2000年06月の猫時間通信


●2000.06.30 -- フラフラでもハッピー

仕事を休んで用事ややることを済ませるにしても、土日を完全にあけるためにも、がんばって金曜日にやろうとすると、えらい騒ぎである。結局、昼食はカロリーメイトとほうじ茶。我ながら何をやってるんでしょうか?>自分


しかし、暑い1日でしたね。でも、クーラーをつけなかったら、けっこう肩凝りなどには楽だった。やはり冷房はかなり身体を痛めている?・・・もう歳ですな。ふっ。

夕方、郵便局を出てすべてを用事を終え、ほっとして歩くと、空もきれいで風が吹いてきて、なんともいい気分だった。会社で自分の意志とは関係ないところに巻き込まれていくような時間と違い、自分が心底必要とすることを、きちんと意志と計画を立てて遂行していく、というのは久々。えらく濃密な時間であった。

ちなみに、さすがに夕方にはエネルギー切れで、珈琲館でサンドイッチとコーヒー。気持ちのよい夕暮れでした。いい月末だった。


●2000.06.29 -- 神保町

久しぶりに会社を休む。いやー、ものすごい開放感・解放感。とも言ってられない、私用を済ませるためにわざわざ休んだのだから。

でも、ついでに神保町に寄る。雨が降らないでよかった。ゆっくり本屋を見ることはできないが、この街が私が小学生の頃、祖父や父に連れられて以来の付き合いだ。喫茶店、カレー屋、ラーメン屋、洋食、天丼、天麩羅、なんというか、ここで食べることも多かったなぁ。本を買う。食べる。本を選ぶ。お茶を飲む。本を買う。お茶を飲む。

我ながら、なんつー金の遣い方だ・・・


PowerBook G3を連れて歩くのだが、バッテリーが5時間もつのは心底ありがたい。毎日この重さでは困るが、たまにだとむしろ家にいる環境をそのまま連れだせるほうがいい。


●2000.06.28 -- ???

???


???


●2000.06.27 -- 猫のいる風景・二題

朝、ゴミを持って収集場所に向うと、途中にきずねこくんが寝ている。昨日の涼しさが残るアスファルトに、日があたってきて、そこにヘチャーと寝そべる。気持ちよさそうだなー。そばを通るのに気付かない。
ゴミを置いて戻ってくると、「はっ」と起きて、自分の腕をなめ始めた。

きずねこくんは、とあるおうちの「外猫」だ。外猫とは、庭にいることは許されていて、餌などもらえるし、安心して居眠りできるけど、うちには入れてもらえない。
ある日、家のふすまが開いていて、きもちよい灯りがもれている縁側に座って、家の中をのぞいていた。後ろ姿がまさしく猫背。哀愁だ。


新宿駅南口の高速バス乗り場が、今のようにきれいになる前。野良猫が、開いているドアの外から、屋内をのぞいている。入り口にストーブが空気をゆらめかせている。「あったかそうだな、人がいるな、こわいな、でもいいな、どうしような〜」としっぽが立っている。首を伸ばしては縮めて様子をうかがう。

人がふっと動き、しばらくすると、ぼろい自動ドアがガーッと音を立てて閉まった。驚いてとびのいた後、その子は「ちぇー」と、首に余韻を残しながらドアを離れた。


●2000.06.26 -- GLOSSA、選挙

同居人が週末にCDをたくさん買い込んだのだが、そのうちのいくつかが私のよく聞く古楽、GLOSSAレーベルのものだった。ブリュッヘン/18世紀オーケストラの録音(メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」など)や、エキゾチックな歌など。音が自然で素敵だ、このレーベルは。

ハーツェルツェットの吹くトラヴェルソによる、バッハの無伴奏チェロ組曲(編曲版)もなかなかいいCDだった。同じ彼の吹くフランス作曲家のデュオ集を、買ってこようかな。


結局、与党が過半数を獲得した選挙結果。新聞は「自民後退、民主躍進」とある。嘘ではない。でも、与党は結局過半数を失わなかった。つまり、みんなは今のままでいい(あるいは、いい候補者がいないから、仕方ないから今のままいくしかない)ということだ・・・


