洛東:比叡山・概略

 

東山三十六峰最大の霊峰

京都に到着して駅周辺の高い建物群から離脱すると、碁盤目状の道を進みながら、東西に山が連なる様が目に入ります。とりわけ東山は北へ向けて龍がうねるように昇っていく稜線が見事。その稜線が一番高みに向かう大きな曲線、それが比叡山。京都駅や洛中(四条河原町界隈や二条城近くなど)からはバスで約1時間ほどかかります。

平安京遷都に伴って、乾の方角を守護する。その任を、下鴨神社と比叡山が二重に守る。東北−西南のラインに鬼門を見て守りを重視することは、中国の地理風水ではほとんどお目にかからず、日本の方位術系らしき発想と言われています。いずれにせよ大きな奈良の平城京を抜け出してまで遷都した(しかもその前の遷都では失敗している)からには、万全を期する必要があったのでしょう。比叡山に草庵を結んで修業し、若く純粋で勢いのあった最澄は、桓武天皇からの信任をうけて、遣唐使として唐に渡りました。天台宗本山の教えと、当時唐で流行していた密教を持ち帰り、新しく清潔な仏教の理想郷とすべく尽力しました。それが比叡山延暦寺をして、日本最大の仏教センターたらしめました。

一方の空海は、最澄のようなエリートとしての渡航ではなく、しかも帰還予定日を満了する前に帰国したにもかかわらず、戻って間もなく貴族から民衆に至るまでの崇敬を集めています。真言密教の奥義を授けられた空海は、むしろ天皇や貴族が必要とする法力を身に付けていたとみられたからでしょう。最澄は加持祈祷より大切と考えていた、大乗仏教の理念に沿った大乗戒壇の勅許を急いでいました。仏法が王法の許可を得る必要のあった当時、僧侶に授ける戒は南都仏教の小乗戒のみ。新しい戒の勅許がおりぬまま最澄は入滅します。念願の勅許は最澄入滅の初七日、死後の弟子に対して。遣唐使として大陸に渡る際には思いもよらなかったことかもしれません。しかし、空海が超越的な天才として崇められたまま入寂、高野山金剛峰寺はその後の仏教界に大きな改革の波を起こす方向に行かなかったのと対照的に、無念を抱えて入滅した最澄の比叡山延暦寺は総合仏教大学として大発展し、鎌倉新仏教の担い手も一度はここに学んでいます(もちろん、延暦寺の腐敗と矛盾を解決すべく新仏教となったわけです)。一方、僧兵を抱え、論だけでなく実力行使も出来る腕力を持っていた延暦寺は、たびたび政争にも加わり、織田信長の逆鱗に触れて焼尽に帰してもいます。現在の再建は江戸初期のもの、しかし宗教権力は上野東叡山に移り、明治維新の排仏毀釈を経て、再び総本山としての地位が戻っています。支配と被支配、大乗の理想と加持祈祷の現実、対立と融和、救いと絶望、様々な概念と行動を飲み込んだ山が、今もお堂とともにあります。

その比叡山、バスで登ればわかりますが、距離がそう遠いわけでもないのに、意外なくらい山深く、距離が遠い大原よりはるかに厳しい印象。琵琶湖側、つまり大津のほうから登れば距離は短く傾斜がきつい、また京都側からは深い林とうねる山道をようよう登ってやっと、到達します。人は車より身軽とはいえ、決して楽な登攀ではありません。そう、大津側からと書きましたが、実は琵琶湖湖畔の人々の鎮守として、日吉神社が出来たのは平安京より以前。そして、平安京遷都から程なく、そこからはるかに登ったところを選んで延暦寺は建てられ、日吉神社は延暦寺と習合しています。

東山の中でも一頭地抜きん出て、美しい稜線を誇り、緑豊かで生物も多い比叡山は、延暦寺以前から霊峰として崇められた存在だったのでしょう。

延暦寺を廻る

京都市内からバスに乗り、自動車道に入ると一転、東側に視界が開けます。琵琶湖が見えます。この瞬間、乗っている人の多くが思わず歓声をあげます。しばらく快適な(車に酔いやすい人は山道の揺れに注意)ドライブが続き、ロテル・ド比叡(旧比叡山国際ホテル)から少し乗れば、比叡山バスセンターという停留所へ。ここが延暦寺根本中堂の入り口となります。路線図を見ればすぐにわかりますが、延暦寺は山頂にはありません。そして、根本中堂を中心に、尾根伝いの道の合間の開けた土地にお堂が点在し、その全体が延暦寺です。

