2001年4月の猫時間通信

 

●2001.04.20(金)

夕方、用事で人に会う。その前にやることをやる。


家にいたら、宅急便。何事かと思いきや、ATOK14 for MacOS Xの配達だった。MacOS 9のATOK14へのアップグレードの時、2000円余分に出すとMacOS X版も購入できるということだったので申し込んでいたが、こんなに速いとは。昨日、MacWireに試用記が出たばかりなのに。
夕方の用事を済ませて帰宅後、インストールするが意外に速い。というか、確実にことえりより速い。Jeditと相まって、一応徐々に入力環境が向上しつつある。でも、まだ仕事には難しいだろうなぁ。


 

●2001.04.19(木)

玄関を出た向かいに見えるアパートの1階で、猫を飼ってる。2匹。まだ大人になりきってないようで、好奇心旺盛な目をしてこちらを覗いている。とーっても美猫。目があうと、うれしい。


オーバーホールに出していた腕時計の修理が終わったという連絡を受けて、取りに行った。ちょっと金はかかったけど、ほとんど全部交換してしまって新品同様になったので、1年間保証付きだという。そういうことって、あるのか。
実は結婚直前の誕生日に、同居人からプレゼントされたものだった時計である。なんか二重に得した気分。


 

●2001.04.18(水)

一応真面目に調べものや作業をしていたのだが、気がつくとMacOS Xで遊んでいた。というのは、MacPowerを買ってきてしまったからだろーな。

メーラをARENAに変更したおかげで、MacOS Xのβ版を試用できる。一応大きな不具合は起きていないようだ。全体的な動作はMacOS 9.1のほうが速いようだが、通信の部分だけはMacOS Xのほうが速い。つまりやはり、MacOS Xのボトルネックは画面描画だと実感する。これが速ければ見違えるのに・・・


 

●2001.04.17(火)

最近カセットテープなど聞く用事などなく、壊れた再生機はすべて処分してしまったのだが、急遽必要が生じて(プレス向け発表のテープを聞く用事ができた)、安いものを買いに行く。

家電量販店を覗いてみるが、ウォークマン系の再生専用機で一番安いものが2000円台からある。それはちょっと分厚くてかさばりそうだったので、3000円台のものを購入。どちらもAIWA製である。

他もついでに少し見るが、やはり中心はMDだ。女子高生が選んでいて、どうも予備校の講義を録音したいらしい。そうか、そうくるか。そういえば、講義って録音してよかったんだっけ?よく覚えていない。
また、ラジカセなどもAIWAのものは3000円台からある。売れているのは、CD/MD/ラジオの一体型みたいだ。確かにコピーして持ち歩くには便利だろう。一人暮らしを始めたばかり、と思われる女子二人組が、なぜか2組も買い物に来ていた。
とにかく、手軽に再生できて安いもの、というのが基本らしい。まぁ私が若い頃もそうだったか・・・オープンリールテープにあこがれていたこともあったんだけどね(年が相当いってますな、私)。

うちのステレオはKENWOODのK's(初代)を使っている。それも、CDとアンプとスピーカの一番シンプルなやつ。大音量で聴けないし、手頃で適切な音質、ということで購入したが、どうもこれも市場在庫が中心のようだ。今、みんなは何で聴いているんだろう?


ついでにいうと、MP3の音質はやっぱり中途半端。本当に聴きたい時はやはりきちんとしたオーディオシステムで鳴らしたい。私はオーディオマニアではないけど、音の存在感はほしい。で、昔は専門の店に赴いたりしたけど、名曲喫茶やJazz喫茶も下火なんだよなぁ・・・ほんとに、みんなどういう音で聴いてるの?


 

●2001.04.14(月)〜16(金)

京都旅行でした。こちらのページへ。


 

●2001.04.09(月)〜13(金)

実はこの間、記録が欠落・・・

頼まれ事をやっつけたり、実家へ出かけたり、合間に今月の文芸誌からめぼしいのを選んだりして、忙しかった。そして、なぜかバタバタして自分を見失い、つまらんミス。同居人、立腹。

私の場合、どうも「自分のことを放って、人に自分を明け渡して合わせて」行動しないといけない、という妙な思いこみがあるようだ。会社員時代、この思いこみと、自分でやりたいこととの板挟みに何度も遭い、その都度調整に苦慮していた。別に自分を人に明け渡す必要などなく、きちんと交渉して必要なことを必要なだけやればいいのに、そうでない方向に持っていこうとする妙な性質があり(これは幼い頃、自分の殻に閉じこもる私を外へ向けさせるために躾られた行動と関係があるかもしれない)、それは当然必要以上のストレスを生み出す。ストレスに遭遇するたびに思いこみを修正し直すのだが・・・
これが何かの拍子に突然復活すると、たとえば家の冷蔵庫の状態も、自分が今日やろうと思っていたことも、すべてすっ飛んでしまう。そういうことがよくないから、会社を辞めて心身の整理をしながら再出発することにしたのに・・・リズムの取り方を考え直すことにする。