●2000.06.25 -- アフタヌーン

相変わらず涼しい。というより、寒い。


アフタヌーン、最近は少し薄めで落ち着いた模様。「ヨコハマ買い出し紀行」は講談社漫画賞を取り損ねたそうな。「バガボンド」の受賞はまぁ納得するとして、この作品、漫画賞ってガラかな。のんびりしているけど、ちょっと諦めててちょっと寂しくて、そんな中にも暖かさがある終末(週末の間違いではない)の風景。こういう佳作系の作品は、受賞よりも確かなファンがつくだけでじゅうぶんとは思うが。

あ、でも。わかつきめぐみの「So What?」は(だいぶ昔の話だな、おい)星雲賞を受賞しているしな。連載の終了間際になんかめでたいことがあるかもしれない。がんばれ。

でも、ここ最近、アフタヌーンは少し低調かな。


選挙である。意外に投票率が高そうに思えたら、そうでもないらしい。どうなることやら。選挙速報を聞きながら、ちょっと暗い気持ちになっている。雨はとりあえず上がったんだけど。


●2000.06.24 -- オヤジとおそろい

昨日のダメージが少し残っているが、だいぶ気分がよくなった。昼間まで寝ていたせいか。雨なので、洗濯はせず。


PowerBookを連れて、近くの喫茶店に行く。コーヒーはまずいけど、広くて、パソコン持っても目立たない店。気分を変えて小一時間ほど楽しんだ後、鞄にしまってからトイレに立つ。すると、でかいパソコンを広げている禿げたオヤジを発見。

でっかい白いリンゴのマーク。

なんてこったい。同じ(とはいえ相手は昨年のモデルかもしれないが)パソコンとは。席が離れているからお互いに気付かないけど、気付いてしまうとなんだかヤな気分。街で同じ服装を着ている人を見かけたのと、同じ?
でも、イカす(死語)オヤジとも言えるのか?

自分も含めて、今時マックにこだわるヤツって、やっぱりちょっとどうかしている。本来文章を書いて通信をする日常の道具にするものなのだから、安くて丈夫なものが一番のはず。じゃ、モンブランの万年筆のようによいのか。私はそう感じるけど、そこまで絶対的な力に満ちあふれているわけでもなかろう。
パソコンに蘊蓄を語ってしまうのって、今はもうオヤジなんだと思う。うぅ。(涙)

帰りに近所の本屋でアフタヌーン(月刊マンガ雑誌)を買って帰る。


体調回復を考えて、あえて近所のビストロで夕食。ここはお腹にもたれずにとても消化のよい、しかもおいしいものを出してくれる。作り置きがない。おいしい生ハム、脂ののったサーモンの香草漬け。香辛料を塗ったチキンのオーブン焼きを添えた、たっぷりのサラダ。複雑な味わいのカボチャのスープ。そして、ハチノス(牛の胃袋)と牛蒡の煮込み。デザートとコーヒー。するするとあっという間に食べてしまう。ごちそうさまでした。生き返りました。

しかし、こういうお店がなかったら食生活がやばい、という生活自体がやばいんだよな、ほんとは。(でも、私の今いる会社、そんな人ばっかりなんですけど。)


●2000.06.23 -- 青木光恵の新刊

朝、あまりの寒さに目を覚ます。そういえば、風呂に入ってから「あとで布団をかけよう」と思いつつ寝転んで、そのままだった。隣の同居人はしっかり布団をかぶって寝ている。むーん。

布団をかぶって寝直そうと思うが、もうそんな時刻ではない。しぶしぶ起きる。頭痛もするけど、吐き気がある。お腹を冷やしたからだ。一応朝食を軽く用意するが、これはだめだ。食えない。太田胃酸を飲んで、とりあえずしのぐが、会社へ出る準備にのろのろといつも以上にかかる。

昼食は釜上げうどん。


湿っぽい中、早めに会社を切り上げてマッサージへ急ぐ。60分のマッサージ。肩よりも腰と脚だ。腰は自覚症状があったけど、脚もすごかった。これは動いていない証拠だ。

歩きたい。歩きたいけど、今の仕事は歩く時間を作ることに一苦労する。だって、ほとんど一日中仕事だけをしている。

それはそれとして。マッサージの最中のほぼ意識が途切れ・・・気がつくとよだれをちょっとだけたらして眠りかけていた。終わってから「腰はよくないですよ、ほんとに。ぎっくり腰になる前に、近い内にもう一度来て下さいね」。

