。

が、今回のようなことを発端にするとは考えたくない・・・

ただ、ソ連がロシア共和国になった時にも、ゴルバチョフはもっとも起きてほしくない方向へと変化していった。それは事実だ。

単なる暴力的な混乱でない方向。それはどういうものだろうか。


 

●2001.09.10(月)〜11(火)

しかし、すげぇ台風だった。東京23区を直撃したのは、久々では?

10日の月曜日、もともと大人しくしているつもりだったが、用意した昼食を食べ終える頃になって「出るなら今、明日もひどい」と直感。短パンにポロシャツ、ゴムサンダルの出で立ちで近所に追加の食材を買いに出る。実は味噌汁の出汁をとれない状態だったのだ。
ずいぶんと人が出ていたが、考えてみるとまだ時々雨が強い程度だった。軽くコーヒーを飲んでいる最中に雨。小降りになったので、買い物をして帰宅する。帰宅後にまた雨(つぶがでかい!)。
今のうちにと、同居人の鉢植えを風呂場に移動。風が強くなってきたからだ。

明けて11日になり、朝のニュースを見ると、今日がクライマックスらしい。大人しくしていると、9時過ぎから本当に大雨。10時半を過ぎたころから風が本当に強くなって来て、外を見ると雨が渦を巻いているのが見える。一仕事終えて、asahi.comを見ると、トップに「台風15号、午前11時に東京23区を通過」とある。道理で。
この頃はほんとーに、すごかった。窓を開けるまでもなく、落ち葉が舞い上がっては落ちていく。ニュースの映像もすごいが、日常がこうして非日常に変わる瞬間のほうが迫力がある。
実は、また昼食を食べつつ「午後3時」と直感する。これは何?台風が過ぎ去る時刻?と思っていたら、午後1時以降断続的だった雨が、確かに3時を過ぎてから静かになってきた。外を見ると西から空が明るい。
背伸びするため、いったん外出。傘を持って出たが、もう無用だった。ついでにティッシュやトイレットペーパーを買う。

夕食時にパスタが足りないことに気付き、再びちょっと外出。夕暮れ時、紅く照り映えてきた雲の合間に、藍色を帯びてきた空が清かに奥行きを広げる。空が宮崎駿のアニメのようだ・・・そりゃ比喩になってないよ、と自分に突っ込みを入れる。


NHKのニュースに、関東各地の河川の水位状況が集まるセンターの映像が出ていた(家事をしながらだったので、詳細が聞こえなかった)。さいたま新都心にあるらしい。

ここの映像、後ろで「ごーん」という感じの音が薄く流れている。アナウンサーの背後には大きな地図があって、各ポイントの状況を赤や黄色の点で示している。さらに右に移ると、一覧表に警戒水位まであとどれくらいかがわかるようになっている(Microsoft Excelで作った一覧表だった)。
大画面の前での報道を見ていて、秘密地下基地の大コンソールを連想してしまった。そんなの、私だけ?


 


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