 

●2001.04.07(土)〜08(日)

7日は、友人宅におじゃまして小さなパーティというか、要するに飲み会。こういう形の飲み会に、以前よりも顔を出しやすくなってきたので、自分から声をかけた。ほんとうに久しぶりに、大学の1つ上に先輩にお会いする。ご無沙汰してすみません>Hさん

結構大学の先生もたいへんだという話とか、友人の書庫を見せてもらったり、私が最近契約したADSLが快適だという話をしたり。
しかし、つくづく思うのは、それまで権威があると思われていたところに所属していた人が、ほんとうに心底きちんと考えて行動していなかった、ということ。いわゆる一流企業の不祥事というやつも、同根と思われる。自分にそのままかえってくることであるが、仕事はやはり徹底して真面目にやって、という当たり前のことを日本はやらなくなっている、それが日本経済の沈滞の最大の問題。


7日、パパタラフマラの公演を見に行く。「島」。

舞台は小川摩利子と松島誠の二人のみ、オブジェさえない。途中までは音楽も入らず、二人のふれあいそうで完全にふれあわず、同期しそうで絶対に同期もしない動きが、続く。音楽が入った瞬間に、一部の観客の緊張がほどけていき、ここからきちんと見ている人と、そうでない人にまっぷたつ。

私は1997年にランドマークホール(横浜みなとみらい)で行われた舞台を見ている。この時はギュンター・グラスとのコラボレーションになり、人数も大がかりで舞台もオブジェが多数あり、最後のスライド上映とともに起きるカタストロフに向かって驀進するものであり、非常にポリフォニックな動きが強調されたものだった。
今回は、そのような豊かさがなく、むしろ削ぎ落とされた、純化された美しさを求めたもの。小川の語りかけがぞくっとする部分が多く、ちょっと怖い。現実の人と人との交換、そこは完全な同期もなく、むしろ思い起こすとぞっとすることさえある、その空気がぽんと目前に提示されて、その展開のままに作品は終わる。私には、今回のほうがおもしろかった。しかし、人によっては横浜の時のほうがよかった、というかもしれない。

と思っていたら、大学時代の友人に偶然遭遇し、彼は「横浜のほうが断然よかった」と言っていた。次に用事があるので、あまり意見の交換も起こらずに別れる。

そして、銀座へ移動して、オフ会。こちらはもう、ひどく日常の、心温まる会。
・・・まるで2日分の経験をしたような気持ちになる。


 

●2001.04.04(水)〜06(金)

5日の木曜日に仕事につながりそうな人と会う。まぁ、他の日は地味に今後の自分のために、調べものをしたり、作業などをしていた。そういう日が増えていくはず。
6日の夜は、友人宅でのパーティのために、料理などを作っていた。


4日の水曜日、たまにはと思い、新宿駅新南口側のサザンテラスにあるBravoというイタリアントラットリア(ピッツェリアに近い?)に入る。まずまずのお味であったが、お皿の選択で失敗したかも。というのは、トマトソースにエビが入って、そこにバジルが載ったパスタを選んだのだが、エビだけが分離してしまっていたからだ。どうせなら、シンプルにエビのないトマトのみで勝負すればよかった。ゆで具合は快適。

それよりも、食後にコーヒーを飲みながら、暮れてゆく新宿の空を眺められるのがよい。今のシーズンは優しい色に染まってゆっくりと時間をかけて星が現れる。


 

●2001.04.03(火)

ハローワークに赴く。いわゆる第1回認定日というやつ。指定時間より早めに到着するが、あまりの混雑に驚く・・・そういえば、説明会の時もそうだったっけ。

自分のその混雑をつくり出している一人なのは重々わかっているが、それにしてもいっぱいいる。みんないろんな事情があるんだろうと思いつつ、周囲を少し見渡す。徐々にそれにも飽きて、窓の外の桜を見たりする。
やっと自分を含む十数人の順番になる。もちろん人数が多すぎるので、ひとりずつ状況を尋ねる暇などなく、流れ作業で終える。
そして、出てくると春の陽気がそのまま多くの人を包んでいく。