私も、しょっちゅう来ることができるなら、来ています、はい。


帰りに青木光恵の新刊。「続・となりの芝生」。パソコンを巡るショート・ストーリー。最初が面白かったので期待して買ったら、これはちょっと期待外れ。

二番煎じがよくないのではない。今回は人間観察がちょっと雑な印象を受ける。あるいはモデルがいなくなった分、創作の余地が増えて作者は楽しめたのか。でも、こういう甘い話より、もっと辛口に踏み込んでもいいと思うのだが。

あ、女の子ネタでないから、燃えないんだな、きっと。


●2000.06.22 -- Sherlock

早く帰ろうと思ったのになぁ。全然早く帰れない。

仕方ないので、明日のマッサージの予約を入れた。これは最終兵器。でも、冗談じゃなくて腰痛一歩手前の状態。


木曜日はモーニングとヤングサンデーの発売日ということを、もうマンガ雑誌をあまり買わなくなってからも思い出す。永年の習慣とはおそろしいものだ。ちなみに、ビッグコミックスピリッツにいたってはまったく読んでいない。今はどうなっているかさえ知らないのだが、面白い連載、あるのだろうか。


PowerBook G3 / 400 は MacOS 9.0.4 だから、当然Sherlock 2がついている。このインターネット検索って時々使うけど、私はファイルの内容での検索をまだ試したことがない。いちいち索引を作りにいくのがうざったくて、使っていない。寝ている間に索引ファイルを作ってもらうようにすればいいではないか、とは思う。でも、寝ている間に勝手にマシンが起動しているのって、なんかイヤだ。

アナクロな人間と読んでくださってもいいです。そういえば、MIDI音源を前にしても、シーケンサーではなく、ウィンドシンセでアナログにコントロールする私。


●2000.06.21 -- ???

情けねぇ、何をしてたんだか、思い出せねぇ。


●2000.06.20 -- ピエール・ルイス

またまた、晴れ。夜は空気が涼しくなって気持ちいい。


帰り道、自宅の近くで猫に会う。しょっちゅう顔に傷を作っているので「きずねこくん」と呼んでいる子だ。もっとも、傷というよりは皮膚病のようなのだが。カンジタかな。

座っているので「やぁ」と声をかけると「にゃ」と返事。
「どしたの?」と尋ねると「みゃ〜」と返事。
何を言っているのかは結局わからん。猫は実は意味を持った音を発するのではなく、思わず知らず声が出てしまうというのが正確な発声行動らしい。ま、ちょっと和ませてもらったので、よしとしよう。


ところで、「すばる」に掲載されている沓掛良彦「ピエール・ルイスと三人の芸術家達」は結構面白く読ませてもらっている(まだ読了していない)。ちょっと繰り返しのパターンがくどく、古典学者が、自分の文体を破って一般文章寄りに書いてみたって雰囲気が裏目に出ているように思う。しかし、内容はそのようなことに損なわれていないようだ。

私も「ビリティスの歌」さえ知らないクチだ。文学史の本で名前は知っていたが、作品自体はまともに読んだことがなく、まぁサロメやドビュッシーに関わっていたことを知っていた程度だ。思い込みを覆すのは、難しい。


●2000.06.19 -- (苦笑)

また晴れている。空気が乾いてきて、気持ちいい。屋内で仕事している場合ぢゃないよなぁ。


そういえば今頃って、去年は休職から復職に切り替わった時期だった。そんで、しばらくして転職して、今はもっと忙しくなった。

忙しいのに耐えられること自体は悪いことじゃない。でも、なんでこんなに極端になるんだろうな・・・いや、ボヤいているだけです。(苦笑)

とりあえず、昨年診ていただいた先生に、手紙でも出そう。


●2000.06.18 -- PowerBook G3の持ち歩き

晴れた!洗濯である!!