大型バスターミナルと休憩所のある比叡山バスセンター背後に、延暦寺の受付があります。根本中道のあるここ東塔地区は、延暦寺の中枢にあたります。入ってすぐの宝物館、ゆるりと上がって金堂に歴代祖師が祀られ、そこから下ると根本中堂。山の中腹に、太い柱を長く連ねたお堂が据えられています。坂が多いですが、ベンチや休憩所もあり、ゆっくり見ることが出来ます。

実はここからさらに、西塔地区へ歩いて行けます。東塔の最後に大乗戒壇院を見てから、その脇に西塔への道の看板を見て歩き始めれば、自動車道を眼下に橋を渡り、驚くほど高い杉木立の海底をどんどん下って行きます。底にたどり着けば急に日が射し、そこに静かなお堂が息を潜めるようにあります。この浄土院は伝教大師最澄の御廟があり、今も限られた僧侶が仕える場であると記されています。三つの地域を歩いた限りですが、泉より清水が溢れるごとく、全山でももっとも清浄な気が溢れる印象を残すところです。さらに山道を歩くと、にない堂、釈迦堂が連なる境内に至ります。東塔地区の開けた印象とは正反対の場です。近くにいくつか小さなお堂を回るコースもあります。

ここから歩いて横川(よかわ)地区へ行くことも出来ますが、おおよそ40〜50分。相当に山深く、けもの道らしきところも多く、山に慣れていない場合はお勧めいたしかねます。また、先に触れた西塔に至る道も山深く、女性の独り歩きは危険であると看板が出ています。山歩きなりの準備をして、数名のグループで歩くほうがよいかもしれません。

なお、横川へはバスを利用するのが得策です。横川で降りると受付があります。入山してすぐの弁天池、中心部となる横川中道、そしてここにゆかりの深い慈恵大師円仁(天台宗の地位向上に大いに力を振るい、法力でも有名で、おみくじ考案と伝えられる)を記念する元三大師堂などがあります。別料金となりますが、こちらの静かな佇まいも一度目にしておきたいです。静かであるゆえに、人もそう多くなく、東塔地区より山猿に出会う確率も高いです。猿は意外に力が強くすばしっこい生き物です、むやみに視線を合わせたり騒いだりせず、冷静に通り過ぎるのがよいようです(中学生グループが猿と威嚇しあいになり、通りかかった僧侶が猿を追い払ってから、学生を叱っているのを見たことが一度だけあります)。

ここからはバスで山頂へ遊びに行くか、そのまま京都市内へ戻るとよいでしょう。なお、坂本ケーブルで滋賀県側に、ケーブルカーとロープウェイで京都は八瀬遊園に降りることができます。東塔だけを見て終えるなら、まだ半日は残っています。日吉大社へ赴く、あるいは八瀬遊園から少し市内寄りにある蓮華寺に寄ってみるのもいいかもしれません。

観光地ではないように思う

訪れてみればわかりますが、そう何度も行きたいと思う方は少ないかもしれません。山の空気や緑に魅かれるというならまだしも、街も店も人もいない中、シリアスに山を歩き回って、ひたすらお堂や宝物を見るには、タフさを要求されます。千日回峰行という修業があることに納得がいくくらいに。

単なる観光なら、ロテルド比叡に宿泊し、山頂や緑、あるいは琵琶湖を少し見たら、あとはホテルでゆっくりと過ごし、食事を楽しむ、それくらいのほうが楽かもしれません(関西圏に住んでいれば、こういう避暑はありでしょう、景色もいいですし)。

それでも延暦寺を廻ると最澄の、空海と違ってきまじめだったろうと想像される伝記の内容と、延暦寺の空気はなんとなく相通じるものがあるように思うのです。また、比叡山の厳しさが、京都の人々はなかなか打ち解けないと言われることにも通ずるようにさえ思えてきます(妄想と笑われるかもしれませんけれど、これほど盆地を囲む山が厳しいと、奈良とは印象が異なってきます)。これは行ってみないとわからないことの一つでしょう。そんな歩き方もあると思うのです。