春に入って、ちょっと気になっていることが一つ。

昨年の夏頃までちょくちょく話題に出ていた「きずねこくん」(よく顔に湿疹を、背中に引っ掻き傷をつくっていたのでこう呼ばれる)。毎年寒い頃になると姿を見せなくなり、暖かくなるといつのまにかいる。
それが、今年は4月に入っても姿を現さない。どうしたんだろう。

元気でいてくれればそれだけでいいのだが。と考えて、子を送りだした親って、こういう気持ちなの?!(そんなはずねえって>自分)


 

●2001.04.02(月)

健康保険の料金振り込み、その他公共料金などを払い込みする。

初めて池袋ジュンク堂4階にあるカフェに入った。気持ちいいなぁ。ここは1階が集中レジになっているので、買った本を読みたい場合は1階で買ってから、4階へ戻らないといけないが、それでも気持ちいい。
別に景色がいいわけでもないのになんでだろうと思うが、結局のところ『池袋にはゆっくり落ち着ける喫茶店が少ない』という一点に尽きる、それだけだ。


MacOS XにDeveloper Toolsをインストールする。あっさりインストールできた。
昔書いたUNIXのコマンドラインで使うプログラムをちょっとコンパイルしてみる。あっさり動く。

頭ではわかっているが、すごく不思議な気分だ。MacとUNIXがうまい具合に融合したら楽しいだろうなと、1990年頃に思っていたことがある。それがほとんど目の前で実現しかけている・・・


 

●2001.04.01(日)

映画「人狼」を見てきた。所沢文化センターが日本映画特集をやっており、しかも監督を実際に呼ぶ、という企画。1日に3本を上映・およびトークショーとする。このうち、「人狼」の回だけを見てきた。

実は、「人狼」については、あれほど評判の高いアニメーションであるにも関わらず、見ていなかった。その最大の理由は、2年前にやった自律神経失調症のため。眼精疲労がひどくなると、時々クラクラする。これが、映画の素早いパンなどで「くる」ために、映画を、特に映画館で見る本格的な映画を避けてきた。だから、久方ぶりにまともな映画を、たっぷりと見た。

映画はすばらしかった。冒頭の「別世界の戦後」を描いていく時に、爆発や煙りの動きのリアルさがすごい。単にアニメーションとしてすごいというのではない。アニメでよくある「爆発という記号」を描かず、リアルな動きを追求するのは、新世代の監督としては当たり前だろう。それ以上に、その冷たい動きが表現になっている。何の?そう、とにかくこの映画に頻繁に出てくる、ぞっとする表現の呼び水になっているのだ。
そして、人物は表情ではなく、全身で演技を設計していく。これも高畑・宮崎アニメなどが切り開いてきたのとは少しずれた方向。フランス人は「能面のような」と表現したそうだが、もっとアクティブなものだ。あえて表情ではなく、身体を使った演技にする、それは従来のアニメーションの限界を突破するための技法として、意識的に選び取られているはずだ。
見てない人もいるかもしれないので、以下、見た人向け。内容に触れます。

リアルなテロ弾圧シーンの展開を追いつつ、地下で組織つぶしの作戦遂行に失敗する特務機関の青年が主人公であることがわかる。獣になりきれない男は、訓練所再送となる。そこで絡んでくる人物達が、いかにもあやしいやりとりと駆け引きを漂わせる。
話自体は言ってしまえば昔からあるスパイものと見てしまう人だっているだろう。が、リアルな絵をもとに、 地下水路(もちろん下水だ)の世界=獣の世界と、地上の世界=人間の世界が描き出され、その象徴に「赤ずきんちゃん」が使われる。獣になりきれないと周囲から目された主人公は結局、地下と地上の接点で、獣になり、味方のふりをして陥れようとした者を殺す。そして、実は助けたい情を持つ女性を・・・人間に戻ってから殺すよう命じられる。
積み上げた世界がリアルだからこそ、そして、その中で狂うことを要請されつつ狂えない男が主人公だからこそ、怖い。絵の説得力が、話の重層構造とともに量感ある見応えを生み出す。

久々に見た映画がよい映画で、とてもうれしかった。


ところで、トークショーはあまり面白くなかった。企画者の「ぴあ」の方があれこれ聞くのだが、アニメに詳しくないという点からやや大人しい質問に始終していた。でもまぁ、それはいい。そんなことよりも、会場からの質問のつまらなさのほうが大きい!
押井守がどんな人かなんて、どーでもいいじゃないか!ましてや好きな映画について、なんで似たような質問をくり返す?ストーリーが云々というのも、自分でもう一度DVDを見ろよ。
それにしても 、頻繁に手が挙がるな・・・結局、自分が質問をし損ねてしまった。

事前にアンケートをとったほうがよかったのではないかとさえ思ってしまった。


 


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