昨日買ったMacPowerを眺める。表紙が私の持っているPowerBookを、お尻から眺めたところ。

MacOS Xの話題とともに、データのバックアップに関する特集がある。最近急激にハードディスクの容量が上がってきたために、こういう特集を組んだのだろうが(そして、MacOS Xに入る前に、大規模なバックアップが必要だろうが)、逆に今までこういう徹底特集をあまり組んでこなかったのが、むしろ不思議なくらい。


ところで、PowerBook G3、総重量2.8kg(DVD-ROMを抜けば2.6kg)は、持ち歩くとやはりずしりと重い・・・こりは新しい鞄が必要だぁ。

それはそれとして、持って歩く場合、大きさも半端じゃない。ルノアールとか、シャノアールとか、広くてでかい店を選んで入らないと、異様に目立つのではないだろうか。そういうお店以外で広げたことは、まだない。静かでコーヒーのおいしい、落ち着いた喫茶店で広げる勇気はないね。(というより場違いなんだが。)

でも、外で歩いていて「あっ!」と思う瞬間もあるわけで、ちょっと外で使えるといいと思うのは私だけではないと思うのだが。

何度も書いているけど、パソコンは私にとってはノート代わりなので、目立たずに使いたいのだが・・・


●2000.06.17 -- 心をむなしくしてみる

ほぼ1日、雨。寒い。はなから洗濯を諦める。
会社にも行かず、近所で私用を足して、あとはひたすら自分のための作業・学習・勉強。晴耕雨読だ。(晴れたらまず洗濯だが。)


最近、あまりCDを買っていないせいか、新鮮な音楽が家にない。もちろん借りてくれば済むのだが、私が真剣に聞きたい音楽って、どうも借りてくることができる範囲にはない場合が多く、また借りた以上は期限までに聞かなければならず、その不自由さにいらだったりする。我ながら損な性分だ。

また、クラシック音楽で、ながら鑑賞のできないものを買っちまった日など、他のことはできなくなり、数時間は簡単につぶれてしまう。それは本来は幸せなことなのだが、あまりに時間がないと気を取られて楽しみにくくなる。


雑誌「群像」に、村上龍と村上春樹についての対談がある(対談は川村湊と大杉重男)。どうかなと思いつつ読んでいたのだが、つまんなかった。80年代、批評や評論はまだ面白かったが、最近は何を読んでもつまらない。これは批評をしている人間の属性の問題ではなく、確かにこの対談にあるように、現在の文学と呼応する批評の在り方の問題なのだろうが、そこで若手と中堅の二人が嘆いてボヤいてて、どうなるのだろうか。テレビ討論じゃないんだから。

単行本をまとめて読むゆとりがあまりに少なく、雑誌に載る短編や中編を読む。そのために、三島賞を取った星野智幸の作品などは事前に「新潮」で読めたりしてよいのだが(それにしても、私はこの作品を島田雅彦がいうほどいいとは思えなかったのだが)、ロスも非常に多い。読み終わって「あ〜あ」もたくさんある。
もっとも、豊かな読書とは、そういう部分も含めた濫読にこそあって、書評で傑作らしきもののアタリをつけて効率良く読むのは、読書の醍醐味とは違うのは確かなのだが・・・こうも時間がないと、それも言っていられなくなってきている。

それに、読書だけが趣味というわけでもない。仕事も趣味も欲張り過ぎ、と言われたことがある。確かに何かにフォーカスを当てることは、30代になると大切だとは思う。しかし、ほんとにそうか?全員がそんな人生でいいのか?!
俺はイヤだぞ。人それぞれは、守りたいぞ。


●2000.06.16 -- 夜中の食事

じめじめした1日。降ったり止んだり。一日中オフィスにいると、こういうこと自体に気付きにくいが。


夜は会社の宴会。新人歓迎で、焼肉屋。18人で10万円以上食う。25%引きのカードがあるので、7万5千円程度だが、それにしても・・・我らは欠食児童か?


同居人が岡野玲子の「陰陽師」を、出版されている全巻分揃えていて、時々読む。やっぱりこれは、面白い。原作の夢枕獏の小説より、面白い。こういうことって、非常に珍しい。「ファンシー・ダンス」も面白かったけど、これは何度読んでも希代の傑作だ。


●2000.06.15 -- 夜中の食事

急に暑くなった。


仕事で丸一日喋り続け(セミナーの講師)、夜になってオフィスに戻ると、メールが250通以上溜まっていた。急いで読んでもだいたい1時間半はかかる。やっと読み終わったのだが、返事を書かねばならないものもいくらかあり、その上に指示を出したり問い合わせをしたり、留守中に起きた問題点の解決に話し合いをしたりして、結局真夜中まで仕事をする。

いつものペースで忙しいのならまだしも、ずっと喋り続けてさらに夜中というのは、ちょっとこたえる。泥のように眠る。


夜においしいものを、少しだけ食べられるお店って、ないものだろうか。純粋な居酒屋/飲み屋の類いではなくて。

極度に忙しい時、夕食さえとらずに(しかもろくな昼食もとらずに)働くことがある。そういう時に、ちょっと真夜中においしいものを、少しとることができる店があると、すごくありがたい。
まともな食事の店は夜の9時〜10時半くらいには店を閉める。まぁ、仕込みをして午後6時くらいに開店すると、だいたいそうなるもんだ。その一方で、夜中の食事は、みんなどうしているんだろう?ファミリーレストランは、いくら24時間営業でも寂しすぎる内容だ。

え、自分で作れ?
そりゃ、正論です。でも、12時間ほとんど休まず働いて(しかも仕事の密度はあまり落とさないで、だ)、ふらふらに近い状況の時に、飯を作る気力は湧かない。

そう考えると、昔の家族総出で働いた農民達はすごかったんだなぁ。生活の基礎体力が落ちまくってますね、今のサラリーマンは。


●2000.06.14 -- 気力が萎えたので雑感

今日は夕方に雨があがってきた。明日は少し天気がよくなるだろうか。ちょっと期待してしまおう。


久々に早く最寄り駅に降りた。昨日行き損ねた、パスタのおいしいカフェに再度。今日はいつも通りで入れた。仕事のせいか、単なる風邪なのか、やや気持ち悪い。ペンネの量を少なめにお願いして、コーヒーではなく紅茶を飲んだ。おいしいのだが、この体調ゆえ少し味わいが薄い。残念。

一昨日より仕事でセミナーに関係している(明日は講師をやる。それで一応おしまい)。ふだん人に大量に接する仕事をしていないせいか、やや疲れている。いや、たぶん、受講者と違い、ほとんど水分を摂取する機会がないからだろう。水分がないと、疲れる。


韓国と北朝鮮の対話が進展しているようで、午後9時半頃にasahi.comを見たら、今日の午後9時に調印予定として、対話と南北統一が盛り込まれるそうだ。昨日の対話も大ニュースだが、ここまで動いたことのほうがもっとニュースだろう。

アジアも変わりはじめた。日本は選挙だ。この選挙は大切だろうね。


帰り道、雨があがって、道が少し乾きはじめる。こういうときって、猫が出てくるよな、と思っていたら、白黒のちびすけがちょろちょろ。こっちが買い物袋を下げているので、じーっと見ている。きっと、餌をやる人がいるのでしょうね。

ばいばいと声をかけて、ちびすけと別れる。思い返すと、ちびすけはもう半年以上たっているのでは?ほんとにちびのままだなぁ。


●2000.06.13 -- 懐かしいメロディ

ほんとに雨だ。帰り、時々寄るパスタのおいしいカフェに赴くと、ビールのキャンペーン中でバドガールみたいなおねえさん方がなんかやっていて、店は大混雑。回れ右すると、中のおねえさんに声をかけられる。一応振り向いて店内をのぞくが、空き椅子がないので、やはり止めにした。
ちぇっ。


懐かしいメロディって、なんだろう。ふつう、カラオケにいって懐かしいメロディを歌うって、どんなんだろう。

私は高校時代から社会人の若い頃に、いわゆる西洋のクラシック音楽に関係することが多かった。もちろん、耳にするメロディはあったし、それを同じ世代の人々と聞くと、あぁ、あんなんあったね、とは思う。でも、私が猛烈に懐かしさを感じるのは、高校や大学にかけて一生懸命練習したり、憧れたりした曲だ。
古いLPがまとまってCDで復刻されるものは多いが、1950〜60年代の録音を集めたテレフンケンの古楽のCDなどは、自分が昔憧れた音楽として、身体の中の色が変わるくらい懐かしい。今聞けば、当時のアーノンクールやブリュッヘンやレオンハルトらの演奏は、お世辞にも演奏技術が高いとは言えない。でも、この頃は、まさに「古楽復興」(当時はオリジナル楽器の演奏とか、時代楽器−−period instruments−−などと言われた)の青春時代であり、それをついだ70年代から80年代にかけての時代の空気(今より日本はずっと元気だった)と、自分の若い時間を思い出して、恥ずかしくなってもくる。いや、古楽が恥ずかしいのではもちろんなく、自分のしでかした数々の馬鹿げた行為を恥ずかしく思い出すだけだ。

テレマンやバッハを浴びるほど練習したあの頃。それを共有する人は、今は身近にはほとんどいない。しかし、当時憧れた録音の数々を耳にすると、自分が愛おしまなかった時間と空間の数々が思い出される。自分のしでかしたつまらないことの数々が湧き出る。

懐かしい。しかし、恥ずかしくて人に話す気になど到底なれない。私にとっての懐かしさとは、そんなものだ。


●2000.06.12 -- 雨

雨だ。雨だよ〜ん。しかも、週のしょっぱなから遅い帰宅。疲れた。


ところで、今年は雨が降るとそこそこ寒いです、東京は。

こういう梅雨は、紫陽花がたっぷり咲いて、長袖シャツを着ながらも、夕暮れを惜しんで長居する日に、そわそわした気分になりたいものです。ネオンが灯っても、すっかり暮れるまではだいぶ間があり、間抜けな空の明るさにのほほんとしたいものです。

しとしと降る雨に、身体まで紫陽花の青や紫に染めあげられて、気がつくと夕焼けが火照りを鎮めていく、その長い余韻がほしいものです。

夕暮れも見えない今の暮らしが、夕食も食べない今の暮らしが、自分を内部から蝕む音がするように、雨がしとどに降ります。


●2000.06.11 -- 梅雨入り

新しいマックの快適さや、プリンタドライバとの不具合などを、まとめたいが、時間がない・・・私のところは沖データのMicroline 12nという10Base-T接続でプリントサーバを内蔵したプリンタなのだが、これがMacOS8.6〜9.0.4まで動作すると言いつつ、どうも以前のバージョン(Ver.1.01)より今のバージョン(Ver.2.10)のほうが不安定に思える。なんでだろ?

問題が起きるのはたいてい、縦書きをした後のようだ。もうちょっと現象をまとめたい。


関東の梅雨入りは本物のようで、気温が下がり、湿度が高く、雨が降り続く。しかし、一時雨が止んだ今日の夕方(というより午後7時頃だから夜)は雲に紅い光が映えて美しかった。もっとも、こういう日の翌日はたいてい雨だ。

雨の日なんか、野良猫達はどうしているんだろ、と思いつつ歩いていると、近所のちびすけがぴゅーっと走っていく。見ると、スクーターのサドルの下(むしろ足場の下というべきか。正確にはなんていうの?)にうずくまっている。隠れているつもり?
そういえば、よく自転車のサドル(ペダル)の下に、隠れるでもなく、居眠りしている様子を見かける。安心するようだ。なんで?

ちなみに、今月のSINRAを立ち読みしていたら、「ニッポンの猫」は京都篇。いや、黒い子がかわいいわ。こういう「いかにも」という写真は悔しいから買わない。(なんやそれ)


●2000.06.01〜10 -- いろいろ

やはり、新しいマックを楽しんだり、試したり・・・本を読んだり・・・(^_^;

いつの間にか6月も半ばに・・・(^_^;;


ラマチャンドラン博士の「脳の中の幽霊」を読了。面白かった。この手の話は、大学で専攻した中にも登場したが、ラマチャンドランの場合は上手に科学的な事実の積み上げと、想像力による拡張が織り交ぜてある。ここが類書と違うところで、特に最近よくいる「脳でここまでわかる!」という人にも、「脳ごときで人間のことがわかるわけない!」という人にも、読んでもらいたい本になる。


6月、会社で新人が入ってきた。私の職場はいわゆる新卒は採らない。しかし、中途採用とは言っても、この仕事を初めて経験する人を採った場合は、実質新卒採用と同じである。教育にかかるコストが新人より低い(社会的な常識などは会社で仕込む必要はない)としても、その業界での知識や慣習を仕込むコストはかかる。
しかも、自分の預かり知らぬところで採用された新人を、いきなり「新人一人、あんたのとこ向きだから面倒見てね」といわれ、受け入れてから考えるのは・・・成長途上の会社とは、難しいもんである。



猫時間ホームへ戻る